第2幕 大河内山荘庭園~殺陣師の懺悔~

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第2幕 大河内山荘庭園~殺陣師の懺悔~

    ( 1 ) 「何だ、へなへなの若造かあ」  男は、薫を一べつするなり大きなため息を薫に吐きかけて、芝居かかったかのようにわざと落胆の空気をも大量に辺りにまき散らしていた。 「どんな人を想像してたんですか」  そんな空気を一ミリも吸い込まず薫は笑みを送った。  胸元に、薫特製のバッジが光る。 「嵐山で観光人力車引いてるんだから当然、ガタイのいい色黒のあんちゃんかと思ったさあ」 「そっち系がお好みだったんですか」 「いや、あんたでいい」 「有難うございます」 「本当に色白で若い!まるで女みたいだな」  こころの奥底に土足で上がり込み、素手で素性を鷲掴みする感覚に薫は襲われた。  身震いを隠すために、人力車の方向を転換させる作業に入った。 「ではどうぞ」  乗り込み口に小さなあいびきを置いた。 「あいびきかあ。懐かしいねえ」 これは、正座する時に、足が痺れないようにお尻に敷くものだ。  昔の劇場の升席には必ずあったが今はほとんど見られなくなった。  男は右足を少し引きずっていた。 「昔、階段から落ちてねえ。若かったらすぐに治ってたけど年いってからだったので後遺症が残る」 「そうだったんですか」  男は右足を先に出して乗り込んだ。 「あっ間違えた」  ペロッと舌を出して笑った。  松葉杖をつく程のものではない。  あえて薫は、その事を聞かないし見ないようにしていた。  ちらっと乗り込む時、足元は見ていた。 「行って欲しい処があるんだ」 「はいどこですか」 「大河内山荘だ」 「了解しました」  大河内山荘庭園は、ここ嵐電「嵐山」からは歩いても10分もかからない。  駅前の世界遺産の天龍寺を参拝して竹林の道を通ってのコースは、嵐山を訪れる観光客のほとんどが辿る黄金ルートだった。  すぐに竹林の道に入る。  相変わらず観光客が多い。 「お早うございます。失礼します。人力車通ります」  薫は大きな声で云う。 「口跡がいいな。舞台役者に向いてるな」 (口跡)と云う単語を使うのは、この男は業界関係だろうか。  前もってLINEで貰った経歴では・・・  頭の中で素早く経歴を履歴していた。  男の名前は常盤孝史。無職。独身。  年齢は50歳。東京在住。  50歳で無職は一番つらい世代だ。  もし会社員ならこのご時世、一番リストラに会う世代でもある。 「胸元の割引バッジはどこで」 「ああこれか。いきなり渡されたんだ」  東京駅丸の内南口でだった。 「俺の顔見るなり(京都観光ならこれがいいです)と」 「ひょっとして姉妹」 薫は一瞬法子と輪子の顔を思い浮かべたから、そう云ったまでだ。 「いや一人だった」  ひょっとしたらどちらか一人の時だったかもしれない。  バッジにはアクセスホームページが記載されている。  すぐにアクセス出来るようにQRコードが添付されている。  これも寺男が作成した。  あれから奥谷法子、輪子姉妹は自分のツイッター、インスタで薫の人力車を宣伝してくれている。  にわかに予約が急増していた。 「嵐山は昔から観光地で人気あったけど、こんなに混んでなかった」  常盤が、法子と輪子が云った言葉を同じく云ったのでおかしかった。 「おかしいか」  常盤は、薫の背中越しに言葉をかけた。  人の背中で笑ったかどうかわかるなんて一体何の仕事をして来たんだろうか。 「常盤さまは鋭いんですね」 「ああ鋭い」 「一体どんな仕事されて来たんですか」 「俺か。まあ大河内山荘庭園に着いたらおいおい教えてやるよ」 「有難うございます」  本当にその正体が一刻も早く知りたくて、薫はさらにピッチを速める。 「竹林の道に入りました」 「ここ夏は涼しくていいんだな」 「今はまだ寒いくらいですね」 「桜が咲いていても今年は何だか寒いよね」 「はい。この竹林の道ですが」 「ああ説明しなくていいよ。人力車引きながら喋るの大変だろう」 「有難うございます。しかしこれも仕事ですので」 「本当にいいよ。もうこの道、30年は通いつめたから」 「通いつめた?」 「ああ30年」 「ひょっとして大河内山荘庭園にですか」 「まさか。そうじゃない」  次の言葉を待ったが常盤はそれ以上口を開こうとはしなかった。  竹林の道の突き当りはT路地になっていた。  観光客のほとんどは、右に折れてさらに奥にある祇王寺などを目指す。  薫は突き当りで人力車を止める。  ここが大河内山荘庭園の入り口だった。  入園料はお茶席込みで一人千円だった。  常盤は素早く二千円を取り出して 「二人」とつぶやく。  薫は自分の分を出そうとしたが 「それはいいから」  鋭い目と口調で云われると、もうそれ以上何も云えなかった。  前方にある中門を通り抜けて、「大乗閣」と呼ばれる和風建築に出会う。  中には入れないが、威風堂々たる姿である。  目の前の桜の樹木が満開だった。 「嵐山は、京都市中心地よりも満開がいつもやや遅れてます」 「そうだよなあ」  暫く借景の山々を見る。  ここからは比叡山を初め、大文字の送り火で有名な如意ケ岳などの東山の山々が見える。  春の日差しは夏と違ってぼんやりと人の肌に降り注ぐ。  風は、どこまでも柔らくて、くすぐったいほど撫でるようにゆっくりと時間をかけてまとわりついてから通り過ぎていた。  並べられている床几には赤毛氈が敷かれていた。  ここに寝転がってずっといたいくらいだった。 「これらの山々を借景に作った庭園」 「贅沢ですね」 「おや、お前さんのような若造でもわかるのか」 「わかりますよ」  常盤は口元に、一瞬だけ笑みを灯した。  しかし、その明かりはすぐに消えた。  常盤は、踵を返すと今来た道を戻り始めた。 「常盤さん、庭園散策しないんですか」 「いやもういいんだ」 「どこへ行くんですか?もう帰るんですか」 「ついてくればわかる」  今日二回聞くフレーズだ。  常盤は早足で下る。  トイレの表示がある所へ進む。 「何だトイレか」  しかしトイレではなかった。  その隣りにある「記念館」だった。  屋根はついてなくて真ん中に砂利を敷き詰め、ロの字に壁がある。  そこに色々なパネル、写真、年譜があった。 「大河内伝次郎は30年かけてこの庭園を造ったんだ」  まだ無声映画の時代から活躍した伝説の時代劇スターでもある。  年譜を見ると34歳(昭和6年(1931年))から亡くなる昭和37年(1962年)までの30年の長き歳月をかけて、こつこつと作り続けた。 「伝次郎は高額なギャラをここの庭園作りに使った」 「ええ」 「執念だな」 「執念ですか?」 「鬼のような執念」 「鬼ですか」 「ああ奴は鬼だ。でないとこんな広大な庭園を造れないだろう」  確かに常盤の云う通りだった。  常盤の口調にも鬼に迫る気迫があった。 「役者って大体高額なギャラ貰ってもその金は酒、女、博打に消えてしまう」 「世間一般ではそう浸透してます」 「俺が見て来た役者も大概そうだった」 「見て来た?常盤さん、そろそろ正体を明かして下さいよ」 「正体?面白い。明かしてやろう。じゃああそこへ行こう」 「どこですか」 「ついてくればわかる」  三回目の常盤の常套句。 (常盤さんの口癖なのだろうか)  中門前の右手に「お茶席」と書かれた表示があった。  建物の中と外に席がある。  外には赤い毛氈が敷かれていて桜の花が垂れ下がり、満開の饗宴を競っていた。  外に座る。  抹茶と干菓子が運ばれて来た。  常盤は、一口抹茶をすすり話し始めた。 「俺は(嵐山映画撮影所)にいたんだ。知ってるか」 「もちろんです。嵐山撮影所。通称嵐撮らんさつでしょう」 「そうだ。そのらんさつだ」 「いたんだって?今は」 「やめた」 「芽が出なくて辞めたんですか」 「ちょっと違うなあ。芽を摘まれた。いや引っこ抜かれたんだ」  常盤はじっと薫の顔を凝視した。 「俺はランサツで殺陣師やってたんだ。殺陣。わかるよね」 「はい。もちろん」  薫はこの時、もう少しで、 「京塚歌劇団でも殺陣の稽古ありました」  と云いそうになるのをぐっと呑み込んだ。 「今の若い役者はなっとらんよ。刀の刃先を上に向けて持ちやがる」 「危ないですね」  薫は苦笑した。 「まあ色々あって、ある時事故は起きた。いや事件かな」  本来殺陣はもちろん摸擬刀で本物ではない。  しかし、その時主演の役者が本物を使えと云い出した。 「しかも、殺陣する若い役者の親父だよ。つまり息子にわざわざ危ない目にあわそうとしたんだ」  これには流石にプロデューサー、監督が反対した。 「皆がいる前で、親父が息子に云ったんだ。(お前はどうなんだ。やる気あるのか)と」 「きつい場面。もう逃げられない場面ですね」 「ああ。そうだ。息子は渋々うなづき、やると云った」  入念の稽古、リハーサルを重ねた。  さらに万が一に備えて医者看護婦も待機した。  そして本番。 「そこで事件は起きた」 「どうして起きたんですか」 「今となってはわからない。兎に角、あれだけ稽古したのに、息子は間違えて飛び込んだ」 「そして切られた」 「そうだ。絶対間違わない場面。何度も何度も稽古した」 「稽古では一度も間違わなかったんですね」 「そうだ。しかし、息子は間違えた」  真剣で顔から切られて出血多量で危篤。  警察が来て、常盤の取り調べが始まる。  多くの関係者、その時の様子は、映画撮影なので何台ものカメラ撮影の証拠もあった。  常盤は業務過失致傷害で逮捕。  しかし多くの関係者の嘆願書もあり、執行猶予付きの実刑判決が下った。  一気に話し終えた常盤のおうすに一枚の花びらが舞い降りた。 「さくら茶かあ」 「それで常盤さんは、嵐撮をおやめになられたんですね」 「そう云う事。今日はその息子さんの命日なんだ」 「それで京都に」 「ああ。墓参りついて来てくれよ」 「わかりました」   二人は席を立った。  竹林の道の脇に広がる墓地にあった。  二人で墓の前で拝んでいた。 「常盤くんも来てくれたか」  その声に薫も振り返った。 「親父さん!」  時代劇の大御所宇多野陽三とその夫人の圭子が立っていた。 「そちらの青年は」 「立花薫と云います。嵐山で人力車を引いてます」 「そうでしたか」 「亡くなってから・・・」  陽三は、ここで歳月を指で折って数え始めた。 「親父さん、16年です」 「16年は一昔・・・ああ、夢だ夢だ!」  歌舞伎「熊谷陣屋」の大詰の台詞だ。  まだ16歳の我が子を、主君のために身代わりに殺してしまう熊谷直実。世の無常を悟って、出家に出かけるのである。  陽三は、役者らしく芝居気たっぷりに鷹揚に云う。  まさにここが墓地ではなく、劇場なら大向こうの掛け声がかかるものだった。  もちろん薫も知っていた。  圭子は俯いて、小さな肩を震わせていた。 「俺にとっては夢ではなく悪夢でした」  常盤はつぶやく。 「夢なんかじゃありません!事実、現実です」  今まで俯いていた圭子は、はっきりと大きく声を上げた。 「私は今でもあなたを許していませんから」 「すみません!」  常盤はしゃがみ込んだ。 「圭子、よせ!」 「親父さん、圭子さん許して下さい」 「いいえ、許しません」  圭子は常盤の頭を叩き出した。  その手は初めから緩くて、緩慢なものだった。  何度目かの腕を上げた時、後ろからそっと陽三が腕を両手で覆ってやめさせた。 「もうそれぐらいでいいだろう」  圭子は今度は陽三の中で泣きじゃくった。 「すまんすまん。全部わしが悪い。わしの責任。常盤はわしに云われてやっただけ」  撮影の時の摸擬刀ではなく真剣を使うように指示したのは宇多野陽三である。  再び静寂がここにいる四人を支配した。  一陣の春の風が巻き起こる。  墓の前にある水受けの中の水が細かく揺れている。  葉っぱが風で煽られて飛んで行く。  じっとその様子を薫を除く三人は目で追う。  薫は墓石をじっと見ていた。  何か得体の知れない違和感が身体全体を取り囲む。 「どうかしましたかな」  陽三が顔を覗くように聞いて来た。  薫は空を見る。  振り返り、公平が眠る墓石を見つめる。  太陽の光りを受けて光り輝く墓石。 「16年かあ」  顔を上げたまま陽三はつぶやいた。  その言葉に、はっとして薫はスマホを取り出して墓石を写真に撮り、メールで寺男に送信した。     ( 2 )  常盤は、宇多野夫妻が住む屋敷を訪れた。  薫は人力車で送り届けた。 「お前さんも入れよ」 「いいんですか」 「ああ」  敷地200坪はある。  和風建築の二階建てだった。  廊下の突き当りに襖が見えた。  薫はその前で立ち止まった。  部屋の中から、何やら気配が感じられた。 「そこはガラクタ入れの部屋。応接間はその手前だよ」  背後から陽三が声をかけた。  応接間に通された。  あの泣きじゃくった圭子さんは、着替えて着物から洋装になっていた。  顔色は晴れやかだった。  お手伝いさんが人数分のお茶、コーヒー、紅茶とケーキを持ってテーブルに並べていた。  何冊かのアルバムもあった。 「薫さんとやら、まあ見てくれ」  白黒写真から始まり、カラー写真まである。  嵐撮での撮影を事細かに撮影したもの。  撮影終了の役者、スタッフ一同の合同写真。  控室での一コマ。 映画上映、テレビドラマでの打ち上げ写真もあった。 「これは祇園のお茶屋貸し切りの写真」 「凄い!さすがはお金持ち」 「いいや、これは全部映画会社が持ってくれた」 「祇園界隈全てストップさせて撮影したんですのよ」  圭子は補足してくれた。 「これが息子の公平だよ」  どことなく圭子に似ていると思った。  薫は、了解を取って、これらの写真をスマホで撮った。 「これは、どなたが書かれたものですか」  薫は一枚の色紙に目がいった。 「亡くなった公平が書いたものです」  それには、 「一生懸命頑張る」  と書かれていた。 「兎に角、今と違って街の中でも平気で爆薬使ったり、派手なホースチェイスやってたからな」 「何なんですか?そのホース何とか」 「馬と馬との追いかけっこの事だよ」  笑いながら陽三は云った。 「車と車の追いかけっこがカーチェイス。それの馬版ともうしましょうか。馬は英語でホース。だからホースチェイス。この人が云い出したんです」  圭子も陽三の笑いに釣られながら喋った。 「京町家の中を馬50頭ぐらい疾走させて撮った」 「もちろん、警察には無許可です」 「凄い!それ見て見たかった!」 「ビデオならあるよ」  すぐに見せてくれた。  時代劇で、馬が走る。 「カメラは、町家の二階やら屋根の上に乗って撮った。  薫は驚いたのは、疾走する馬から馬へと飛び乗っていたのだ。 「これ、今なら絶対やりませんよ」 「そのスタントマンは優秀だったな。失敗はなかった」 「元々台本にはなかったんですけど、この人急に云い出してねえ」 「無茶ぶりですね」 「そう。無茶ぶりの陽三」 「でもギャラは弾んだよ。一年分くらいの金を出したよ」 「出したよって。自分が出したみたいな云い方して」 「それもこれも映画会社が出したんですね」 「ああ。いい時代だったなあ」 「そうですねえ」 「もう出来ない」 「と云うか、テレビも映画も時代劇そのものを撮らなくなったでしょう」  云われてみればそうだ。  薫の小さい頃は、まだテレビ時代劇が存在していた。  さらに年末は、オールスター出演による「忠臣蔵」と決まっていた。  いつしかそれもなくなった。 「何でなくなったんだろうなあ」 「時代の流れですよ」 「こんな面白いソフトなのに」 「そうは云ってもねえ」 「スターウォーズのジョージルーカスもコッポラも日本の時代劇、殺陣のシーンを自分の映画に取り入れている」  云われてみればそうだった。  じっと常盤は黙って三人のやり取りを眺めていた。 「おい常盤、お前も何とか云え」 「寂しいです」 「それだけかよ」  陽三が寂しく笑った。 「息子さんは、切られて病院に担ぎ込まれたんですよね」 「そうだ」 「親父さん、その時公平お坊ちゃまは何か云われましたか」 「それは・・・」  陽三は圭子を見た。 「もう云っていいでしょう。あなた」 「わかった。公平は(間違えた)と」 「やはり過失を認めたんですね」 「すまん。その事をあの時警察に云ってれば、常盤も実刑が下らなかった。すまん」 「親父さん、いいですよ。執行猶予ついたから刑務所には入らなかったですから」 「間違えた・・・」  薫は、公平の最後の言葉を反すうしていた。  明日もう一度嵐山で落ち合い、観光を同行する。  薫は、嵐山の住宅の一角に人力車を止めると近くの福田美術館へ行く。  保津川と平行してある歩道のそばに出来た美術館である。  カフェの大きな窓から保津川、渡月橋が庭越しに見えた。  薫が行くとすでに寺男がいた。 「お待たせ」 「今日は」  薫を待っていたのは、寺男だった。 「お姉さんたち元気なの」 「元気で営業やってます」 「有難いわあ」 「それ二人に云ったら喜びます」  寺男はあれから、薫のブレーンとして働き出した。 「それで何かわかったか知らん?」  すでに常盤を迎えるにあたって、事前打ち合わせが行われていた。  当日、さらに新たな事実が解る事もあった。  二日目のフィナーレを飾るにあたって、重要な事だった。 「まずはこれ見て下さい」  パッドを起動させる。  ワイドショーだ。  16年前のあの事件を報じていた。  詰めかけるレポーター、報道陣。  その数は500人を越えていた。  当時如何に、世の中の関心があったかだ。  まだそんなにネットは普及しておらず、やはりテレビが情報の王様として君臨していた。  レポーターが陽三の周りを取り囲む。 「何で本物の刀を使ったんですか」 「良い映画を作るためです」 「危険でしょう」 「そんな事百も承知だ!」 「じゃあ何故やったんですか」 「だからさっきから云ってるだろう。良い映画を作るためだと」 「今、入院中の息子さんの公平さんに一言お願いします」  陽三は、ぐっとカメラ目線で睨む。 「公平よ!逃げるな!以上!」  途中で会見を打ち切り歩き出す陽三。 「何から逃げるななんですか」 「もっと具体的に我々、テレビをご覧の皆様にもわかるように説明して下さい!」 「何だと」  陽三が立ち止まり、ぐっとレポーターを睨む。  蟻の子供が蹴散らすように、さあーとレポーターが引いて行く。  それだけ陽三の眼光鋭いオーラは寄り添うものを跳ねのける威力があった。 「説明だと?俺は息子の公平にわかればいいんだ」 「この時点では、まだ息子さんは死んでなかったんだね」 「死因は何なの」薫は寺男を見た。 「公式見解では、治療後の体調不良だとか」 「つまり病院は退院したんだ。でももう一つはっきりわからないのか」 「ええ。常盤さんも傷害罪で起訴されて、執行猶予三年付きの判決出てますから」  薫は頬杖ついて瞳は遠くを見る態勢を取った。  深く考え事する時にやる癖だった。 「兎に角、常盤さんとの殺陣で負った傷が元で体調を崩して亡くなった」 「それで、公平さんの葬儀は」 「それが妙なんですよ」  寺男がパッドを見せた。  何種類かの新聞記事が載っていた。 「葬儀は家族だけの密葬で行われた・・・」 「大御所の息子の葬儀だったら、大々的にやるはずなのに」 「悲しみを身内だけで共有するために、家族葬でやる場合はあるわよ」 「そうかなあ。あんな大事件の被害者でしょう。それなのに」 「確かに。でも・・・」  ここで薫は言葉を止めた。 「何ですか」 「何か気になるのよねえ」 「何がですか」 「それがわからない。でも気になる」 「もったいぶった云い方しないで、薫さん教えて下さいよ」 「わかれば、ラインする」  さらに続きを見る。  NHKの全国放送でも取り上げらた映像が続く。 「これは凄いねえ」 「さらに全国紙の社説でも取り上げられている。  寺男がパッドを操作する。 「究極のリアリズムとは」  毎朝新聞の社説だった。  社説では映画で銃撃シーンで本物を使うのか?  宇多野陽三はリアリズムを曲解してる。  そんな論調だった。 「確かに。忠臣蔵で判官切腹の場面でこのリアリズムで行けば、本当に腹を切る事になるからね」 「痛そう」  薫は顔をしかめた。 「ていうか、二度と出来ないでしょう」 「はいその通りです」 「当時としては大変な出来事だったんだね」 「私も寺男も知らない話」 「生きてたけど、よく記憶にないなあ」 「私も」 「この事件で、常盤さんは、殺陣師をやめようと決心したが」 「陽三さんが止めた」 「そうです。しかし」  薫は続きの寺男が用意した映像を見て一つ納得した。 「そう云う事かあ」 「大御所の宇多野陽三も引退じゃないけど、めっきり映画もテレビドラマも出なくなった」  次に薫は、昨日宇多野家で撮ったアルバム写真を見せた。 「凄いねえ。昔は豪勢だったんだな」 「でしょう」 「昭和は遠くなりにけり」 「昭和、平成、令和。どんどん遠くになる」 「あれ、これ何ですかね」  寺男は一枚の集合写真を見た。  亡くなった公平さんが、何か紙片のようなものを常盤に渡しているのが見えた。  日付を見ると、亡くなる直前だった。 「これは気づかなかったなあ」  二人の後ろには常盤が立っていて、じっと見ていた。 「でも変よねえ」  おもむろに薫はつぶやく。 「何がですか」  パッドの画面を見ていた寺男が顔を上げた。 「記念撮影の時に、そんな事するかなあ」 「それもそうですね」 「だって、紙には何か書いてあった。そんな事、撮影が終わって二人きりの時に何処かで渡せばいい話でしょう」 「もう当事者の公平さんがいないから、陽三さんに直接聞けば」 「そうよねえ。あとで連絡する」  薫の頭の中にはどんよりとした雲がいつまでもかかっていた。 「真剣の刀は陽三のもので、事件が起きた当日、小道具が用意してたそうです」  寺男がパッドを操作する。 「偶然、事件起きるまで追っかけ取材入ってまして、稽古からカメラが撮ってました」  画面に再び目をやる。  最初、常盤が公平に段取りを教えていた。  初めはゆっくりとした動作だった。  後方でディレクターチェアに座って見ている陽三が映っている。  流石に16年前なので三人とも若い。  特に陽三は髪の毛が真っ黒で白髪もなく肌も勢いがある。  この16年の歳月で一気に老けたのがわかった。     (3)  翌日、嵐電「嵐山」駅構内で常盤を見つけた薫はすぐに人力車に乗せて走り出す。  再び竹林の道に入る。 「何だまた竹林の道。また大河内山荘庭園へ行くのか」 「いえ、今日は違います」 「どこが違うんだ。同じ道じゃないか」 「いえ」  言葉短めに薫は黙々と走らす。  昨日よりもピッチが速い。  途中で右に入る。 「ここは・・・」 「この人力車専用道です」  今までの混雑が嘘のように、観光客も他の人力車もいない。  道は緩やかなS字カーブを描いていた。  アスファルト舗装ではなくて、枕木を敷き詰めていた。  人力車に乗った人が怪我しないように、綺麗に竹林の枝が切り揃えられてあった。  うっそうと茂る竹林が突然途絶えて、前方に大きな野外劇場が顔を出した。 「ここは!」 「劇場です」  人力車を止めて、常盤を降ろす。  客席へ誘導して座らせる。 「一体これから何が始まるんだ」 「あなたの事件、レビュー上演させていただきます!」  薫は一礼して立ち去る。 「俺の事件?レビュー?あいつは一体何者なんだ!」  常盤は、振り返り辺りを見渡す。  今は客席には、誰もいない。  周囲を竹林が取り囲む。  上手、下手、後方にイントレが組まれていた。  そこにはライトが吊られていた。  後方中央には一段と高いイントレがある。  センタースポットライト室だ。  客席通路には椅子の足元にはステップライトが設置されていた。  花道もある。  花道の両側にはライトが埋め込まれている本格的なものだ。  後方の揚げ幕には「紋」が描かれていた。  嵐山の竹林をモチーフにしたものだ。  次に舞台を見る。  本格的な檜作りだ。  舞台には屋根がある。  ボーダーライトが5列ほどある。  常盤が見ていると定式幕が上手から下手に向かって閉まる。  茶色、柿色、萌黄色の縦の列の本格的な歌舞伎公演で用いられているものだ。  上手下手には鳴り物が待機する所もあった。 「一体いつから、こんな本格的な野外劇場が出来たんだ」  これは夢じゃないのか?  狸に化かされているんじゃないのか。  思わず常盤は、自分の頬をつねる。  緩やかな痛みがじんわりと生まれた。 「大変長らくお待たせいたしました。只今より常盤貴司物語の開演でございます。最後までごゆるりとご鑑賞下さい」  薫の声だ。  琴の音色があちこちから聞こえる。  座った座席の背中からも、通路したからも、そして周りの竹林からも聞こえる。  何故?  と思った瞬間だった。  周りの竹林が一瞬にして上に飛んだ。 「うわっ!」  思わず常盤は声を上げてしまった。  突然舞台にムービングライトの光りの放列、シャッフルが始まる。  上手下手袖から煙とドライアイスが流れ出す。  光りのタッチが際立つ。  舞台全面に障子戸が並べられる。  上手に忍者軍団。  下手に一人の武士の姿が影となって浮かぶ。  障子戸のさらに奥からライトが当たり、バックライトの機能を果たしていた。  しばらく、シルエットで激しい殺陣が始まる。 「ぐわあああ!」  雄たけび上げて忍者軍団が障子を突き破って舞台前に転がり込んで来た。  さらに大勢の忍者が舞台袖、後方通路、さらにイントレのの鉄骨を上から滑り落ちて来た。  破れた障子戸の奥に煙が漂う。  その煙の中から颯爽と出て来る女忍者。  薫だった。 「待ってました!」 「立花薫!」 「たっぷりと!」  あちこちからの大向こうに、常盤が振り返る。  いつの間にか、客席が満席になっていた。  客席のあちこちから大向こうの掛け声がかかる。  久し振りに見る本格的な立ち回りだった。  常盤の鼓動は高まり早くなる。  一瞬にして顔も身体も奥底から熱くなる。  ほとばしる高揚感。  久し振りに味わうものだった。 「やっちまええ!」  約20人はいる忍者軍団に一人立ち向かう薫。  薫は奮闘するが、多勢に無勢だから無理な話だった。 「常盤さん助けて!」  薫が客席にいる常盤を見て叫んだ。  とその時後ろに待機していた案内係が刀を持って足早に来た。 「どうぞ舞台に」  膝まづいて案内係は手で舞台を示した。 「ときわ!ときわ!」  客席からは「ときわ」コールと手拍子、足拍子が同時巻き起こる。 「わかった」  常盤は、刀を受け取り舞台へ上がる。  異常な盛り上がり方である。 (これは、どこまでが舞台、虚実でどこから真実なのか)  一瞬戸惑う。  とその瞬間、忍者が飛び込んでくる。  さっと体を交わして、刀を素早く抜く。 「スパッ」  と同時に忍者から鮮血が飛び散る。 「うおおおお!」  地鳴り?地震か?  いやそうではなかった。  客の雄たけび、拍手だった。  常盤と薫は背中合わせになり次から次へと忍者を切り捨てた。  最後の一人が倒れる。  やれやれこれで終わりかと思った瞬間。 「まだおるぞ!」  大きな声と共に、揚げ幕が開く。  出て来たのは、宇多野陽三だった。 「お、親父さん?何で?」  花道七三で客席に向かって見得を切る。  大きな拍手が幾重にも重なる。 「ラスボス!」 「陽三!」 「これもたっぷりと!」  大御所の登場に客席が大きくどよめく。  それは人々の興奮の波紋でもあった。  三台の一人乗りドローンが舞台奥から出て来た。  常盤は薫に促されて乗った。 「俺、操縦出来ない!」 「大丈夫!自動運転ですから」  乗り込むとすぐにドローンは上昇し始めた。  客席上空10メートルばかしの所を上下し始めた。 「勝負!」  陽三はドローンの操縦席から立ち上がり、仁王立ちした。 「親父さん!危ないですって!」 「何が危ない!それでも殺陣師か!お前もやってみろ」 「そんなあ落ちたらどうするんですか!」 「薫さんだってやってるぞ」  顎をしゃくっていた。  見ると薫も立っていた。  恐る恐る立ち上がる。   三台のドローンが客席上空で立ち回りをやり始めた。  案内係が客席に何やら配り始めた。 「パーン!」  クラッカーである。 「ヒューン」  七色の紙テープがあちこちから飛び交い、ドローンとそれぞれの人物の頭、肩にまとわりつく。 「来い!常盤!」  陽三が仁王立ちでドローンが近づく。 「頑張って!」 「やっちまええ!」  興奮の世界波がすっぽりと客席舞台を覆っていた。  最初戸惑っていた常盤は、すっかりと昔の勘、殺陣師としての勘所、技を取り戻していた。  春なのにぐっしょりと汗で覆われた。  額、頭、全身から汗が絶え間なく吹き出す。  しかし、それは同時に心地よいのだ。  ふと客席見たら圭子夫人の姿も見られた。  薫も途中で客席に圭子が来ているのに気づいた。  隣には見知らぬ青年が見えた。  青年の表情は、喜怒哀楽全てが消えた、生彩のない顔で、異様に顔が白かった。  青年の膝の上には色紙のようなものが置いてあった。  客席中央で、ドローンに立って二人の殺陣が始まる。  刀を振り回すと、 「ヒューン!」  刀同士が触れ合うと 「カキーン」  の効果音がその都度入る。  見事な音響効果係の腕である。  一度ドローンに上で殺陣をやると怖くなくなった。  常盤も陽三もどっぷりと虚構の世界に浸っていた。  それよりも数倍浸っていたのは、もちろん観客だった。 「うわっ」 「駄目!」  思わず声を上げ、中腰になり声援を送っていた。  時より吹く風が竹林を大きく揺らす。  竹林を通り抜ける自然の風が絶妙な効果を出していた。  周りが竹林なので、現実離れを加速させていた。  つまり「体感型劇場」なのだ。 「来い!常盤!」  陽三は常盤の名前を叫んだ!」 「お、親父さん!」  思わず常盤も普段口にする「親父」を云った。  ドローン対決は決着がつかない。  再びドローンが舞台に降りた。  二人はドローンから降りて向かい合う。  常盤はすぐにわかった。  陽三が、息子「公平」の役。  自分があの時の、役。  16年の歳月を経て、再現していた。  それは薫も観客もわかっていた。  16年前と全く同じ段取りだった。 (では果たして、今、目の前にいる陽三は、公平が失敗、間違ったように同じように間違うのか?) (それとも、あの時の稽古の時と寸分たがわぬ段取りで切り込んで来るのか) (親父どん、どっちなんだ!)  常盤は叫んでいた。  さっきまで歓声、手拍子、足拍子で大きくどよめいていた客席が今度は凍り付いていた。  観客全員が椅子に縛られたかのように固まっていた。  その時、突然、薫は義太夫三味線を持ち、二人の間に入りながら歌い出した。  創作浄瑠璃「色々間違出来事」  ♬  色々な人の    色々な間違い  間違いと     間違い結ぶ縁  公平の間違い   ちょっとした間違い  常盤の間違い   油断禁物  陽三の間違い   苦渋の決断  紙片の伝達    そもそもの間違い  嵐撮で起きた   人々の間違い   世間での間違い  間違いの歳月  如何ほどの    歳月流れようと  覆水盆に返らず  覆水盆に返らず  二度と戻らぬ   時間なれど  人々のこころの  間違いは  今なら訂正出来る やり直せる  私達は願う    明るい希望に向かって  やり直せる    やり直せる  陽三も常盤も刀を相手に向けたままじっと薫の歌に耳を傾けていた。  演奏が終わると地響きかと錯覚するほどの拍手、口笛、声援が折り重なって舞台と客席を揺るがした。  その嵐が静まるのを待っていた陽三と常盤だった。 「きみは一体何が云いたい」  まず陽三が口を開く。 「事件が起きる前、公平さんは常盤さんに自筆の手紙と云いますか、紙片を渡されました」 「ああ受け取った」 「陽三さんも受け取りましたね」 「ああ、受け取った」 「陽三さんは公平さんから受け取る前に、自ら公平さんに渡しましたね」  陽三は薫を見た。 「きみは何が云いたい」  舞台奥に、一枚の写真が大写しになった。 「これは事件が起きる前夜、皆で撮った写真ですね」  陽三も常盤もうなづく。 「ここを見て下さい」  ある個所が大写しになる。  陽三の手に紙片があった。 「この写真を見た時、最初私はてっきり公平さんが陽三さんに渡したものと思い込んでいました」  陽三は黙って聴いているが、徐々に唇付近から震えが始まっていた。 「でも違った。私自身間違ってました。これは陽三さんが渡した」 「うむ」 「じゃあ何故こんな撮影の時にやったのか」  次に後方の常盤の顔がアップになった。 「それは常盤さんにもわかるように、見せるためでした」  陽三と常盤は顔を見合わせた。 「陽三さんから息子の公平さんに渡した紙片がこれでした」  明日は、殺陣はやめろ  役者も やめろ  舞台の奥に設けられた特設スクリーンに大写しに映し出された。  客席からじわじわと波があちこちで生まれる。  これからの展開に戸惑う小波だった。 「そして当日、公平さんがお二人に渡した文面がこれでした」  (陽三さんに渡した手紙)  とにかく  きわめつきたい  わかって下さい  さんかします まんしんそういの覚悟です  (常盤さんに渡した手紙)  よの中に  うまれても  ぞんざいに扱われても  うれしく思う。しかし  さりたい。やめたい  まけるのだから 「しかし、ここで公平さんは二つの文面をそれぞれ違う相手に渡してしまったんです。公平さんの間違いです」 「じゃあわしには」 「そうです。お父さんの忠告に従うはずでした」 「なんとお」  陽三はがっくりと膝まづいた。 「じゃあ私に届いた文面も」 「常盤さんそうです。あなたには本当は(全力で挑みます)だったんですね」 「取違いだなんて。薫さんはどうしてわかった。何か証拠があるのか」 「それぞれの紙片の頭の文字を繋げて下さい」 「わしの手紙は(ときわさま)」 「私のは(ようぞうさま)」 「そうです。間違いだったんです」 「わしは、本物の刀でやれっと云ったのは、公平を役者稼業から足を洗わせるためだった。びびってやめると思った」 「親父さん、私はお坊ちゃまから貰ったこの手紙誰にも見せませんでした。もちろん警察にも見せませんでした」 「あなたたち」  これまでじっと客席で見ていた圭子が立ち上がり舞台にやって来た。 「お二人のお手紙それぞれ受け取りました。そして今日まで大切に保管してました」 「今回のあの写真での紙片を見て、私は思いました。きっと返事があっただろうと。圭子さんに云うと見せてくれました」 「わしは、公平からの今となっては間違ったメッセージを受け取って一瞬かっとなった。だから殺陣の直前、常盤を呼んで」 「(怖がらせろ!思うぞんぶんな)親父さんはそう云った」 「許してくれえ公平!」  陽三は泣き崩れた。 「そして殺陣が始まりました。そして間違いが起こりました」  スクリーンに映し出される殺陣。  振り下ろす刀。  そこへそれを見ながら飛び込む公平。  ここで画像がストップした。 「その間違いはこれです」 「ワイドショーで何度も流れたシーンだ」 「これはニセの間違いでした」 「ニセの間違い?何だそれは」 「つまり、公平さんは覚悟の自殺だったんです」 「それはない!」  陽三も常盤も同時に叫んだ。 「いえよく見て下さい」  コマ送りから超再生スローとなる。  しっかりと刃先を見て飛び込む公平だった。 「16年前の技術ではここまでの超再生スロー解析が出来ませんでした。今の技術なら出来ます」 「私の間違いではなく、公平お坊ちゃまの自殺だった」  常盤は自分に云い聞かすようにつぶやく。 「常盤さん、もう自分を許して御上げなさい」  圭子は微笑んだ。  常盤が陽三と並んで膝まづく。 「わしは16年前からわかってた。公平が自ら命を絶ったと云う事を。けど、警察の取り調べに、わしはそれを云わなかった。出来なかった。許してくれ、常盤!」 「親父さん!」 「常盤さん、最後の間違い、まだありましたね」 「えっ何ですか」 「それですよ」  薫は、常盤の足元を見た。 「常盤は階段落ちからの怪我で引退したんだ」 「それは表向き」  静かに薫は近づき、右足を蹴り上げた。 「何をするんだ」 「最初階段落ちで足がびっこになったって云ったんで、最初私は家か駅の階段だと思ったんです。しかし」  ここで映像が切り替わる。  時代劇の映像だった。 「今回嵐山撮影所から特別にお借りしました」  二階の階段から落ちて足をくじく場面が映っていた。  しかしそれには、左足をくじく映像だった。 「本来、左足なのに、右足を引きづる常盤さん。しかも私と初対面で人力車に乗り込む時、ひきづる右足を最初に踏み台にしてましたね」 「あれは間違いだった」 「そう間違い。これも間違いでした」 「それは知らなかった」 「親父さんすみませんでした」 「常盤さんは、陽三さんからの破門を待っていました。でもそれがなかったので、一芝居打って引退したのでした」 「お前は・・・下手な芝居やり上がって、もう」  涙が嗚咽となり、言葉が途切れる。 「改めて、陽三さん、常盤さん、私から間違いのお詫びを云います」 「何?まだあるのか」 「何が間違いなんだ」 「最初から、この客席にいる皆さんの事です」 「何が?客だろう?」 「それが間違いでした。よくご覧下さい」  薫の言葉に常盤と陽三は立ち上がり、よく見た。 「常盤の兄貴!」 「陽三の旦那!」 「先生お久しぶりです!」 「お、お前たちは」 「そうです!」  また常盤と陽三が泣き出した。  そうだった!そうだったのか!  今ここにいるのは、かつての嵐山撮影所の連中だった。  大道具、小道具、照明、衣装、メイク、特殊効果を始めとする裏方。そしてガヤと呼ばれていた、その他大勢の役者達だった。 「薫さん、有難う」 「いいえ、お礼は客席にいる皆さんに云って下さい」 「有難うなあ」  拍手が鳴り響く。  拍手の渦は消える事はなかった。 「おい常盤!」 「何でしょうか」 「引退は撤回しろ!」 「えっ!そんなあ」  常盤が逡巡する。迷い始める。  すかさず薫は舞台中央に進み出た。  そして客席に向かって叫ぶ。 「引退撤回でいいですね、皆さん!」  拍手の渦は再び大きくなった。     ( 4 )  JR京都駅。  常盤の東京へ戻る日がやって来た。  京都タワーに登り展望台から京都市街をじっと見ている人たちがいた。  常盤、陽三、薫、寺男の4人だった。 「東京と違って京都は狭いな」  常盤はつぶやく。 「そうです。狭いです。だからいいんです」 「この狭さだとどこでも人力車で走れるな」 「全部ですか!」 「そう全部。東京は坂が多くてアップダウンの町だけど、京都は平坦だから出来る」 「そうでもないんです」 「そうなのか」 「よく見て下さい。この京都駅前の東寺から烏丸通を北上。北大路辺りと比べると高低差が約50mぐらいあるんです」 「そんなにあるのか。下っているのか」 「いえ、徐々に北に向かって上がるんです」 「京都の住所表示、上がる、下がるはそこから来たのか」 「いえ、それは京都御所の」 「お二人さん、京都談義はそれまでだ。ちょっと休もうか」  展望台にあるレストランで一休みした。 「薫さん、客席にいた元役者や裏方どうやって1日で集めたんだね」 「それは私の方から説明します」  寺男が話し出した。  SNSを活用して集めた。 「特にツイッターですぐに拡散出来ます」 「よおわからんがご苦労様」  陽三は懐から祝儀袋を取り出した。 「取っとけ」 「これは」 「薫さん、貰っておきましょう。大御所からご祝儀を貰えるなんてこれから先、滅多にありませんよ」  常盤が陽三の隣りから助言した。 「じゃあ遠慮なく」 「あの劇場は、あんたの持ち物なのか」 「そうです」 「あそこはいいなあ」 「でも野外だから冬は寒いし、雨だとずぶ濡れです」 「それがいいんだ。それに自然の多くの応援団がいる。それがいいな」 「応援団?何ですかそれは」  薫が聞く前に寺男が聞き返した。 「竹林の風のざわめき、小鳥のさえずり、風が舞う、通り過ぎて行く。太陽の光り、それを遮る雲」 「そのお言葉を遮ってすみません。ついでにサルもいます」  寺男が混ぜ返す。 「そう云えば岩田山モンキーパークありますもんね」 「嵐山猿軍団でも作るか」 「サルが舞台にですか、親父さん」 「そうじゃない。あそこで芝居やるんだ。サルは俺とお前だ」  陽三は豪快に笑った。 「常盤、本気で改めて云う。戻って来い」 「親父さん」 「二人でまたやろう」 「親父さん、お気持ちは嬉しいんですけど、もう今は時代劇作らないし、仕事ないでしょう」 「なければ、作るんだよ」 「どうやって!」 「薫さんのようにだ」  今回の演出にえらく感化された陽三だった。 「わずか一日であれだけの舞台演出、客も集めたこのバイタリティーわしは感服したんだ」 「有難うございます」 「是非ともお願いします」  ここで薫は目配せした。  バッジを取り出して三人に渡した。 「何ですかこれは」 「私どもの観光人力車の宣伝です」  バッジの表には (プライベート観光ガイド+人力車)と書かれていて渡月橋を走る人力車のイラスト。  さらに下段には、 (あなたの事件、レビュー上演いたします)と書かれていた。 「宣伝バッジか」 「そうです」 「わかりました」 「わかった。わしもおおいに宣伝してやろう」  陽三も乗り気満々だった。 「で、これからが本題です」  きっぱりと今までの口調とは違う雰囲気を出した薫だった。 「本題?」 「ええそうです」 「何だね」 「昨日のレビューのカーテンコールを行います」 「どこで?ここ京都タワーでか」 「いえもちろん嵐山です」  嵐山の渡月橋の北側にある保津川。  その川べりには幾つかの料理旅館がある。  薫が案内した「嵐花亭」はその中でも老舗の店で有名だった。  個室に案内された。  床の間には50インチの4Kテレビがあり下段にレコーダーが備えられていた。  料理が運ばれて仲居が去る。 「で、薫くん、カーテンコールとやらは、こんな料理を接待してくれるのか。そんな気を使わなくてもいいのに」 「いえ、料理が主役じゃないです」 「じゃあ君が主役か」 「いえ、今日の主役は私じゃないです」  陽三と常盤の顔に困惑が広がるのを見た。  寺男がDVDをパソコンに入れて作動させた。  さらにそれをテレビと繋いだ。 「まあ最初に昨日のレビューを収録したものがありますからそれを見て下さい」  二人はうなづいた。  出だしだけ見ると早送りを寺男がした。 「随分飛ばすんだねえ」 「ええ、是非とも見て貰いたいものがあるんです」  常盤と陽三の二人がドローンに乗って闘うシーンでスロー再生に切り替えた。 「ここです」 「ああドローンかあ」 「親父さん、最初怖かったですねえ」 「でも慣れて来た」 「ドローンではなくて客席を見て欲しいんです」 「客席?」 「はい」  客席が映る。 「ストップ。拡大して」 「了解」  画面に圭子が映った。 「ああ、圭子が来てたんだ」 「そうでしたか」 「陽三さん、常盤さん、もうお芝居はやめましょうよ」  薫はにっこりとほほ笑んだ。 「芝居?何の話だ」 「芝居。現実でない事」 「どう云う事だ」 「つまりここですよ。寺男君、アップして」 「了解」  画面に圭子の隣りにいる青年を映し出された。 「この方御存じですね」 「圭子だろう」 「じゃなくてその隣りの青年です」  赤外線が投射されるポインターを薫は取り出して、青年の顔をなぞった。 「な、何の話だ!」 「そうですか。お願いします」  薫は隣室に出る障子戸に向かって声を掛けた。  障子戸がゆっくりと開く。  中から圭子と青年が見えた。 「圭子!」 「あなた、もう薫さんには全てお見通しなんです。もう悪あがきはやめましょう」 「圭子!」 「常盤さんもね」 「女将さん!」 「青年の名前は公平さん。つまり世間では死んだと云われている人です。間違いないですね」  うなだれて、陽三はつぶやく。 「どうしてわかった」 「はっきりとわかったのはこれです」  寺男に合図する。  公平の膝の上の色紙がアップされる。 「一生懸命頑張る」  と書かれていた。 「つまりこういう事ですね」  薫は話し始めた。  常盤と陽三は元々からシナリオを練っていた。  狙いは噂に聞く、薫の竹林野外劇場での殺陣の場面を息子の公平に見せるためだった。 「何故そんな事を思いついたんでしょうか。つまり私はこう推理しました。公平さんを蘇らすために。公平さんはあの事件がショックで記憶喪失となり言葉も発する事が出来なくなった。  しかしショック療法であの場面を見せたら、蘇る、つまり記憶も言葉も取り戻せると考えた。  しかし大々的に出来ない。何故なら世間には、公平さんは死んだ事になっているのだから」  じっと耳を傾けていた陽三は何度も首を振りうなづいていた。 「そうだ。間違いない」 「親父さんと打ち合わせで、公平お坊ちゃまが死んだ事を薫さんに認識させるために墓参りに私が連れて行ったんです」 「私が今回の事件のからくりに気づいたのは、その墓参りからですよ」  寺男がパソコンを操作した。 「これがあの時のお墓」  薫が寺男にうなづく。 「これが翌日の同じお墓です」  二枚の写真が画面分割で同時に映る。 「一日で名前が変わってる。これはどう云う事でしょうか」 「嵐撮の大道具に云って、作って貰った」 「ちょっと撮影するからと云いました」  常盤が補足した。  一連の会話をじっと公平は聞いていた。  しかし全く反応がなかった。 「私は、公平の姿を医者から聞いて落胆した。こんな姿を世間に見せるわけにはいかない」 「親父さんは、私だけに真実を話してくれました。しかし絶対に他の者に喋る気はなかったです」 「客席に嵐撮のスタッフが大勢来ていてびっくりしました」  今度は圭子が話した。 「それは、前にも云いましたがSNSを通じて寺男くんがやりました」 「何故?」 「公平さんの記憶を取り戻すためです」 「でも戻らなかった」 「ええ。でもまだ私は諦めてません」 「まだ何があるんだ」 「これです」  寺男が持参したジュラルミンケースを開ける。 「何が入っているんだ」 「三味線です」 「こんな小さな処にか?」 「はい。三味線はこうして棹の部分を折り畳んで分解して運ぶんです」 「それは知らなかった」  完成させると、薫は云う。 「義太夫三味線の音色は、F分のフラットの音が出て身体、脳の活性化にいいそうです」 「そうなのか」 「では一曲弾きます」  創作浄瑠璃「再生道光歩人生  」 ♬  長い眠りから    醒めようと  もがき苦しむ    我が子よ  長い葛藤から    逃れようと  閉じ込めて     ごめんなさい  幽閉されて     気づく世界  飛び出そう     外の世界へ  飛び出そう     ここから  その先に      何が見えるのか  待っている     その先に  光りが灯が     あるのだろうか  それはわからぬ   誰も知らない  外の世界の人も   気づいていない  ここがどんなに   光りに満ち溢れているのか  光りを失った    僕にはわかる  目がくらむほど   光り輝く事を  だから立ち上がる  だから歩き出す  一歩ずつ着実に   歩むだけなんだ  もう失うものは   ないのだから  これ以上時を    失うわけにはいかぬ  残された時間を   大切に大切に育てよう  きっと光が希望が  見えて来るだろう  見えて来ないのなら それを見つけるまで  途中でこけても   途中で這いつくばっても  またよろよろと   立ち上がるだけさ  僕は歩み続ける   僕は歩み続ける  弾き終わると薫は陽三と圭子に近づく。 「陽三さん、圭子さん、そろそろ公平さんを幽閉するのは、もうおやめにしませんか」  次に公平の顔を見る。 「次は公平さん、あなたです」  公平はびくっとした。 「あなたもです。16年に渡る長き芝居、ご苦労様でした。あなたのお芝居も終演です」 「芝居?終演?何の事だ」  寺男がパソコンを操作する。  舞台で薫が創作浄瑠璃を語る場面が映る。  公平の口元がアップ。 「口跡解析したら、きちんと歌ってますよ」 「16年ずっと上演。しかも陽三さんと圭子さん相手に。この16年の芝居って、ギネスものですよ」 「公平、ほんまか」 「親父・・・すまなかった」  16年ぶりに聞く息子の肉声だった。 「すまぬのは私の方だ。許してくれ」  二人は涙を流して喜んだ。  圭子も涙ぐむ。 「ところで薫さん。公平が生きているとどこでわかったのかね」 「そうですねえ。正確に云えば、あの墓参りでした」 「そんなに早く!」 「親父さんと打ち合わせて、駄目押しのために、あの墓参りを計画したのですがね」 「墓参りのどこでわかったんだ」 「あの時、陽三さん(16年は)と云いましたね」 「ああ云ったよ。嘘じゃない」 「その言葉と墓石でわかったんです」 「もう少しわかるように云ってくれないか」 「はい。亡くなって16年経過している。つまり墓石も同じ年数が経過してるはずです。でもあの墓石は真新しかったんです」 「ああ、そこだったかあ」 「風が起こり、太陽の光を受けてあの墓石は光り輝いていたんです。全然劣化してなかったんです」 「そうかあ」 「普通に考えて16年の歳月は墓石でも輝きが衰えるものなんです」 「よく見てますねえ」 「私にとって陽三さんの(16年)のつぶやきこそが、駄目押しだったんです」 「やられたあ」  パシンと陽三は軽く自分の額を叩いて苦笑いを浮かべた。 「陽三さん、記者会見開きましょう」 「ああ、全て云う」 「いやそこは」  薫は耳打ちした。 「うんわかった」  陽三は大きな声で笑った。 「あんたって人は面白い人だなあ」 「そうですか」 「親父さん、何なんですか」 「常盤、まあ見てくれ。もう一つの芝居をやるんだ」 「もう一つの芝居ですか?」  常盤は陽三と薫の顔を交互に凝視した。 「薫さんの脚本、演出だよ」 「脚本、演出ですか!」 「まあ仕上げを御覧じろ」  と云って再び陽三は大きく笑い出した。  緊急記者会見が、竹林に囲まれた嵐山座で行われた。  舞台に机と椅子があり、そこに陽三と公平が座っていた。  背後に金屏風。舞台床は所作台が敷かれていた。  客席にはぎっしりとレポーター、報道陣が詰めかけていた。  上手下手、後方にはテレビカメラがぎっしりと置かれていた。  同時生放送でネットで全世界に配信されていた。  ツイッターで数多くの声が届く。  ♯公平生きてた  がトレンド一位となった。 「つまり、私の息子公平は、今からお聞きいただく、薫さんの義太夫三味線の音色を聞き、蘇ったのです」  記者会見場に、薫の義太夫三味線の音色が流れ出す。  薫は、公平の仮病を公表せずに、あくまで義太夫三味線の音色で蘇ったのだと陽三に云い含めた。  それはもう一つの真実なのだ。 「確かに、あの音色で我に返ったんでしょうかねえ」  寺男は、テレビで流れる義太夫三味線の音色を聞きながら尋ねた。 「ええ、私はそう思います」 「僕もですよ」 「おやおや、意見が一致しましたね」 「これから公平さん、どうするのかなあ。芸能界は厳しいですから」 「どの世界でも厳しいですよ」  きっぱりと薫は云い切った。  突然大きく竹林が風で揺れてしなる。 「だた一つわかるのは」 「何でしょうか」 「この自然の前に、どんな人間もちっぽけな存在である事です」  薫は風でしなり続ける竹林を見ながらそう云った。 「自然の光りで真実を見つけられたんですからね」  墓石の輝きと16年の言葉で真実を見つけたのだ。 「自然には勝てないって事ですかね」  寺男がつぶやくと、薫は優しく微笑んだ。
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