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山瀬は糸が緩んだように、いつもの屈託のない笑顔を見せる。
「あたし、祐が彼氏だったらいいのにって思うんだよね…………」
それは「告白」ではなく日常会話のように身近な響きだった。友達に「昨日、カラオケ行ったんだよね」というくらいの軽さ。何気ない日常会話のひとつに聞こえた。
友人としてしか見ていなかった山瀬からの恋愛感情に、俺は少々の戸惑いを覚えていた。冷静に考えて一言こう返す。
「他校生の彼氏さんはどうすんの?」
山瀬はハッと目を見開いてから自嘲するように笑う。そして深いため息を吐いた。
「実は振られたんだ…………一か月前に。見栄張って皆には言ってないんだけどね。祐だけだよ。知ってるのは」
コツコツとローファーの音を鳴らしながら、山瀬は俺との距離を詰めてくる。首の後ろに山瀬の腕がするりと回される。重心が前に傾いてバランスを崩しかけた。息のかかるような距離で魅惑的な笑みが浮かんでいる。
回された腕に強く力が込められた。服越しに柔らかい肌と体温が伝わってくる。彼女から漂う甘ったるい香水の匂いに眩暈がした。耳元で小悪魔がささやく。甘美な戯言。
「慰めてほしいなぁ…………あたしは祐が好きだよ」
遠くから踏切のカンカンカンカンという警報音が聞こえてくる。山瀬に抱きつかれたまま、俺は目を伏せた。
「ごめん…………」
息を呑む音、彼女から漂う空気が淡い桃色から藍色へと変化した。パッと飛びのくように身体が離れる。一人分の体温が戻ってくる。俺は態度に出ないように胸を撫でおろす。
「なんでよ……どうして? あたしじゃダメなわけ?」
山瀬は拗ねたような表情で不満を露わにした。形のいい唇がわなわなと震えている。彼女から怒りや悲しみの色が滲んでいた。深い深い藍色。この間、振った後輩も同じ色をしていた。
「ダメとかそういうことじゃなくて…………俺は誰とも付き合う気はないからさ」
口角を上げて眉をハの字にして彼女に藍色を塗り重ねる。俯いた山瀬から雫がポタポタと落ちた。くぐもった声が鼓膜に響く。
「あたしでもダメなんだね…………祐はずるいよ。誰にも靡かないなんて」
涙と言葉を夕景の中に残して山瀬は走り去っていった。追いかけることも引き止めることもなく、俺は立ち尽くしていた。チクリと針を刺したような痛みを感じて胸を押さえる。
ずるくて、ひどいのは山瀬の方だろ。俺だって傷つけたくてやっているわけじゃないんだから。
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