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目を開けると腕の中で薄暗がりが広がっていた。数十分、伏せた体勢で話し続けていたから全身は凝り固まっている。だけど、身体を起こしたくなかった。今、笛吹先生がどんな表情をしているのか、知ることがただただ怖かった。  静かな足音が近づいてくる。そして、真正面の位置で足音が止まった。テーブルを挟んだ向こう側に先生の気配を感じる。 「渡くんは────」  頭上から降る言葉の先は何だろうか。拒絶か軽蔑か否定か、それ以外の言葉か。悪い想像が駆け巡る。 「優しいのね」  耳を疑う言葉に俺は思わず顔を上げた。頭の重さにぐらりと視界が揺れる。少しぼやけた視界の向こう側に先生がいた。いつもと変わらない笑みを浮かべた先生がいた。 「優しい?」  声がかすれた。先生は大きく頷く。 「相手が傷ついたことに気付くことができる。それは渡くんが優しいからよ。自分のことが大切で仕方ない人は、相手の傷を気にすることなんてできない」 「優しく……なんて、ない。…………俺は、他人を傷つけてばっかりだ」  目頭を押さえた。溢れそうになる感情を必死に押し殺す。 「そう…………そう思うのね。じゃあ言い方を変えるわ。渡くんが今、苦しくて悲しくて、たくさんたくさん傷ついてしまうのは、必死に自分自身と向き合って戦っているから。自分から決して逃げないから。 逃げないあなたは誰よりも強い、強いのよ。──そんなあなたを私は誇らしく思うわ」  喉の奥から「うっ」と耐えていた声が零れ落ちる。手のひらが熱い。情けない、かっこ悪い、誰にも見せることなんてできない愚かしい姿。泣いてしまうのは、胸が痛いのは、必死に自分と戦っているから。言葉が凍てついた心に染み込んでいく。 認めてあげたい。 どんなに傷だらけの自分でも。 理解してあげたい。 冷たい人になりたいと願ってしまう自分でも。 愛してあげたい。 他人を傷つけてしまう自分でも。  傷も痛みも苦しみも孤独も、己から生まれるすべてを愛することができたら、少しは自分のことを好きになれるだろうか。誰かを愛することができるだろうか。  願うだけじゃ祈るだけじゃ、無意味だって分かっているから、きっと明日も明後日もその先も、  ────俺は戦い続ける。      
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