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第2話
その場限りの当てつけで、マネージャーを振りきって飛び出したものの行く当てなど無く、とりあえず立ち止まりポケットを探る。
現金を持ち歩く習慣はとうの昔になくなってはいたが、それでもとりあえずいくらかの金は入っていた。
「つっても、三万かそこらじゃなぁ…」
よれよれになってしまっている札を眺めてから、多聞はそれを再びポケットの中にねじ込んだ。
「どーしたもんかな」
時と場合によっては、自分の顔と名前で金をかけずに遊ぶ事は出来る。
とはいえ、それに伴うリスクを知らない莫迦ではない。
実を言えば、もう憂さ晴らしに遊ぶ気持ちもだいぶ薄れてきていた。
今夜これから多聞を捜す為に走り回るマネージャーの事を考えると、多少は気分が晴れたからだ。
いっそここからタクシーでも拾って、マネージャーの裏をかいて先にホテルに戻るのも面白いかもしれないなどと考えながら、多聞はブラブラと歩き出す。
しばらく行くと、赤地に白く太い文字で『ラーメン』と書かれた幟が目に入った。
近付いてみると、深夜に近い時刻だというのに店内は賑わっている。
ガラスのウィンドウの向こうで、店の名前が胸元にプリントされているデニム地のエプロンをした青年が、客席の切り盛りに追われている姿も見えた。
鼻孔をくすぐるスープの香りと、湯気を上げているドンブリから麺をすすっている客達の様子に、多聞は誘われるまま店ののれんをくぐる。
「いらっしゃいっ、お一人様?」
件のエプロン青年から即座に声が掛けられ、窓際の空き席に案内される。
テーブルの上に手際良くおしぼりとお冷やが並んだ。
「なんにしますか?」
「生の中ジョッキと…、それから餃子ちょうだい」
「生ビールと餃子ね」
オーダー票を片手に見下ろされると、喧嘩でも売りに来たのかと身構えたくなるようなキツイ目つきをしているが、接客態度は悪くない。
多聞の注文を復唱し、青年は素早くカウンターの端に据え付けられている生ビールのクーラーに向かった。
冷えたジョッキを取り出し、馴れた手つきでビールを注ぐと、多聞の前に置いていく。
最後にオーダー表をカウンターの決められた位置に並べて、青年は次の仕事に取りかかっていった。
青年がオーダー表を並べたカウンターの向こう側では、多聞より一回りは歳上に見える男が厨房を切り回していて、やはり忙しげに立ち働いている姿が見える。
客席は全部で20席ほど。カウンターに作られた席の他に、4人掛けのテーブル席も併せて3つ程あり、6〜7割の客の入りだ。
客層は時間帯もあってかトラックやタクシーの運転手が多く、顔見知りらしい者同士が大声で最近の景気について話をしていたり、店に置いてある新聞などを眺めながら一人で食事をしている者などがいた。
店の雰囲気は、悪くない。
こういった店にありがちの、常連と店の者が馴れ合ったあげくに新しい客に疎外感を与えるような事もなければ、店員の態度が無愛想で、どんなに料理の味が良くても二度と訪れたくなくなるような気分になる事も無い。
ただ一つ、多聞が奇妙に感じた事と言えば、それは店内に流れている音楽だった。
こうした中華料理店によくあるパターンとしては、梁に作られた棚におきっぱなしのテレビが大きな音でつけっぱなしになっていたり、または民放のAMラジオがやはり無闇と大音響で垂れ流されていたりする。
少し気の利いたところでは、有線を引いていたりするが、それだって演歌チャンネルが関の山だ。
しかしこの店のバックミュージックは、紛れもなく最新のビルボードナンバーなのである。
店の雰囲気にそぐわないその音楽は、客の声や厨房の調理音に紛れて聞き取りづらく、現在店内にいる客の誰もが全く聞いていないようだ。
そう思いながらも、多聞にとって格別心地良いそのチョイスが、まるで今こうして多聞がここに居る事に誰かが気づいて、そうした心遣いをしてくれたかのような気分にさせてくれる。
「シノさん、餃子上がったよ」
不意に聞こえた固有名詞が、多聞の耳に残った。
その言葉を発した人間は厨房の中の料理人で、言葉の通り、湯気の上がった餃子の皿をカウンターの上に並べている。
そうして並べられた皿達は、先ほど注文を取りに来た青年の手によって、速やかに客席に配られた。
「はい、お待ち」
多聞の目の前にも、湯気の上がった餃子が置かれる。
さっさとテーブルから離れていく青年の姿を、多聞は目で追った。
店員は、彼と厨房の男だけ。
注文を取り、皿を運び、勘定を清算してテーブルを片付けることまで、彼が独りで捌いている。
たまに手が空いた時は、彼のホームポジションであるらしい厨房との仕切りのカウンターの隅に立ち、客の様子に目を配っているのだが。
多聞は、そうして辺りを見回している青年の身体が、店内に流れるビートにあわせてリズムを取っている事に気付いたのだった。
どうやらこのバックミュージックは、彼によって選択されている物らしい。
店内では黙殺されている極上の音楽を、理解する唯一の仲間を見つけた事で、多聞はなんとなく勝手な仲間意識を抱いた。
鼻歌でも出てきてしまいそうな気分で、多聞は餃子を頬張った。
熱々の餃子は、肉汁がたっぷりとしていて旨かった。
続いて飲み下す冷たいビール。
それがマズイ筈もない。
靴の踵で雑音混じりのビートをなぞる頃には、先刻までのムシャクシャした気分がすっかり流れて消えていた。
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