Eliot

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 エリオットは本型の写真立てをパタンと閉じる。  マリオンへ見合いを申し込むという名目で送られてきたそれには、貴族の若者の写真が入っており、装丁も凝った造りだった。しかし、そんなものはマリオンにとっては何の意味もない。  マリオンの瞳は、すっかり夜を迎えていた。  こんなものを送って寄越す時点で、送り主が見ているのはマリオンではなく、その後ろにある家名だ。  今すぐに破り捨てたいという気持ちを抑え、エリオットは厚紙を小脇に挟んだ。 「こちらの話もお断りしておきますか?」  声が怒りに染まらぬよう、細心の注意を払ってエリオットは訊ねる。  ティーカップを優雅に傾けていたマリオンは、考える素振りも見せずに「そうして」と頷いた。  マリオンが結婚に適した年齢となってから、幾度となく繰り返されたこのやり取りは、もはや日常の一部となっていた。 「結婚はしないと何度も言っているのにね」  マリオンが自虐的な笑みを浮かべる。  昔からマリオンの両親は、家の話をするときにマリオンを数に入れなかった。  病に侵されていく子を、家督相続のいざこざに巻き込まぬように気遣っている。そう言えば聞こえはいいが、それはマリオンに何の期待もしていないということの証明だった。  しかし両親は、マリオンの美しさに気が付いてしまった。そしてそれは、病のことがあっても余りある程に、社交界での強力なカードとなりえるということにも。  けれど、今まで放置していたに等しい子供だ。今更、都合よく政略結婚の駒にすることに負い目を感じないほど、彼らは冷淡にはなりきれなかった。  だからこそ押し切ることもできず、万が一にでも頷いてはくれまいかと淡い期待を滲ませながら、マリオンへと縁談の話を持ってくるのだった。  無論、マリオンには彼らの駒となる気は毛頭ない。その証拠に、今まで見合いの席が設けられたことは一度もなかった。 「私は、エリィと静かに暮らせればそれでいい」  マリオンがそう言うと、その胸元の懐中時計が夕方を告げるオルゴールを鳴らした。  一節の短い曲が終わると、マリオンは懐中時計の蓋の細工を指でなぞる。癖でなぞり続けた彫刻は、わずかに摩耗して不思議な光沢を放っていた。  マリオンの祖父は、孫に遺産を遺していた。  幾らかの財産と小さな屋敷。どちらも静かに慎ましく暮らすには十分すぎるほどのものだった。  機械人形(オートマトン)を世に生み出した稀代の天才だ。孫がいずれこうなるということも見越していたのかもしれない。  エリオットは生みの親である老爺を思い出しながら、何の心配もなくマリオンの側にいられる幸福を与えられたことに、深い感謝の念を抱いた。 「ねえ、エリィ。私と結婚しよう」  最愛の主からの唐突なそれに、エリオットは小脇に挟んだ写真立てを落とした。部屋の中にバタンと派手な音が鳴る。  その反応に、マリオンは声を上げて笑った。普段ならはしたないと諫めるのだが、取り乱しているエリオットには何も言うことができない。その様子を察したマリオンがさらに笑った。 「今日ほど、君の顔を見られないことが惜しいと思ったことはないな」  マリオンは笑みに震える声でそう言うと、目元に滲んだ涙を指先でぬぐった。 「冗談はおやめください」  からかわれたのだと解釈したエリオットは、美しい顔を渋く歪め、落とした写真立てを拾い上げる。 「私は本気だよ、エリィ」  写真を再び取り落としたエリオットは、感情が制御できないほどに高ぶっていくのを感じていた。それを悟られまいと、必死に生真面目な従者の声を作る。 「この国の法は、機械人形の婚姻を認めておりません」 「じゃあ、誰にも知らせずに、二人だけの秘密にしよう」 「ですが――」 「エリィ。お願い」  全て見通しているような表情で、マリオンは穏やかに微笑んだ。エリオットはそれ以上何も言うことができず、ぐっと黙り込む。  初めて手を取り合って踊ったあの夜に、二人の答えは出ている。それは二人の暗黙の了解だった。 「……触れても構いませんか」 「どうぞ」  エリオットはそっと、ガラス細工を扱うかのように、目を閉じたマリオンの頬に手を伸ばす。指先が触れた瞬間、マリオンの肩が小さく跳ねた。 「冷たい手だ」 「申し訳ございません」  照れ隠しの軽口にまで律儀に謝罪をするエリオットに、マリオンはくすくすと笑う。  その緩く弧を描いた唇を、青年の親指がそっとなぞった。白い頬がわずかに紅に染まる。 「お慕い申し上げております、マリオン様」 「違う」  マリオンの夜色の瞳が、挑戦的にエリオットを見つめる。エリオットの指が躊躇うように離れる。しかし、マリオンの温かい手のひらがエリオットの頬に触れ、逃げ道を塞ぐ。 「愛してる、マリオン」  触れているマリオンの手のひらが、頬が熱い。体調不良の熱ではないということは、星空のように銀が散った瞳が物語っていた。  自分を見つめるこの銀河には、とうに光などないはずなのに。  エリオットは確かに、マリオンが自分の全てを見つめていると確信していた。
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