眠り姫

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眠り姫

 弓道部は月に何度か、部長の気まぐれで部活が休みになる時がある。今日もそうだった。もとより顧問の先生は関与していない。授業が終わり、いつも通り弓道場へ行くと、伝言係を任されたらしい副部長が、暇そうに携帯を見ていた。そして私は、部長が気まぐれを起こしたことを伝えられた。  突然暇をもらっても特にすることもなく、真っ直ぐ家へ帰ろうと思い、昇降口へ向かう。  自分の下駄箱の前に来た時、私は一瞬動きを止める。  下駄箱から靴を取る時、あるいは下駄箱へ靴を入れる時、まだ時々あの手紙について思い出す。2週間ほど前に受け取った、謎のバースデーカードのことだ。一時期は噂になっていたが、今は全く話を聞かない。ほとんどの人は、自然と忘れてしまっているのだろう。  しかし、私は未だに思い出しては、苦さと甘さが混じったような複雑な気分になる。千翔(ちか)くんに無理やり揺さぶられたような自分の中の何かが、意識と無意識の狭間に出てこようとする。思い出してしまった時は、ため息をつきたくなるような疲労感を覚える。だから、早くいなくなれ、と思いながら、下駄箱をいつもより強めに閉じた。  昇降口を出ると、校庭で部活を始めようとしている生徒がちらほらと見えた。その中に陸上部もいるはずだが、知っている人の姿は見つけられなかった。  朝霧高校は、緩い弧を描いて西からA、B、Cと並ぶ3つの棟と、その南側に広がる校庭からなる。生徒が出入りする校門は、校庭の向こう側、南西に位置していた。よって、教室のあるB棟から校門へ向かうには、校庭の外側に沿って少し歩かなくてはならない。  容赦無く降り注ぐ太陽に、早く沈めと念じながら、校舎に沿って歩いていく。  A棟とB棟の間に差し掛かった時、前方に、生徒会室の少しだけ開いた窓に気づく。中の電気はついておらず、人の気配もしない。いつも窓際に座っている会長の背中も見えない⋯⋯。 「え⋯⋯?」  思わず声が出ていた。私は立ち止まり、目を見開く。窓ガラス越しに見える生徒会室を凝視する。鼓動が速くなっている。  そのまま見なかったフリをして、通り過ぎることもできた。しかし、なぜという疑問とともに、後から思い出してしまうのは目に見えていた。  私は躊躇う自分にそう言い訳をつくって、後ずさるように足を引く。少しだけ、少しだけだと言い聞かせながら、方向転換すると、今来た道を早足で戻る。下駄箱を開けても、あの手紙を思い出すことはなかった。そのまま渡り廊下を通ってA棟へ向かう。
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