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ルドルフとともに、小回りのきく小さめの馬車を借りてダウニールの屋敷に着いたのはお昼前頃だ。
邸内にはすでにもう一台の馬車が止まっていて、御者同士が挨拶を交わしている。
「兄上も来ているみたいだな」
ルドルフが確認すると、その馬車にはリュディガーとマリウスが乗っていたのに間違いないようで、彼らはすでに邸内の確認をしに中にいるとのことだった。
現在封鎖されているダウニールの屋敷は、この地で警察業務に当たる行政部がつとめている。ここに住んでいたダウニール一族はちりぢりに離散したらしい。
「……ダウニール令嬢はいまどうしてるのかしら。辛いでしょうね。父親がつかまってしまって婚約もなくなって」
ルドルフはなにも言わなかった。その婚約とは彼自身のものでもあったのだ。
とはいえまだ本人にすらあったことはなかったという。
「当時は犯行が王都にいたダウニール本人のものだとわかっていた。一緒に住んでいた奥方はいまでも居場所を把握しているのだが、こちらで過ごしていた令嬢は関係ないと判断されたんだ」
しかし、王の直轄地となったことで、この地でダウニールの娘として暮らし続けることはできなくなり、夜討ち朝駆けのように去ったのだということであった。
まだ十三才の女の子がどんなに辛いことだっただろう、と想像してラウラは沈鬱になった。
邸内に入り、生活設備のある場所も含め見て回ったが、錬金術を連想するものはなにひとつなかった。
「彼は錬金術師と名乗ってはいたけど、実際に毒物を作るのはお金を出してバートに依頼していたみたいね……。キュケオンに関する知識は持っていたみたいだけど、作っていたのも教会の修道女だったし」
玄関を起点に順に回って、ふたたび最初のところに戻った。
ここには手がかりとなるものはなさそうだと思ったとき、ふとラウラが足を止めた。
「どうかしたのか」
ルドルフの問いに、ラウラが指を指したのは正面に飾られた一枚の絵であった。
太陽と月をモチーフにしていて、互いが手を伸ばし結びついている。
「《太陽と月の結婚で賢者の石が完成する》……同じような絵がモルダヌの司祭館にもあった気がする……」
証拠としては弱いが、ダウニールは確かに錬金術師に憧憬を抱いていたのだろうとラウラは確信をいだいた。
そのとき、玄関の戸が開いて、
「やぁ遅かったな。こっちの調査ももう終わったぞ」
と顔を出したのは、リュディガーとマリウスだった。
これから彼らは王都へと出発する予定だったが、ルドルフとラウラが来るのを待っていたという。
マリウスがトランシェ公爵家をつぐことになったために、なかなか会えなくなるだろうから、その前に話をしたいというのだ。
話をするのがリュディガーではなくマリウスであったことから、要件は弟のパシウスの件なのだろうと察しをつけて、ルドルフとラウラの顔は改まった。
マリウスが前に出て二人の顔を情けなさそうに、交互に見た。
「ずっと向精神薬の製造について口をつぐんでいたダウニールが、このタイミングで自供したのはなぜだと思う?」
マリウスは言いにくそうにそう言ったあと、こう続けた。
「原因は麦粥なんだ」
この流れで出てくる麦粥という単語にラウラは眉をひそめた。
ダウニールと教会が製造していたのは、キュケオンと呼ばれる麦粥だった。
「パシウスはここ最近頻繁に料理長に収監されている罪人に出す献立の変更をたのんでいたらしい。それもダウニールの分だけ」
それが麦粥だった、という。
もちろん、ここでいう麦粥はキュケオンのことではない。
しかし、これにダウニールは青ざめた。
なにしろ麦角菌を使用した麦粥が麻薬のようなものであり、食し続けたものの末路がどういうことになるのかも知っている。
しかも麦粥が供されるのは自分にだけ。それも立て続けに出されるのである。
その理由についてパシウスは料理長に、健康上の理由でと告げていたようだ。
ちなみにその情報は調理場で働くラウラびいきの下働きの女が教えてくれたらしい。
ラウラの婚約者がパシウスによって断罪されたという話を耳にして、虫の知らせのような直感がはたらいたと聞いて、おそるべき第六感だなとは思ったが。
次第に追いつめられていったダウニールは、とうとう自白するに至ったというのだ。
「どういうことですか?パシウス様はキュケオンのことを知っていたの……?」
「それは違う。知っていたのはおそらく、ダウニールの娘だ」
この発言にラウラだけではなくルドルフもまた驚いている。
ダウニールの娘と言えば、ルドルフとラウラの婚約解消が決まりあとがまに決まった令嬢のはずだ。
「パシウスとダウニールの娘は恋人同士だったんだよ。悪いとは思ったがついさっきご令嬢の部屋らしい場所で探って、確信を得たところだ」
「えっちょっ待って。ご令嬢は確か十三才だって!」
パシウス様わたしより年上だよという言葉はかろうじて飲み込んだけれど、たいして意味はなかった。だってこの場にいるだれも思ったにちがいないのだから。
「ラウラ。愛に年齢差はさして障害じゃないよ」
傍らの側近を気遣いながらリュディガーが三文芝居めいたことを言う。そのわりに声に力がなかったけれど。
マリウスがううっと顔を背け「なんかうちの弟がやらかしてすみません」と誰かに謝っている。
なんだか疑問に思っていたことの符号があった気がしたラウラがおもわず、
「もしかして、パシウス様がわたしをルドルフのところに戻そうとしていたのは自分の恋人をルドルフと結婚させないため!?」
と言ったとき、ついにマリウスがその場に崩れ落ちた。
リュディガーは目を閉じて、ぽりぽりとこめかみをかいている。
つまり、パシウスはどういう縁があったかはわからないが、ダウニールの娘と恋仲になった。
ご令嬢がまだ十三才という年齢だということもあったし、パシウスがトランシェ公爵家の次期当主という事情もあっただろうが、おおっぴらに交際できたわけはない。
それでもあと数年もしてご令嬢の成長を待って、婚約することはできたはずだという。
そんな矢先、ルドルフがラウラと婚約を解消し、野心家のダウニールは自分の娘を第二王子に嫁がせるために動き始めたのだ。
パシウスはラウラをルドルフの婚約者に戻そうと、ラウラの資質を惜しむヴェリタスをあおりいろいろ画策した。
王宮内でラウラの有能さをことさらに高めるように腐心して、実務にたずさわる官僚から王宮内を二分させるよう仕向けていたのだという。
「ヴェリタスがラウラに謝りたいと言っていた。彼は有能だと思っていたが意外とおっちょこちょいで可愛いところもあるとわかって親近感が沸くよね」
そんな言葉で片付けないで欲しいと思うのはラウラだけだろうか。となりでルドルフもなんとも言えない顔をしているので、そんなことはないはずだ。
しかしその後、ダウニールはメイリン王女の侍女に毒を融通していた件で逮捕された。
ルドルフとの婚約は白紙になったが、罪人の娘を名門公爵家跡取りの妻にするわけにはいかない。
「国王陛下は叔父上のことを守ろうとしていた。トランシェ侯爵はそのことを知っている。その叔父上に、パシウスは牙を向けたんだ。今となって思えば叔父上にかけた容疑なんて覆せると知っていたんだろう。ダウニールの娘がなにをどこまで知っていたのかは、いまとなってはわからないけど」
ということは、ダウニール元侯爵令嬢の行方はつかめていないと言うことだろう。
もしかして、今頃トランシェ家を出奔するパシウスとの新生活に向けて、どこかに身を隠しているのだろうか。
「結局あの人ちゃっかり幸せになってるんじゃないの?」
怒る気も失せて、ラウラがつぶやくと、
「恋する男も大概自分勝手だってことさ」
リュデイガーが言って、その場はしらけたように静まりかえったのであった。
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