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私は声を絞り出した。
「二十代のうちは好きにさせてあげたい。三十歳になったら――」
結婚する、という言葉を濁した。
重い。
弟はそれ以上何も言わず、カクテルを勧め、でも酒の入った私に指一本触れることなく紳士的に駅まで送り、その日の晩はつつがなく別れた。
彼が心不全で亡くなったのはそれから数日後の話で、遺体の第一発見者は私だった。
いつものように土曜日彼の家に行ったら、彼はみんなが知らない間に息を引き取っていて、机に突っ伏したままの姿勢で硬く冷たくなっていた。
葬儀が終わった。
私は自分のスマホで彼のアカウントを見ていた。
更新は三週間前に止まっていた。死ぬ一週間以上前だ。彼のアカウントはもうすでにイラストのアップにしか使われていなかったから、いつから体調が悪かったのかわからない。
彼のアカウントで彼が亡くなったことを報告しなきゃ、と思った。
たまに見るやつだ。
彼は何月何日に息を引き取りました。葬儀は終わりました。仕事上お付き合いのあった皆様にはたいへん申し訳ございません、後日個別に連絡させていただきます。今までありがとうございました。皆様もお体には気を付けて――
「僕がやるよ」
後ろから声をかけられた。
振り向くと、彼の弟が私のほうを見ていた。
「兄さんの訃報。弟が代理で呟かせていただきます、と書けばみんな納得してくれるんじゃないかな」
私は頷いた。実在するか怪しい彼女がするよりはいくらかわかりやすいだろう。
そうか、私は実在するかどうかわからない彼女だったのか。
それを認識した途端、どっと涙が溢れてきた。
「私、何だったんだろう」
彼の弟は責めないでくれた。
「私、あの人の何だったんだろう」
しばらく、沈黙していた。
ああ、彼の弟の前でなら泣ける――それが本当に悲しかった。
安心してしまう自分が嫌だった。
見透かされていたらしい。
「僕ならゆかりちゃんをこんなふうに泣かせることはないんだけどね」
葬儀場だというのに、私たちは少しの間無言で抱き合った。
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