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「私、妖精なんです」
と、名乗るとたいていの人は「はははは」と乾いた笑い声を立てます。だから今のあなたの反応も“慣れっこ”です。
でもね、普通に生活しているからといって、なぜ私のことも、自分と同じに人間だと思うのか、私からすれば、その思考に困惑なんですよ。周囲を見渡せばあちらこちらに私と同じ妖精がいるんです。お互いに名乗りあったりはしませんけどね。
――どんな違いかって?
もちろん、見ればすぐに分かりますよ。すごくはっきりとした違いがあるので。
私たち妖精はクリアなのです。っていっても、私たちを覆っているこの色は人間が認識できない色らしいので便宜上の表現ってことですが。
――で? その妖精さんが、俺に何の用ですか、……って、
なんですかその平坦な声色は。
あ、もしかして適当にあしらおうとしてますか?
メンドクサイとか思ってます?
ほんの数十分前まで私たち、お友達でしたよね?
大学も一緒だし、バイト先も一緒だし、
……まあ、いいです。
この反応も予想通りですので。
私はあなたに大切なことをお伝えしに来たのです。あなた最近、ツイてないでしょう。わかりますよ、だってあなた、フレックを怒らせてしまったんですもの。
――フレックは誰かって?
私の仲間ですよ。もちろん妖精です。あなたのおうちにいる子です。
――なにを怒らせたか?
ちょっとちょっと、そんなこと自分で考えてくださいよ。
でも今日は出血大サービス!
あなたはツイています!
じゃじゃじゃーん、
実は! 私は、あなたの願いを叶えてあげることにしました!
パチパチパチパチ。
あれ?
なんのリアクションもなしですか?
私だけ拍手なんかして、道行く人の視線めっちゃ集めてちょっと恥ずかしい……。
あっ、待ってください。ひとりにしないで。
――手をバタバタさせるんじゃない、さっさと話せ、って?
わかりましたよ。“さっさ”と言ってさしあげますとも!
あのですねフレックがどうして怒っているかというと、フレックには将来を誓った彼女がいるんですね。ミルフェラって名前の妖精ちゃんです。でもあなたのせいで永遠に一緒に暮らせないかもしれなくなったんですよ。
――俺のせいで? 言いがかりだろ、って。
うんうん、あなたの気持ちもわからないではないんですよ。だってあなたには私たちが見えないんですものね。しょうがないです。だ・か・ら、私がこうして出てきてあげたんですよッ!
パチパチパチパチ。
え、おもいっきり背を向けることないでしょう。
ちょっと、本当に行っちゃうんですか? 後悔しますよ。もう二度とこんなチャンスはきませんよ。いいんですか?
ねえ、ってば。そんなに慌てて去っていかなくたって。
いいんですか?
本当に、あなたの願い、叶えなくていいんですか?
――いいんですか~?
――――いいんですかあ~?
++ +
「――――っ、ぅうう~」
うなされて、目が覚めた。
カーテン越しの外が明るいため、朝か? と思ったが、昼だった。
軽く、記憶喪失。
――ええと、どんな状況だっけな。
寝すぎて頭が重い。ワンルームの部屋、脱ぎっぱなしの服と缶チューハイの山を閉じそうな瞼で見渡して、思い出した。
そうだった。
昨日、居酒屋のバイト上がりに、珠里にとうとう告白してしまったんだ。
+
昨夜に遡る。
いつものようにバイトが終わって珠里とふたりで駅へと歩いていた。街には酔っ払いしかいなくて、俺たちはクタクタで、腹も減っていた。何か食べて帰ろうかと提案すると珠里は「太りたくない」とため息をついたのだ。
「別に太ってないだろ」
と、俺は本心から言った。そしたら珠里は「はああ?」とあからさまに呆れてみせた。
「どのクチが言ってんの? 伸郎でしょ、『ダイエットした方がいいんじゃない?』って言ったの」
「いつ?!」
「いつ?! って、ケンカ売ってんの?」
珠里はイライラしていた。金曜夜の居酒屋は死ぬほど忙しい。おまけに客からセクハラされた。相手は酔っ払いだ。笑顔であしらったものの珠里は厨房でキレてゴミ箱に当たった。
「あの席にはもう近づくな。あとは俺がやるから」
俺が声を掛けると、珠里は宣言した。
「大丈夫。あの客は今日からキキーモラによって、寝ようとすると騒音で邪魔をされるし、この先どこへ行こうとしても地図を書き換えるゴブリンの仕業で道に迷う!」
「なんだって?」
聞き返すと、珠里は言った。
「ねえ知ってた? 妖精って愛らしいだけかと思ってたら、不吉なのもいるんだって」
「妖精? なんのことだ?」
珠里につきあっている状況になかった。料理は次々に出来上がる。客の「すいませーん」が聞こえる。ドアが開いては、閉まる。「ただいま満席です」フロアではスタッフが来店客に謝っている。客からのオーダーはひっきりなしに厨房へ伝えられている。
「――あとで聞く!」
俺はそう言って両手にふたつずつ料理を持ってフロアへと飛び出した。
+
「まあ、今日は大変だったよ。ああいう客は出禁にするべきだよな。俺、あの客の顔ばっちり覚えたからさ、次来てもおまえに近づけさせねえから」
そしたら珠里は鼻で笑ったのだ。
「伸郎って調子いい。いろんなことすぐ忘れるくせに。これも忘れるんじゃないの、すぐに」
「いや、俺そんな忘れっぽくねえし」
「うそばっか」
「おまえこそ、勘違いとか多いからな。そもそも俺、お前にダイエットしろとか言った覚えねえし」
「なにそれ。だってあのとき――、もういい」
何か言い返そうとしてぷいっと横を向いた珠里に、俺はつい言ったんだ。
「おまえ、カレシいないからイライラするんだぞ」とかなんとか。
珠里はゆるゆると俺を見上げた。
俺はなんだか急に焦って、焦っていることを悟られたくなくて、余裕があるように見せたくて、さらりと言った。
「なんなら俺たち、つきあう?」
心臓バクバクさせてようやくコクったのに、珠里は白けた顔を向けてきた。
「いまさら?」
「……」
どういう意味だよ、と聞こうとしたら「つきあうとかありえない。もう二度と私に話しかけないで」と冷たく吐き捨てて走り去っていった。
俺はフラれた。そして酒をくらった。
そうか――、
さっきの夢は記憶の整理か。さすが『夢』、飛躍がすごい。
大学もバイト先も一緒って珠里以外いないし、珠里がキレすぎておかしくなって妖精がどうとか言い出したことが頭の隅に残ってたんだな。だって俺の部屋に妖精がいるって? なんだそれ。突拍子もないわ。
ああ、それにしても俺、
フラれたかあ、
これからどんな顔して珠里に会えばいいんだ……
――こんにちは~。またまた妖精です。
あらっ? 今度は驚かないんですね。っていうか意気消沈? それどころじゃないって感じなんですね。
あ! もしかしてやっぱりぜったいフラレちゃいましたね?
なんでわかるのかって?
だって私、それを回避するためにあなたの前に出てきてあげたんです。なのにあなた、私のこと信じないから、だからこんなことになったんですよお。
なになに?
この前の、願いを叶えてあげるっていったやつはまだ活きてるかって?
あー、それはムリ。チャンスの妖精は素早いんです。え? 『チャンスの神様』のパクリって? 違いますよ。むこうが後ですぅ。っていうかたぶん、最初から『チャンスの妖精』だと思うんですよね。広める過程で、誰かが言い間違いとか勘違いをして、で『妖精』がいつのまにか『神様』になったんじゃないですか? そういうもんですよ。よくあるやつです。
そういえばあなたも言われてましたね。
――いまさら? って。
あなたにも勘違いしているなにかがあるんでしょうかねえ。
忘れっぽい男と勘違い女、似た者同士ですねえ、クスクス。
あらっ? お部屋にシルキーが来たんですね。
なぜわかるのかって?
だってお部屋がぐちゃぐちゃじゃないですか。これポルターガイストですよ。悪いコじゃないんですけどね、気に入らないことがあると、これ、やっちゃうんですよ。
え? ただ汚いだけ? そうでしょうか。上から落っこちてるそれ、誰かからのプレゼントですか? 箱だけ? なんでそんなもの取っておくんですかあ。あははははははははははははははははh
ジリリリリーン
ジリリリリーン
―――!
俺は飛び起きた。起きる時間にセットしてある枕元のスマホを手繰り寄せ、アラームを止め、まだ半分寝ている頭で夢と現実を行き来する。――どこまでが夢かはっきりしない。一度夢から醒めた、と思っていたけれどアラームが鳴ったということはそれも夢?
ってことは俺、まだフラれてないのかな。
…………それは、ないか。
起きなきゃ、と思いつつ首だけ上げて目の前のカレンダーをぼんやり見る。
……待て、今日は土曜日だ。
目覚ましは必要なかった。くそ、起き損じゃねえか!
俺は布団を被って、再びふて寝した。
+ +
「――――いてっ」
寝返りをうったら、硬いなにかが背中にのめり込んだ。払いのけてみると、それは二か月前の俺の誕生日に珠里がくれたキーホルダー、の『箱』だった。いったいどこから出てきた?
重い上半身を腕で支えて起き上がる。夢に引きずられるように箱をみつめた。下からも覗き込んでみる。振ってみる。そして箱を開けてみた。普通に、箱だ。だが、なぜか、気になる。おかしな夢のせいだってことは百も承知で、ええいっ、と箱を分解してみることにした。
「――!」
俺は手を止めた。
箱の中敷きの下、そこに小さく畳まれた紙があった。震える手で広げて読んだ。
***伸郎へ
誕生日おめでとう。
好きです。
できればカレシになってほしい。
でも伸郎が今の関係を望むなら残念ですが尊重します。
そのときはこれまでと変わらず、友達のままでいてください。
珠里***
俺は、慌てて立ち上がった!
急いで服を着る。頭の中はパニックだ。
俺はいつのまにか、珠里をふったことになっていた。……つうか、この告白、わっかんねーよ!
唇の中でぶつぶつ、あわあわ、言いながら、絡まりそうな手元でベルトを通し、シャツに片方だけ袖を通しながら部屋を飛び出した。――と、ドアの前に珠里がいた。
「やっぱり昨日の撤回したい、……間に合う?」
珠里が明後日の方を見て、呟くように言った。
「つきあう、って言ってくれたやつ、だけど……」
「!」
俺はたまらずに、珠里を抱きしめて、叫んだ。
「珠里! ごめん! 好きだ!」
「ちょ、なんの、ごめ……ん?」
「俺、プレゼントの箱今見た」
「えっ!」
「妖精がごちゃごちゃうるさくて気になっ――」
「妖精!?」
「や、なんでもな」
慌てて口元を抑えた。勢いで「好きだ!」と告白したら一瞬頭が真っ白になって余計なことまで口走った。
俺たちの間に無音が訪れた数秒ののち、腕の中で珠里が言った。
「伸郎の家にもいるんだね、妖精さん」
「……」
「見えないだけでどのお家にもいるしね」
「……」
引かれるどころか、とんでもないことをカミングアウトされた気がする。俺は恐る恐る口を開いた。
「……念のために聞くけど、珠里のところにいる妖精の名前ってミルフェラって言う――わけないか」
ああ、俺の頭、どうかしちゃったな。
笑ってごまかそうとしたとき、珠里は顔を上げ目をキラキラさせて言った。
「なんで、わかるの」
「……」
「ねえ、もしかして伸郎の部屋にいる妖精さんはクレック?」
「!」
「夢の中でよくミルフェラがノロけてるの」
「……」
もうこれは、信じざるを得ない。
俺(たち)の部屋には妖精がいる。
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