14 夜へ

1/1
前へ
/15ページ
次へ

14 夜へ

 氷室はキャンプファイアーにきびすを返して、校舎へと歩き出した。すでに薄暗い中に、オレンジ色の炎が高く燃え上がっている。何も考えられない。ただ、何かせずにはいられない。  校舎に入り、廊下を歩く。もう暗くなった建物の中に人影はなかった。無人の廊下を目的もないのに、ただひたすら、ぐんぐん歩く。  まっすぐな筈の廊下が、右に左に傾いているようだった。廊下がおかしい。いや、おかしいのは自分か。無人のはずなのに、かすかに笑い声が聞こえる。どこだ? 笑い声の主を探すが、どれだけ歩いても音源に近づかない。笑い声は遠くから響いてくる。いつしか彼も笑いだしていた。自分をあざ笑う。  氷室は気づいた。自分が思い描いていた、田中澪との物語は、自分の思いこみにすぎなかった。自分中心、自分しか見えていなかった。彼女には彼女の恋があって、ぼくの突然のキスなんて、彼女にとっては予想外の事故にすぎない。  じゃあ、あの優しさは何? 彼女は誰に対しても優しい。ぼくへの「大丈夫?」だって、単に友人に対する気遣いにすぎない。それにすがりついたのは自分だ。弱くて卑怯で、無価値だとわかっていたはずの自分が、単なる気遣いを、自分だけへの特別な好意だと勘違いしただけなんだ。  そう頭ではわかるのに、腹の底から湧いてくる怒り、目頭を熱く濡らすものは抑えきれない。ぼくは裏切られたんだ。  ぼくは田中澪に捨てられた。選ばれなかった。彼女にとって価値が低い。何の魅力もない障害物。 「そんなこと……そんなことが許せるか!」  腹が立つ。怒り。目も眩むほどの。許せない。報復してやる。見返してやる。歪んだ、身勝手な思いがどんどん湧いてくる。なんて自己中心なと頭のどこかではわかっていながら、激しく勝手な思いに全身がひたされた、流された。それはどこか甘美でもあった。  ぼくは憎む、憎む、憎む。絶対にこのままでは済まさない。彼女に何かしたいのか? いや、彼女だけじゃない。自分をとり囲む現実の全てを憎む。自分自身を憎む。ぼくは無価値だ。誰にとっても、世界のどこからも。  氷室の唇が歪んで、かすかな笑い声がもれた。体は熱いのに、胸の奥のどこかが冷たく冷えていた。  田中澪は、受験に集中するためにぼくが部活を辞めたと言っていた。受験しか、勉強しかぼくに残されていないなら、その道を行ってやる。どうせ無価値な自分、愛されない自分だけど、勉強くらいなら自分一人でもできる。やってやるよ。彼女が行きたい大学よりいいところに入ってみせる。  氷室はどんどん歩き続けて、校舎を抜け、外へ出た。街はすでに日が暮れて、街灯が光り出していた。彼が抱えた思いを知る者は誰もいない。
/15ページ

最初のコメントを投稿しよう!

5人が本棚に入れています
本棚に追加