思い出話

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 私たちは美味しそうな匂いに誘惑されながら、夕飯をテーブルに並べていった。 「いただきます」  4人で揃って手を合わせる。佐藤家の父は帰ってくるのが遅いそうで、この場にはいない。 「それで、アリスちゃんたちが引っ越した時のことよね。正直、私もあまり良くわかってないのよ。だから、あんまり知らないままに曖昧なことをアリスちゃんに話すのは良くないと思ったんだけど⋯⋯」  佐江さんは真っ直ぐにこちらを見てくる。 「もう子供を抜け出していく時期ですものね。アリスちゃんにとって良くないことなのかもしれないけど、それでも知りたいと言うのなら、少しだけ話すわ」  自分のことを、家族のことを知りたいと思うのは当然のことだろう。  私も彼女を真っ直ぐ見返して頷いた。 「アリスちゃんが引っ越す前日の夜に、何かあったみたいでね。夜中の日付が変わったあとに、隣の家がなんだかざわざわしていたことには気づいたわ」    引っ越し前夜、ということに違和感を覚える。 「だから、翌朝にちょっと様子を見てみようと思って訪ねたの。そしたら若いお兄さんが出てきて、みんな体調が悪くて出てこれないってことと、その日のうちに引っ越すことを告げられたわ」 「若いお兄さん?」  私は首を傾げた。知り合いに若い男性がいた記憶はない。 「お父さんじゃなくて?うちのお父さん、兄って言ってもまだいけるくらい若い見た目ですけど⋯⋯」 「いいえ、お父さんの顔は知っているわ」  佐江さんは、そこで少し記憶を辿るように口を閉じた。何か言おうとするが、出てきたのは結局別の言葉のようだ。 「お母さんの方の親戚だと言っていたわ」 「お母さん1人っ子だし、従兄弟とかも女ばっかりだって言ってた気がする⋯⋯」 「めっちゃ怪しいじゃん、その人」  黙って聞いていた圭貴がすかさず言った。 「みんな体調悪いっていうのもなんか怪しいね」  たるとも、疑り深くなっている。佐江さんは困ったように眉を寄せていた。 「まあ、後でお母さんに聞いてみます。もしかしたら私が知らないだけで、いるのかもしれないし」 「そうね、それがいいわ」  佐江さんはほっとしたように笑った。  彼女も恐らく誘拐のことを知らない。隠すつもりなら、こうやって中途半端に情報を出すことはしないだろう。  しかし、引っ越し前夜に家がざわついていたのは、引っ越しの準備のためか、それとも何かあったから引っ越したのか。誘拐の話と挨拶がなかったということを考えると、後者の可能性が高いだろう。しかし、それならば随分と急だ。  そもそも、誘拐事件があったからといって引っ越す必要もあまり感じない。  そして、母の親戚だという男性。  誰もが隠し事をする。そして、私はその全てを知りたいと思う。そのためには、踏み込んで聞き出す勇気が必要だった。
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