8人が本棚に入れています
本棚に追加
序幕 ネクストステージ
テレビ画面から、華やかな舞台が映し出された。
舞台いっぱいに電飾が点滅、背後にはLEDネオン管から様々な光がきらめく。
頭上、正面、舞台袖側面からムービングライトが狂ったように、灯体が前後左右自由自在に素早くシャッフルして動いて、舞台、そこにいる団員を照らす。
さらに、客席にもムービングライトの光りが激しく交差する。
その光の洪水は、日常生活の数十倍もの光の束だった。
大階段にいる主役が一瞬上を見上げる。
桜色、金色、紫とこれも様々な紙吹雪が舞い落ちていた。
ドローンが紙吹雪籠を持って、舞台、客席を旋回しながら紙吹雪の束を投下していた。
客席からその都度、大きな歓声が広がる。
観客の中には、その紙吹雪を記念に持って帰ろうとする者もいた。
同時に耳をつんざくばかりの、音響がさらに盛り上げる。
スピーカーは舞台上手下手袖はもちろん、頭上の照明器具を吊っているボーダーラインにも特設に仕込まれていた。
さらに客席を覆う壁、地面からも地響きのように、音が溢れていた。
観客は、全員総立ちだった。
名残り惜しいのはもちろん、この瞬間、この一瞬を逃してなるもんかと全員、目を大きく開けていた。
(だって、次はもうないのだから)
そう。
次はない。
これが最後のステージ。
まさしくラストステージ。
さらに云えば、もう芝居、レビューが終わりを告げて、大ラスに向かっていた。
観客全員思っていた。
この時間が永遠続きますようにと。
しかし時間は止まってくれない。
どんどん突き進んでいくのだ。
この日、何回目のカーテンコールなのだろうか。
何十回も続く。
いつ終わるのか?
でも終わって欲しくない。
この客席にいる全員思っていたのだ。
大階段を何度も往復していた、黒のタキシード姿の団員が両手を大きく広げた。
その瞬間、音もムービングライトのシャッフルも頭上から降り注ぐ紙吹雪もぴたりとやんだ。
さっきまで歓声の渦の中にいた観客も口をぎゅっと結んだ。
歓声の津波が去り、静寂さが押し寄せる。
タキシード姿の団員がゆっくりと客席を見渡す。
サイドの照明の光りで、涙が光る。
その涙を見て観客からも大きな涙が続々と生まれた。
「本日を持って、私、七色彩香は、京塚歌劇団を去る事に致しました」
「やめないでくれい!」
あのいつも見に来る男の声だ。
男はいつもタンバリンを持っていた。
必ずフィナーレ、カーテンコールでタンバリンを打ち鳴らす。
彩香は、密かに「タンバリン」それを略して「タンバ」と呼んでいた。
「もう決めた事です」
「撤回してえ」
「いえ出来ません」
さっきから客席で叫ぶ女性に案内係が後ろから走って来て制止した。
「京塚歌劇団虹組・七色彩香は今日、このステージを持ちまして終わりです。デビューから約5年皆様の温かいご支援でここまで走って完走出来ました事は、本当に本当に」
ここで彩香の声が途切れた。
涙で客席が歪んで見える。
最後まで泣かないでおこうと決めたのに、ついに涙のダムが崩壊してしまった。
「頑張ってえええ」
また別の観客が叫んだ。
「もう頑張った、充分頑張った」
自分に云い聞かすように何度も首を振りながらゆっくりと言葉を区切った。
「明日からは、七色彩香の名前は封印して別の人生を歩んで行きます。それは」
そこで彩香は、ゆっくりと顔を上手から中央、下手と移動させた。
同じ動作を、二階席、三階席にも振り向けた。
ここにいる全員が聞きたかった事だ。
突然の自らの引退宣言。
まだ若いのに、これからどうするのか。
テレビ、映画へと向かうのか。
それとも全く別の世界に行くのか。
「別の人生、ネクストステージは・・・」
彩香はこの後、口パクで5文字つぶやく。
この5文字を巡って暫く、ネット社会では大論争になった。
朝、昼のワイドショーもこの話題を取り上げて、さらには口の動きで言葉がわかる専門家をスタジオに呼んで、色々と詮索していた。
候補に挙がったのは
「習い事」
「パティシエ」
「女将さん」
「仲居さん」
「おうどん屋」
「たこ焼き屋」
「生け花師」
「女医さん」
「衛生士」
「陶芸家」
等多数に上る。
しかしどれもこれも決定打に欠けていた。
引退後は一切マスコミから消えた。
ここで立花薫はビデオのスイッチを切った。
立ち上がり、鏡に向かう。
短髪の似合う何処から見ても、イケメン、男だった。
鏡に向かってつぶやく。
「ネクストステージは、あらしやま・・・」
最初のコメントを投稿しよう!