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クリフの受けた傷は順調に回復し、帰途につく日が来た。
代替用の井戸の整備も迅速に行われ、とりあえず利用されることになった生活用水用の川も上流から下流まで水質管理の指針がたったし、上水道設備の改良のために王都から専門の職人も派遣されてきた。今後の現場の指揮は、ヴェリタスから任命された役人がとることになる。
この地にはいずれあらたに恩給地として下された領主がくることになるだろう。
南地区にあるクリスタルガラスを扱っていた店に預けてあった馬車は、エレノーラの邸の庭でいま最後の点検を受けているところだ。
クリフに御者をさせることはできないため、王都から来た人員がつとめることになっている。
帰りの道中を思うとクリフにからかわれ続ける気しかしない。
いっそ彼の目と口を塞いでおこうかしら、と鬼畜な考えが浮かんだラウラであった。
ルドルフは先にクリフを馬車にのせた後、帰りの行程についての予定を御者と打ち合わせている。けが人がいるため、臨機応変な対応をとれるようゆっくりとした帰途になるだろう。
ラウラはルドルフの意識がこちらに向いていないことを確認してから、見送りのために庭に出てきていたエレノーラに近寄って、小さな声で言った。
「エレノーラ様、わたしにうそをつきましたね?持ち出そうとしたのは前国王が飲んだ薬だって」
それを聞いたエレノーラは、目をぱちぱちとしばたかせた。
とても可愛らしい反応に、ラウラはわざとらしく微笑んでやった。
「人はうそをつく、でしたっけ。その通りですね」
「どうしてそう思ったの?」
あくまで肯定はせずにエレノーラは首を傾げた。
「不思議に思ったのは前国王がなくなってからエレノーラ様が薬を持ち出そうとラボラトリーに行くまでの空白の時間です。そう思わせたのにはなにかきっかけがあったんじゃないか、と思って」
三年前マドロックはある薬を完成したと言っていた。
エレノーラが本当に持ち出したかったのはその薬だったのではないか、と。
「でも三年前にマドロック様が完成させたのは《賢者の石》ではなかったんですよ」
「……どういうこと?」
エレノーラでも勘違いをすることがあるんだとわかって、ラウラは楽しい気分になった。エレノーラが自分をだまそうとしたことへの溜飲を下げるために、指でつくったバッテンを唇の前にあてて言った。
「それは国王陛下に奏上します。ふふふ、わたしマドロック様を太陽の下に引っ張り出すことにしたのです」
悪巧みをするような笑み。
ルドルフいわく『ちょっと顔がきつめ』の彼女がそうすると、まるで悪女のようでもある。
「だからエレノーラ様も……いつか会いに来てくださいね」
エレノーラはまたも目をしばたいて、それから自分もふふっと楽しそうな笑いをもらした。
しばらくそうしていたあと。
「これをあの子に渡してあげてくれる?今のあの子ならもう大丈夫だと思うから」
そう言ってエレノーラが振り返った先には、大きめの鉢に植えられた黄色い花があった。「ほら、あの子もいい年だしね。結婚できるようにってせめてもの親心だよ」
ラウラは今度は一転、うさんくさそうな目でエレノーラを見たが、そのとき背後からルドルフに声をかけられた。
「ラウラ、そろそろ出るぞ」
「はい。……それではエレノーラ様。ながく逗留させていただきありがとうございました」
ていねいな仕草であいさつをすませたラウラは、鉢植えをかかえて、馬車の乗り口で手を貸すために待っているルドルフ王子の方へ向かっていった。
ルドルフ王子の金の髪とラウラの珊瑚色の髪の色が馬車の中に消え、御者の手で閉じられる。乗降用のステップを取り外せば、あとは出発するのみだ。
エレノーラはこっそり忍び笑った。
(まだまだ甘いわねぇ、ラウラ。……あのマドロックが研究の途中で興味をなくすなんてことあるわけないじゃないの)
と。
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