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 氷室は、もう帰ろうとターミナル駅の高架を渡っていた。彼が乗るローカル線のホームには高架を渡っていくしかない。長い高架二ガラス窓が並び、沈もうとする日の光が差しこんできて眩しい。  ようやく光に慣れてきた、彼の目に、前を歩いている制服の小柄な影が映った。田中澪だった。珍しく一人で歩いている。同じ路線を利用する同級生がいない。  話しかけてみたら。ふと思いついて、氷室は自分に驚いた。これまで人を避けて避けて、気配を消してまで、逃げ続けてきたのに。こんなに自然に、彼女に近づこうと考えている。  夕暮れ時の列車を待つ以外何もすることがない空白の時間に、話しかけてみようかという思いは、ぽんと荷物を投げ出すように訪れた。どこか投げやりな気分でもあった。話しかけて無視されてもいい。嫌われてもいい。それで当たり前だ。慣れている。今このノリだけで声をかけてみよう。 「田中さん」  田中澪は振り向いて、氷室に気づくと、少し驚いたようだったが笑った。 「田中さん、今日帰り遅いんじゃないの?」 「うん、委員会があったから」 「委員会って、文化祭関係?」 「そう」  二人は互いのクラスの文化祭の準備の状況について話した。不思議と会話が続く。二人は、田中澪が乗る電車のホームへの降り口を通りすぎた。 「あれ、田中さん、こっちで降りるんじゃ」 「いいよ、氷室くんのホームまで行こう。わたしの電車はまだ大分待たなくちゃいけないし、氷室くんと話したいから」  氷室くんと話したいから。彼女の言葉が氷室の胸を躍らせた。 「氷室くん、スゴイな」  ホームへと降りる途中、田中澪が言った。 「スゴイって、何が?」 「ちゃんと先のこと考えているところ。そして、一つ一つに集中できているところ」  彼女の言葉が意外すぎて、自分のことを言っていると氷室には思えなかった。 「わたしなんか、色々なことに目移りしちゃって、何一つできてない……」  彼女にも何か悩みがあるのだろうか。自分に不満があるのは伝わってくる。高校生活をうまく送っているとばかり思っていたから、氷室には意外で、そして何だか彼女を近く感じる。 「何かぼくにできることがあれば……」  思わずそう氷室は言っていた。彼女の顔がぱっと明るくなった。 「本当! 嬉しい。氷室くんに相談したい時、相談してもいいかな。話しかけると迷惑かと思って遠慮してたんだけど。友達になってくれる?」 「う、うん、いいよ」  彼女の勢いに押されるように、氷室は頷いた。 「やった! あ、氷室くんの列車来たよ。じゃあ、またね」  田中澪は手を振って、高架の階段を上っていった。
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