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8
氷室は、もう帰ろうとターミナル駅の高架を渡っていた。彼が乗るローカル線のホームには高架を渡っていくしかない。長い高架二ガラス窓が並び、沈もうとする日の光が差しこんできて眩しい。
ようやく光に慣れてきた、彼の目に、前を歩いている制服の小柄な影が映った。田中澪だった。珍しく一人で歩いている。同じ路線を利用する同級生がいない。
話しかけてみたら。ふと思いついて、氷室は自分に驚いた。これまで人を避けて避けて、気配を消してまで、逃げ続けてきたのに。こんなに自然に、彼女に近づこうと考えている。
夕暮れ時の列車を待つ以外何もすることがない空白の時間に、話しかけてみようかという思いは、ぽんと荷物を投げ出すように訪れた。どこか投げやりな気分でもあった。話しかけて無視されてもいい。嫌われてもいい。それで当たり前だ。慣れている。今このノリだけで声をかけてみよう。
「田中さん」
田中澪は振り向いて、氷室に気づくと、少し驚いたようだったが笑った。
「田中さん、今日帰り遅いんじゃないの?」
「うん、委員会があったから」
「委員会って、文化祭関係?」
「そう」
二人は互いのクラスの文化祭の準備の状況について話した。不思議と会話が続く。二人は、田中澪が乗る電車のホームへの降り口を通りすぎた。
「あれ、田中さん、こっちで降りるんじゃ」
「いいよ、氷室くんのホームまで行こう。わたしの電車はまだ大分待たなくちゃいけないし、氷室くんと話したいから」
氷室くんと話したいから。彼女の言葉が氷室の胸を躍らせた。
「氷室くん、スゴイな」
ホームへと降りる途中、田中澪が言った。
「スゴイって、何が?」
「ちゃんと先のこと考えているところ。そして、一つ一つに集中できているところ」
彼女の言葉が意外すぎて、自分のことを言っていると氷室には思えなかった。
「わたしなんか、色々なことに目移りしちゃって、何一つできてない……」
彼女にも何か悩みがあるのだろうか。自分に不満があるのは伝わってくる。高校生活をうまく送っているとばかり思っていたから、氷室には意外で、そして何だか彼女を近く感じる。
「何かぼくにできることがあれば……」
思わずそう氷室は言っていた。彼女の顔がぱっと明るくなった。
「本当! 嬉しい。氷室くんに相談したい時、相談してもいいかな。話しかけると迷惑かと思って遠慮してたんだけど。友達になってくれる?」
「う、うん、いいよ」
彼女の勢いに押されるように、氷室は頷いた。
「やった! あ、氷室くんの列車来たよ。じゃあ、またね」
田中澪は手を振って、高架の階段を上っていった。
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