陽光

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陽光

  「今日で終わりですね」  私が刑務官の職を辞するその日、鉄格子の中で男は実に穏やかだった。  草臥(くたび)れた(すす)色のツナギに頭から灰を被ったような丼鼠(どぶねずみ)色の髪は吊り下げ電灯の光に晒され、白い肌に透けて落ちる。 「口を慎め、421番」 「確か十年と」 「誰から聞いた」 「夏莫尼(シャモニ)看守部長が」 「夏莫尼看守部長は担当刑務官の経歴までお前に話すのか」 「慕われているようです。古株ですから」  壁に(もた)れて男の素足が床を滑った時、電灯に羽虫が集っているのが見えた。時にばち、と羽音を鳴らして光に抵抗されては、本能に眩んでいる。 「刑務官としての職務は全う出来ましたか」 「お前を見届けるまでが私の職務だ」 「では、本日早朝に貴女の職務は大義名分に変わるわけだ」 「口を慎め、421番」 「私にとっては最期の夜です」  明け方まで、世間話をしませんか。  命を殺めたくすんだ瞳が最期の時に人を乞う、もう十年見続けた。    男が入所して来たのは十日前の話だ 「(チョウ)看守部長。おはようございます」 「(ロン)、きみはいつまで私を苗字で呼ぶつもりだ? 所内で名前を呼ばないのは君くらいだぞ」 「…失礼しました、夏莫尼(シャモニ)看守部長」 「よし。早いじゃないか休暇は楽しめたか? …ん、今日は非番の筈だが」 「有休消化ですが自分には長すぎます。休暇を頂いてもやることがないのでどうか見過ごしてください」 「心構えは有難いが年頃の娘がそんなことでどうする、ましてや十日後きみは離職するんだぞ。別部署の男性刑務官のように囚人とあらぬ関係に運べとまでは言わないがもう少し」 「本日东南(南東)拘置所から新入りが流れて来ると。死刑執行は十日後ですね。是非私に指揮を」  聞いてる人の話、と立ち止まられても頑として譲らないでいたら痺れを切らしたようにわかった、と折れてくれた。所内の廊下で歩きながら新入りの資料を手渡され、目を通しつつ速やかに情報を記憶する。 「32…若い男ですね」 「なかなかハンサムだ、私の若い頃にそっくり。好みかな?」 「この、名前。翡翠(ヒスイ)と言うのは。日本人ですか」 「俗称じゃないかな。どうも地下街出身の人間だ、戸籍がない。名前も恐らく持っていないんだろう、奴等仲間内で名付けあって呼び合うからね。この見目にあったコードネームってわけだ」 「罪状は」 「殺しだよ。4人殺してる」
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