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「そうだろう? 毎朝市場で入荷した新鮮な羊肉をこうして炙るんだ。味は保証するよ」
途端に、少女はぱっと輝く笑顔を弾けさせる。
「ひとつください!」
「あいよ」
ああ、この肉にかぶりついたら、どんなにたっぷりの肉汁が口内に広がるだろうか。どれだけ野菜が肉の旨味を引き出してくれるだろうか。ごくりと生唾を飲み込んで、少女は財布を取り出す為に、肩からかけていた鞄の中を探ったが、あいにく見つからない。
「あれ、荷物の方に入れてしまったんでしょうか」
「おや、そうかい? こっちは逃げやしないから、見ておいで」
女性にそう言われたので、少女は「ありがとうございます」と背筋の伸びた礼をして、噴水まで戻る。
ところが。
戻り着いた少女の視界に入ったのは、これまでの旅路を共にしてきた相棒が、あるべき場所から忽然と消えている光景であった。
「えっ。えっえっえっ!?」
慌てふためきながら視線を巡らせる。と、目の端に、遠ざかる見慣れた荷物袋の姿が映り込んだ。いや、荷物が勝手に動くはずが無い。荷物を担いで走り去ろうとしているのは、ぼさぼさ頭の小汚い男であった。
「ま、待って! 待ってください! 返して!」
少女は肺じゅうの息を吐き出さんばかりに大声を張り上げて走り出す。だが、相手もさるもの、道行く人を突き飛ばしながら走り逃げて、ちっとも追いつかない。周りは何事かと見送るばかりで、手助けしてくれる者はいない。
「返してください!」
あの荷物は、命の次に大切な物だ。少しなら目を離しても大丈夫だと思ってしまった自分の失態を後悔しても遅い。じんわりと目の端に水分がにじんだ時。
風を切る獣のような濃い香りを伴って脇を駆け抜けてゆく影に、少女ははっとして視線をそちらに向けた。
筋骨逞しく背の高い、長い黄金のたてがみを持つ獅子のごとき青年だった。紫水晶を思わせる光が宿った切れ長の目は、置き引き犯を油断無く見すえ、逃す気は無いと無言の主張をしているかのようだ。
俊敏な獣さながらに駆ける青年は、あっという間に置き引き犯との距離を詰め、地を蹴って跳ねると、長い足を相手の頭に叩き込む。犯人は「げへえ」と潰れた蛙のような声をあげて、舗装された道に倒れ込んだ。
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