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ルドルフは布団の上にあぐらをかいて座った。ラウラは横座りで向かい合って座っている。
先ほどまでの緊迫感はなくなったけれど、今のルドルフからはなにかを固く決意したような、一歩も引かないという姿勢が伝わってきた。
(どちらにしてもわたしはもう逃げてはいけない……)
「エレノーラ様とヨルハン教区長の話のあと、兄上とも話をした。……少し整理したいんだ。つきあってくれ」
ルドルフはそんな言い方をしたが、彼はきっとラウラの思いと迷いを察しているのだろう。この話はきっとラウラの気持ちを整理するためでもあるはずだ。
ルドルフの優しさが伝わってきて、どうしようもなくせつないのだと、言ってしまえば楽になれるのだろうか。
「ここに戻ってくる前に王に、叔父上が前国王に安楽死薬を与えて死なせたことを聞いた。エレノーラ様が王宮から姿を消したのはそれを隠すためだ、と」
その際にエレノーラはマドロックが父親に飲ませた薬を持ち出す、と言ったらしい。
その後、旅芸人の一座とそれを支援するサリーナ王妃を通じて、国王はエレノーラがこの地にいることを知った。
ダウニールの失脚後、王家の直轄地となった旧ダウニール領を訪れたリュディガーは、この地で病がまん延していることを知り、調べているうちにそれが前国王の病と共通していることに気がついたという。
国王はリュディガーの報告を聞いて、この地にいるエレノーラに疑いの目を向けた。
義母上は本当にマドロックの罪を隠すためだけに、この地に向かったのか?
なぜ彼女の周りに、前国王と同じ症状の患者が現れたのかと。
「王……父上はエレノーラ様のことを心からは信用していなかったんだな。もしかしたら本当は父親のもともとの病もエレノーラ様によるものではないかと一度は思ったようだ」
もしエレノーラが前国王に毒をもった犯人であるなら、マドロックの負った十字架はなんだったのか。
ガルアークは年の離れた義母弟マドロックのことは愛していた。
家族を苦しみの時間から解き放ったのは、マドロックだった。彼が罪を背負ったことで、前国王の最後は安らかなものだったという。
「痛みをやわらげる薬は毒だという。一度用いれば麻薬のように使い続けなければ、効果が切れたときには禁断症状が現れる。……前国王が死に至るまで、叔父上は幾度も毒を父親に飲ませなければならなかったはずだ、と」
マドロックはそれを、家族に知られぬようやり遂げた。
(いったいどんな気持ちでマドロック様は……)
自我こそ奪われたものの前国王は苦しむことなく、夢を見続け眠ったまま逝った。
放っておいても死は逃れようがなかっただろう。
が、マドロックにそれをさせたことに、ガルアークもヨルハンも深い罪悪感を覚えた。
それなのに、自分たちはこの件に無関係でなければならない。
事実を知っているとなれば、自分たちの手でマドロックを裁くことになるからだ。
ヨルハンが聖職者になったのは、いざというときにマドロックを教会で保護するためだ。権力を二分する教会は、この国で唯一王家とまっこうからむきあえる組織だから。
「でもお義父さまは教会の不正を内偵するために聖職者になったってモルダヌ司祭がいっていたのだけど……」
「いくら父親の死が理由とは言えいきなりの発心では不自然だ。むしろ教会側にそう勘ぐられるように立ち回ったのだろう」
本当の理由がマドロックを守るためだなんて、知られてはならない。
教会に知られれば、逆に王家を追いつめる一手となりかねない。
「聖教参議会のだれかが前国王の暗殺をエレノーラ様に依頼したのなら……警戒したでしょうしね」
「……依頼したのが教会だとは限らないと思うが」
ルドルフは苦々しげに言った。
「とにかく国王は叔父上には決して真実を知られないよう動くことにしたそうだ」
リュディガーに、この地にある毒の正体を解き明かすよう命じた。
この件に関しては宰相であるヴェリタスにも知られてはならない。普段から国内外をふらふらしている彼なら適任だ。
リュディガーは、毒の正体をあきらかにするため、秘密裏にラウラに接触し協力を仰ごうとしたのだ。ラウラがマドロックを選んだことは都合がよかった。
しかし。
リュディガーと一緒にこの件の調査にあたっていたマリウスから、マドロックが前国王の死に関与したことをパシウスに知られてしまったのだという。
ラウラを王家に戻したかったパシウスは、マドロックを排除するために動いた。
「パシウス様は……どうしてそこまでわたしをルドルフの婚約者に戻したかったのかしら。教会にとりこまれないためとは思えないの。だって、わたしが……その聖女といわれるようになる前からパシウス様は動いていたんだもの」
ヴェリタス宰相も同じであるけれど、彼はただラウラの資質を惜しんだと自分で口にしていた。
「トランシェ公爵家とフラベール公爵家のバランスをとるためだ、と言っている。別に失敗してもよかったのだと。……ラウラが王家に入ればそれでよかったし、失敗しても自分がトランシェ家を出て、マリウスを公爵家の跡継ぎに戻せばバランスはとれる、と言っているそうだ」
ラウラはパシウスのあの貴族特有の顔しか知らない。
だからこそ、それが本当に彼の本心なのかがわからなかった。
むしろ他に思惑があるのだと言われた方が納得できるくらいなのだが、今はこれ以上彼の真意を測ることはできない。
「パシウスが動いたことで、前国王は毒を盛られて死んだことになってしまった。
容疑は叔父上だ。国王にはもうかばえない。しかもこの件で、ラウラの協力も仰ぎにくくなってしまった。だが、おまえなら必ず叔父上のために動くだろうと、監視をつけた」
それは王都を出る前にも聞いたことである。
あのとき、ルドルフの口から聞いた言葉はラウラを悲しくさせたのだ。
「すまなかった。国王はおまえに頼るしかなかったんだ。だが、今のおまえは教会から聖女として望まれている。この地にラウラをひとり向かわせるわけにはいかない。だからわたしが同行を願い出た」
あんな言い方をして悪かった、とルドルフはラウラに告げる。
ルドルフの顔に長いまつげの陰影が落ちたのを見て、ラウラは顔を振った。
「わたしこそ……少し考えればわかったことだったのに。ルドルフが守ってくれていたのは、途中からわかっていたから……」
それに気づいたときから、ラウラのルドルフへの恋情はもう大きくなり始めていた。
一度は過去になったはずの恋はあっという間に息を吹き返し、さらに再び芽生えていたのだと思う。
「この地にあったのも前国王の病も鉛中毒であることはわかったが、この地の教会で呪薬として用いられている薬の問題があった。叔父上の作った安楽死薬が用いられていれば、国王はこれも見過ごせないだろう。あれは叔父上の作ったものではないのだな?」
「ええ。キュケオンは昔から宗教儀式に用いられたことのある向精神薬だから。
……ダウニール前侯爵はアン……じゃなくてバートに資金援助を持ちかけて毒物を作らせて、自分も錬金術師だと名乗っていたと聞いたわ」
麦角菌の発生を知りながら隠し、さらにそれを使ってキュケオンを作り教会に教えた。
この地の司祭モルダヌは、キュケオンを呪薬とうたい、救いを求めてやってきた信徒に与えた。
「苦痛をやわらげることはできたのでしょう。救貧院では井戸水を使っていたからそれで症状が改善された人はいたけれど、重症の人はキュケオンを与えられ続けて、今度は麦角中毒になってしまったんだわ」
それが、ラウラの見たあの囲い込まれた部屋にいたものたちだったのだ。
「ならばこの件についても叔父上を罪に問うことはない。
……しかし叔父上が前国王に毒を盛った事実だけは変わらない」
ルドルフのひんやりとした声にラウラはまつげを伏せた。
我々に共犯者になれということか、という言葉がよみがえる。
「ラウラ。おまえはそれを知ったから叔父上のもとに残るのか」
あのときのルドルフの堅い声の響きと同じものを感じた。
まっすぐに見据えられて、ラウラの白い喉元が上下した。
「…………あの、わたし」
「王都で、叔父上と話をした。ラウラ、おまえのことで」
問いかけておきながらルドルフはラウラの答えをさえぎった。そこには次第にせっぱ詰まったような必死さがあった。
「あのひとはおまえが自分を選ぶように囲った。ラウラの心を無視したんだ。わたしはそれが許せない。だから、心ごとおまえを奪い返すと言った。なのに、いままたおまえは自分で自分の心を殺そうとしている。
聞かせてくれ、ラウラ。わたしはおまえの本心が聞きたいんだ」
真綿で絞めるように追いつめられて、とうとうラウラの目から涙がこぼれた。
「なんでいまさら両思いなのよ……あんなに好きで、一度は忘れて……バートのこともわたしは本気で好きだったのよ。なのに結局ルドルフに戻ってしまう。なんの呪いなのよこれ」
膝立ちになってぼすんとルドルフの胸に拳を当てると、その手をつかまれた。にらまれているのにルドルフはうれしそうで、そのことに腹がたった。
この際このぐちゃぐちゃな感情をぶつけてあげましょうか、と、もう一方の手で彼の整ったお顔をぺちりとたたく。
「やり逃げってなによ。自分だってしたくせに」
「わたしは逃げてない。逃げたのはおまえだがもうそんなへまはしない」
手を引っ張られて、引き寄せられる。
薄い生地を通して互いの温度が伝わってくる。早鐘をうったような心臓の音に、ラウラの刻むリズムも重なっていった。
抱きしめる腕と胸板は普段から鍛えているせいかとても硬い。
男と女だという違いだけではなく、ルドルフの身体はバートやマドロックのものとも違う質感だった。
知らず知らず、他の男の人とルドルフを比べている自分に気づいて、また嫌気がさす。
「わたしはルドルフのことを選べない。だから今さら言ったってどうにもならないと言ったじゃないの」
「ひとつしか選べないとは限らないぞ。それにな、叔父上は自分の荷を背負わせるためにラウラを求めたんじゃない。……叔父上が望むものをおまえは本当の意味で返せないだろう?」
よくわからないことを言うルドルフに視線を向けると、彼は優しく笑っていた。
「わたしも叔父上も、聖女だの賢女だの……そんなきれいなものが欲しいわけじゃないからな」
ラウラを見つめる群青色の瞳が一瞬炎を宿したと思ったら、くるりと景色が反転して、気がついたときにはルドルフの背中の向こう側に、梁と梁に渡されただけの粗末な天井を見上げていた。
(あ、あれ?いつの間に)
「クリフには黙っていろと命じておくから安心して……」
「できるわけないでしょう!」
ラウラは即座に飛び起きたのだった。
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