陽光

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  「今日で終わりですね」  私が刑務官の職を辞するその日、鉄格子の中で男は実に穏やかだった。  草臥(くたび)れた(すす)色のツナギに頭から灰を被ったような丼鼠(どぶねずみ)色の髪は吊り下げ電灯の光に晒され、白い肌に透けて落ちる。 「私にとっては最期の夜です」 ——————明け方まで、世間話をしませんか。  最期の職務が夜警というのも、何かの業かもしれない。この男を見届ける事が、神が託した私の最期の任務だと言うのなら。他の囚人の全てが寝静まり、明日早朝に処刑される翡翠は、高貴だった。  この男を(ヤン) 家乐(ジャラ)がかつて言った〝死を待つだけの罪人〟の枠に収めるには、私達は人間を網羅出来ていない。壁に凭れていた身体を起こし此方へと歩み寄り、端からその檻を手のひらでなぞっていく。その優雅な動作で錯覚する。手足の手錠により拘束されているのは視認出来ているというのに、名目や役職に雁字搦めになって閉じ込められているのはこの男ではなく、  私達の方ではないのか。 「死ぬのが怖いか」 「それは、私の質問の答えになっていませんね」 「何、時間はいくらでもある。この答え一つで考えてやらなくもない」 「怯えているのは貴女の方でしょう」  今もそうだと(のたま)う。  そして正面の椅子に腰掛け、床から伸ばした警棒に両手を付くようにして座っていた私に柵の中から微笑した。 「私が、怖いですか」 「…喫驚しているのだ。死を恐れて朝まで与太話に付き合えと、お前は他の連中と似たような事を言う」 「貴女はどこか私を買い被っているようですが、他の囚人達と何ら変わりはありません。あるのはそうだな、確かに他の囚人(かれら)より多くの拘置所を(たらい)廻しにされたと言う事実でしょうか」 「貴様の素行不良が生んだ結果だろう」 「私が渡り歩いていた(・・・・・・・)のは探していたからです」 「ほう、一目惚れの末に転所した刑務官でもいたのか」  それは前に夏莫尼(シャモニ)看守部長から聞いた、他部署での男性刑務官と女性囚人の話だ。もう何年も前の話になる。興味がなく、ろくに耳を貸さなかった。…気怠い。その時、最期の職務だと言うのに、杨 家乐の一件があって投げやりになっていた部分もあり怠慢していた。明日離職する身だ。この男の脅威に堕ちたとてこの北滨拘置所にはなんの影響もないだろう。だから傾聴した。  刑務官という職から剥がれた時、私には何が残るのか。
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