遠くへ行きたい

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「そんなわけで、転校生の櫻井色(さくらいしき)だ。新入りだからっていじめんなよ。」 「……どうも。」 そんなってどんなだよ。 教室に入るなり黒板に俺の名前を書いてから、この一言で木崎の俺に対する紹介は終わった。もう少し紹介するにも順序というものがあるだろうと突っ込みを入れたくなるが、職員棟での短い時間で木崎にそういうことを求めても無駄だということを悟ってしまっていたので、俺も自ら自己紹介などという小恥ずかしいことをするのは止めておく。 木崎もそれに関して突っ込むことはせず、さっそくと室内を見回して空いてる席を探し始めた。 「はいは~い、色は僕の隣がいいと思いまーす。」 突如、中央列の一番後ろからひょっこりと手が上がる。 ああ、そうか。同じクラスだとか言ってたな。 藍原晃(あいはらあきら)。家が向かいだった縁で晃が引っ越す中学の半ばまで何かとつるんでいた幼なじみだ。 背が低いのは相変わらずのようで、立ち上がっても前に座っている生徒のせいでかろうじて本人自慢の艶やかな黒髪と、人懐っこい笑顔が見える程度の身長しかない。いずれ追い越すからと人差し指突きつけられながら意気込んでいた晃の言葉はおそらく一生涯実現することはなさそうだ。 「よし、じゃあ決まりな。」 「……はいはい。」 晃の隣を嫌だという理由はないし、席なんてどうでもいい。俺は床においていたボストンバックを肩にかけると、机の間を通って一番後ろへと向かう。 その途中で、知った顔を見つけた。 肩まである亜麻色の髪、中性的な顔立ちのどこかおっとりした雰囲気の男。 忘れもしない、木崎に「みどり」と呼ばれていた男だ。 向こうも制服は変わっていたが俺だと分かったらしく、すれ違いざま笑顔を見せた。俺も反射的に笑みを返す……といっても彼のやわらかい笑顔とは比べ物にならないくらい引きつったものだったろうけど。 「やっほ~色ぃ、こっちこっち。」 みどりという男と互いに目を合わせたのはその一瞬のことで、俺はすぐに晃の隣の席に腰を下ろした。 よくまぁ体に合う制服があったなと思うほど小柄な体に、小動物を思わせる人懐こさ。藍原晃という男は、いい意味でも悪い意味でも中学のころからまったく変わっていない。 「久しぶり。お前は相変わらずだな。」 「色こそ、相変わらずのテンションの低さだねぇ。顔あわせるのは一年ぶりくらいだよぉ?もうちょっと喜びようがあるでしょうが。」 晃が引っ越してからも繋がりはあったが、ほとんどが電話かメッセージアプリでの会話のみ。しかも大抵晃から連絡してきてほぼ一方的に近況を聞かされるだけだった。 「お前が高すぎなんだろ。俺はこの学校では地味にいきたいんだ、頼むから騒ぎには巻き込むなよ。」 「だ~いじょうぶだって。晃くんにまっかせなさーい。」 バシンッと力任せに背中を叩かれ、思わずむせる。地味にしていたいと言ったばかりなのに、さっそく周りから注目をあびているのだから勘弁して欲しい。 それにしても、晃とのこういうやりとりも久しぶりだ。普段電話越しに会話するときは、大抵晃がしゃべりたてて俺は相槌を打つだけというような感じだったから、面と向かって互いに会話するなんてそれこそ晃の言うとおり一年ぶりくらいだろう。これから毎日この調子なのかと考えると少し頭が痛いかもしれない。 「よーし、そろそろ授業始めっぞ。教科書ひらけー。」 何だか考えれば問題だらけのような気がするが、ここにきてしまった以上は仕方がない。もう覚悟を決めるより他なさそうだ。こうして俺の新しい高校生活は幕を開けてしまったのだった。 ……と、締めくくれればまだよかったろうに。 一筋縄ではいかない新生活はまだまだ幕を開けさせてもらえなかった。
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