第3幕 落柿舎・柿も恋も落ちた~京都人検定試験出題者の悩み~

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第3幕 落柿舎・柿も恋も落ちた~京都人検定試験出題者の悩み~

     (1) 「今、渡っているのが保津川です。亀岡からこの嵐山まで船で下る観光が有名です。  保津川は、この渡月橋の手前で大堰川と名前を変えて、さらに渡月橋から南の下流を桂川と呼びます。  川の名前が地域でどんどん名前を変えるのも京都らしいですね」  最前から薫は、人力車を走らせながら、名所旧跡にちなんだ、解説をしているが、客は黙ったままだった。  全く気配がなく、本当に乗っているのか不安になり振り返る。  客はずっと膝の上に置いたパッドに目を向けたままである。  両手はせわしなく動く。  かすかに音も聞こえる。  薫の存在自体、消えているのかもしれない。  阪急「嵐山」駅から乗せた今日の客は女性。  名前は野宮恵美30歳。独身。  メガネをかけて小柄だった。 「まず渡月橋へ。その後、保津川沿い、亀山公園抜けて落柿舎へ行って下さい」  リピーターが多い嵐山。  この景色に魅了されて何度も訪れる観光客は多い。 「右手に見えるのが福田美術館です」  ここでも客は何も云わない。  全くアクションがないのだ。  暫く、保津川沿いを走らせる。  亀山公園を縦断して大河内山荘庭園入り口まで来た。  ここで薫は人力車を止めた。  T路地で、竹林の道が見える。 「ああ、ここはいいです」  恵美はちらっと辺りを見て再びパッドに目を落とす。  薫は、そのパッドを横からすっと取り上げた。 「何するんですか!」  突然予期せぬ出来事にたじろぎながら恵美は薫を睨みつけた。 「恵美さん、現実世界に戻りましょう」 「はあ?」  恵美の反応を気にせず、人力車から降ろした。 「私、まだ人力車観光やめてませんよ!」 「ええわかってます」 「じゃあ、もっと走らせてよ!」 「恵美さん、何か勘違いしてますよね」 「勘違い?何の事よ」 「人力車はレンタルルームでも勉強室でもないんです。あくまで観光、この嵐山の観光巡りなんです」 「そんな事、わかってるわよ。私を誰だと思ってるの」 「ええ、(京都人検定試験作成委員会)のメンバーですよね」 「何で、そこまで」 「ちょっと調べさせてもらいました」 「私は、この嵐山を題材にした来年の問題作成を命じられたんです」 「ええわかってます。だからパッドを手放して、目を嵐山に向けましょう」  半場強引に薫は、恵美を歩かせた。 「客商売なのに、この強引な態度!人力車協会に訴えます」 「ええご自由に。今までの道中のあなたの姿ビデオに撮ってます」  薫は説明した。  人力車には小型カメラが取りつけられている。  操縦する間、車夫は客から背後になり無防備になる。  先日、外国人観光客を装う強盗団が、背後から襲って売上金を強奪する事件が起きたのだ。  嵐山道中には防犯カメラが設置されているが、まだ未整備の部分がある。  各人力車に設置なら突発な事件に対応出来るのだ。 「だから、あなたがずっと私のガイドを聴いてないのも録画されてます」  恵美はごくりと生唾を呑んだ。  すぐ近くの亀山公園へ行く。  小高い丘からは、保津川下りや、周辺の山々が見渡せる隠れた絶景スポットだった。  途中には、江戸時代、この保津川を開削した角倉了以像があった。 「私、先生に云われて嵐山に来ました」 「先生?」  薫は聞き返した。 「作成委員会の私の上司です」  京都人検定試験は、毎年10万人が全国から受験する有名なご当地試験の元祖だった。  五年ほど前から、京都の有名大学、創始社、使命館、龍山、京都商業大学などが、こぞって入試要項に取り入れた。  創始社大学では、京都人検定1級を取得していれば、国語に50点を追加すると発表していた。  人気が爆発していた。  恵美は、京都学院大学から出向で来ていた。 「今年初めて、1級試験問題作成班に入ったんですが、中々いい問題が思い浮かばないんです」 「確か、検定試験が始まって今年で丁度10年ですよね」 「そうです」 「出る問題も出尽くされた感じになりますよね」 「はい。私の受け持ちはこの嵐山なんです」 「じゃあ尚更ですね」 「過去問、つまり過去に出た問題は駄目で、新しい問題でないといけないんです」 「でも、毎年過去問出てますよ」  薫もこの観光人力車を初めてから、ネットなどで見るようになった。 「同じ、もしくは類似問題を出す班は別にあるんです」 「そうなんだ」 「過去問でも全く同じ問題は駄目で、ひっくり返し問題は、オッケイなんです」 「そのひっくり返し問題って何ですか」 「例えばこうです」 (問題)  竹林の道近くにある、有名な役者が作った庭園の名前は何ですか     ↓  大河内山荘庭園の目の前にある有名な道は何ですか    (問題)  嵐山にある、角倉了以像がある公園の名前は何ですか     ↓  嵐山亀山公園の中にある、像の名前は何ですか 「ああそう云う事ですか」 「でもそれもそろそろネタが尽きかけています」 「10年ですもんね」 「ええ。観光地ってそない毎年、新しい施設が出来るわけじゃないですもんね」  恵美はここで大きくため息をついた。 「薫さん、何かネタ下さい」 「いきなりですか!」  一瞬、嵐山座の事を云おうとしたが、ぐっと堪えた。  これは旅の二日目の大詰で案内すると決めていたものだからだ。 「1級問題は、確か全て記述式で、選択問題はなかったと」 「そうなんです」 「余計に出題する方も難しいですよね」  記述式の答えを求める問題作り。  意外とこれ自体が、難問題なのだ。 「因みに、渡月橋と保津川関係は、過去に10回出てます」 「定番なんですね」 「それ以外で」  京都二大観光地と云えば、祇園界隈の東山とここ嵐山だった。  1級問題は2級、3級と比べて格段に難しくなる。  例えば、昨年出された問題がこれだ。 (問題)  嵐山にある、安倍晴明の公式墓の隣りにある、天皇陵。その天皇の名前は何ですか (答え)長慶天皇    いい問題を思い浮かばい二人だった。 「それに竹田所長からは冷たくあしらわれるし」 「竹田?」  知っていたがわざと聞き返す薫だった。 「ああ、その京都人検定問題委員会の上司の名前です」 「その人、検定の立ち上げ、発起人ですね」  名前と顔はよく知っていた。  全国ネット番組でもよく出ていた。 「いつから、冷たくされているんですか」 「先月からです」 「それまでは普通だった」 「そうです」 「具体的にどんな」 「事務所で挨拶しても返事ないとか。業務連絡でも私だけないとか」 「パワハラじゃん。訴えてみれば」 「そんなあ」  人影が見えた。  二人は顔を影の方向に向けた。 「いやあ、そこにいましたか」 「竹田所長!」  慌てて恵美は飛び跳ねるように立ち上がった。 「どうですか。いい問題が出来ましたかな」  竹田は、恵美ではなくて薫の方に向けながらにこやかに話しかけた。 「この方は」 「私は、嵐山で観光人力車を引いている、立花薫と云います」 「へえ、よく嵐山などの観光地を走っている」 「ええまあ」 「こんな所で道草しててもいいんですか」 「私どもは、他の人力車のように定番の観光スポット巡りではなくて、お客様と一緒にお供もする完全予約制のものなんです」 「そうでしたか。で、恵美さん、問題出来ましたか」 「それが・・・」 「まだでしたか」 「すみません!」  ぺこりと頭を下げた。 「いえ、締め切りまでまだ時間があります。じっくりと仕込んで下さい」 「わかりました」 「そうだ。車夫の薫くんにも手伝って貰ったらどうなんだ」 「それを今お願いしてました」 「観光人力車を引いているから、一般観光客よりも格段に知識はあるはずだ」 「いえ、そんな」  いきなり持ち上げられて戸惑う薫だった。 「こんな好青年だから、恵美さんも嬉しいだろう」 「嬉しいだなんて」  みるみるうちに、恵美の耳が真っ赤に染まった。 「図星だな」  赤い耳たぶを、ぴょんと指先ではじくと大笑いした竹田だった。  その笑い声を聴いてから半歩遅れて、恵美が愛想笑いした。  その恵美の笑いを見て薫も小さく笑った。 「どうだね。じゃあ三人で一緒に巡ってみようか」 「いやそんなあ」 「もちろん、巡るお金は私が出す」 「いえ、所長と一緒に人力車に乗るなんて!」 「いいじゃないか。ねえ薫くんはどうなんだ」  竹田はぐいっと顔を薫に近づけていた。  必要以上に目を大きく見開き、ぐっと唇をかんでいた。  典型的な、作り怒った顔だった。  あまりにもベタな顔と態度でもう少しで吹き出しそうになった薫だった。 「もちろん、いいですよ」  その返事に恨めしそうにする恵美だった。  人力車の置き場まで戻った。  恵美と竹田は人力車に乗った。 「すまないねえ、二人分で重いだろう」 「大丈夫です」  元々、観光人力車は二人用に設計されていた。  おひとり様もいるが、客の大半はカップル、友達同士だった。  とは云うものの、さっきまで恵美一人、女性で小柄なので、体重も50㎏もない。  そこへいきなり中年の男、70㎏はある。  体重がのしかかる。  人力車で一番力がかかるのが出だしである。  ぐっと腹に力を入れた。 「どこへ行きましょうか」 「取り敢えず、落柿舎まで行って貰おうか」 「承知しました」  徐々に息を抜きながら人力車を走らせる。  嵐山では、あまり加速出来ない。  道が狭く、観光客が多いのだ。  普段の人なら真っすぐに歩くがカップルだと突然笑い出して横歩きしたり、前でなく横に走り出したりする。  観光地で見られる、人間の予測不能行動である。  カップルの場合、躁病状態に入っている。  周りの景色も声も全く聞こえてない。  後ろから人力車が来るなんて事を一ミリも考えてない。  だから、薫は大声出す。 「今日は!人力車通ります!」  挨拶の連発である。  この後、 「道を開けて下さい」とやると絡まれる。 「うるせえ!ここは公道だろう!人力車専用かよう」  と何人かが絡んで来る。  だから、その言葉は云わない。  すれ違う時も笑顔は忘れない。  薫の場合、男性、女性両方に笑顔で接する。 「えっ男?」 「男に決まってるだろうがあ」 「超イケメン!女性みたい」 「女が人力車引くわけねえだろうがあ」 「ああ、それ女性差別!」  薫の顔を見てカップルが喧嘩を始めた。 「初めて乗ったが実に愉快だあ」  薫に聞こえる様に竹田が大声で叫ぶ。 「どこがですか」  背中で受け止めてすぐに振り向けない薫に代わって、恵美が尋ねた。 「この微妙な高さがいいよねえ」  満面の笑みを恵美に送っていた。  竹林の道からさらに進む。  トロッコ嵯峨駅を通り過ぎる。  急な山道を進む。  一気に観光客は少なくなる。  竹田の指定した「落柿舎」も嵐山観光の人気の一つだった。  目の前には田園が広がる。  小さな瓦ぶきの古民家である。  中には入れないが、縁側から中が見られる。  ここは元禄時代の俳人、向井去来の草庵である。  去来は松尾芭蕉の弟子で、芭蕉はここをえらく気に入り、三度も訪ねては、嵐山観光を行った。  名著「嵐山日記」にも書かれていた。  薫、竹田、恵美の三人は中に入り、縁側に座る。  落柿舎の名前は、嵐で一晩で周囲の柿が落ちた処から名付けられた。  竹田も恵美も喋らない。  じっと前を見ている。  薫は、何か云おうとしたが、二人の沈黙の壁にいとも簡単にはねのけられた。  自然の前に人の言葉は無用、邪魔だと瞬時に悟った。 「竹田先生、ここもよく出題しましたね」 「ああ、もう出尽くしたぐらいにね」 「て云うか、嵐山全体がもう出尽くした感ありますけど」 「早速、もう白旗なのか、恵美さんは」 「いえ、そのう」 「まあ10年だからな」  竹田は、恵美の弁解を遮るようにすぐに答えた。 「思いつめて悩んだ時は、視点を変えるのもいい事なんだ」 「と云いますと」 「我々、学者連中ではなくて、このような人力車夫さんのような新鮮な若者からの目から見た嵐山は、全く別の世界を見ているはずだ」  竹田は喋りながらじっと薫を凝視した。 「お二方に質問です」  薫は、右手を勢いよく上げて聞いた。 「何だね」 「落柿舎の名前の由来って、一晩で庭にある柿が落ちたってありますけど、本当なんですか」 「いい質問だね。恵美さんの見解を聞きたいね」 「そうですねえ。それは比喩表現と云いますか。誇張表現ですよね」 「又は、本当に落ちたかも知れない」 「そうなんですか」  恵美は疑いの目を竹田に寄こした。 「君は車夫の前は何をしていたんだね」  竹田は薫の頭からつま先までゆっくりと視線を移動させながら聴いて来た。 「私は、役者をしてました」 「ほお、で、その役者稼業は」 「やめました」 「夢破れて、車夫に。でも何で車夫なんだ」 「今度は舞台からでなく、嵐山からお客様の夢を見るため」 「どう云う事なんだ。詳しく」 「それは後ほど」 「はぐらかせられた」  竹田は笑った。 「薫くん、君から一つ問題を作って貰いたい」 「い、いきなりですか」 「そう。いきなりだから面白いんだ」 「回答者はお二人」 「そう」 「いやもう一人いますよ」  突然その声は、立ち入り禁止の縁側奥の部屋から飛び込んで来た。  三人が振り返る。  一人の男がゆっくりと畳の部屋をこちらに向かって歩いて来た。 「伏見くん!」 「どうしてここに」 「そうだ。それにこの部屋は立ち入り禁止だろう」 「ええ部外者はね」 「君も部外者だろう」 「先生、冗談はよして下さい」 「この方は」  薫は聞いた。 「同じ検定作成委員会の人です」 「伏見です。よろしく」 「ああ、どうも」 「僕もその、あなたが作る問題の回答者に参加したいなあ」 「はあ、それはどうも」  薫は竹田に救いを求めた。 「いいだろう」 「有難うございます。但し条件があります」 「何でしょうか」 「問題の内容に私情を持ち込むのは駄目ですよ」 「何ですって」  伏見の言葉に竹田と恵美は身体を固くした。    ( 2 )  薫の目の前に問題用紙がある。  それもこれも難しく、何度もため息をついた。 「はい、それまで」  寺男の声が響く。  寺男はストップウオッチを持っていた。 「ちょっと待ってよ」 「いえ、待ちません」 「あと一分だけ」 「いえ、駄目です」 「もうケチ」 「薫さん、試験会場で同じ言葉はけますか」 「無理」 「でしょう」  今、手元にあるのは、昨年の京都人検定試験問題だった。 「よくこんな問題作るよね」 (問題)  南座12月に行われる歌舞伎顔見世興行。  その公演前に劇場正面に掲げられる「まねき」  まねき設置の時、現場監督が地上から指令出す時、 「東方向」「西方向」の事を何と云いますか。    (答え)    東方向→八坂さん    西方向→高島屋 (問題)  嵐山の渡月橋にある街灯の電源は何で行われてますか。  また、その装置はどこに設置されてますか。   (答え)   水力発電   大堰川左岸、渡月橋手前 (問題)  円山公園内にある銅像を答えなさい。  但し、坂本龍馬、中岡慎太郎像は除く。   (答え) 新聞配達少年像 「全然わからん」  ぽいと鉛筆を投げ出した。 「まあ合格率1%未満ですからね」  寺男はいつになくにやけながらつぶやく。 「あんた、私が全然出来ないのがそんなに面白い!」 「いえ、そんな事ないです」  薫は、答えが書かれた用紙を寺男からひったくった。  じっと見つめていた。 「あれええええ」 「何ですか」 「ちょい待ち」  今度は、寺男が用意した野宮恵美に関するレジメを見ていた。  さらに、問題用紙と交互に見ていた。 「なるほどね」 「何がですか」 「これ、いいヒントになったあ」 「薫さん、それで問題作れるんですか」 「もちろんです」  力強く薫は答えた。 「それはよかったです。あと竹田所長なんですが」 「何かわかったの」 「これです」  パッドを操作して見せた。  一人の女の顔が映った。 「これ誰?」 「名前は桜林およ。彼女。不倫相手です」 「およ?変な名前」 「おそらく偽名でしょう」 「どうして寺男君は、偽名を断言出来るの」 「子供の名前に(およ)って普通はつけないでしょう」 「わからないわよお」 「そうですかねえ」  どこまでも寺男は懐疑心を抱いていた。 「つまり、この名前は、朝の挨拶からの「はぬけ」か」 「(お早う)の(は)ぬけ?おはよ・・およう」 「正解!」  翌日、全員が揃う。  場所は、保津川が見える料亭の和室。  そこで、問題用紙を配る。 「これは、薫さんが作ったのか」 「まだ表は開けては駄目です」  竹田が問題用紙をめくろうとしたので、制止した。 「時間は10分」 「そんなに短いのか」 「始め!」  一斉に問題用紙をひっくり返した。  竹田、恵美、伏見の三人は真剣の眼差しで取り組む。 「何じゃこりゃあ」 「私語は慎む!」 「はい」  10分後、試験問題を回収した。 「どうでしたか」 「簡単過ぎた」 「私も」 「僕もだ」 「でしょうねえ」 「どう云う事なんだね」 「恵美さんもですか」 「はい。簡単過ぎです」 「どうしてですか」 「だって、私の事に関する事が問題でしたから」 「何だって!私もそうだけど」 「僕もだけど」 「本当にどうなってるんだ」 「はい。じゃあからくり教えます。それぞれ違う問題でした」 「えっじゃあそれぞれ違うと」 「そうです。恵美さんには、恵美さんの関する問題です」 「そう云う事だったか」 「恵美さん、あなたさっきこう云いましたね。(私に関する事だから)と」 「はい」  ここで薫は、一冊の問題用紙を見せた。 「これは昨年の検定問題です。恵美さんに関してはここから出しました」 「えっ!」 「あなた、知ってましたよね」 「何がですか」 「竹田さんが、あなたに関しての問題を出したのを」 「し、知りません」 「じゃあ何で、さっきは簡単だど」  ここで恵美は黙った。 「恵美さんは知っていた。でも知らんふりしていた」  今度は竹田に近づく。 「恵美さんの反応がないので、あなたは焦った」 「いやああ」 「とそこへ現れたのが」  今度は伏見に近づく。 「あなたですね」 「いやあそのう」  薫は、恵美に近づく。 「さて。ここから本題です。じゃあ何故知らんふりしていたのか。簡単です。恵美さんは二股かけていたからです」 「誰とだ」 「もちろん、竹田所長と伏見さんです」  背後を振り返り、指をパチンと鳴らす。  間仕切りの襖が開き、寺男が入って来た。  手には、バッグを二つ持っていた。 「これが何かお二人ともおわかりですね」 「私が、恵美に買ってやったものだ!」  竹田と伏見が同時に叫び、互いに顔を見合わせた。 「何だとお」 「恵美さんは同じものをねだった。何故か。同じものをねだれば、一つは売りさばけるから」 「しかし恵美さんはさらに上手。二つとも売っていました」  寺男がさらに云いのけた。 「じゃあ、今、君が今持っているのは」 「ああ、これ中国製」  ぞんざいに前に放り出した。  同じバッグが三つ揃った。 「さてここまで、事件を整理しましょう」 ●竹田は、恵美に関する問題を検定試験に出した ●しかし、恵美は反応しなかった。 ●本当は気づいていたが、表向きは知らんふり ●伏見はそれに気づいて竹田に進言。  世間にばらされたくなかったら、恵美には冷たく当たれ ●それで竹田は、その通りにした ●それで、恵美は悲しむそぶり 「こんな所でしょうか」 「あーあばれちゃった」  ぺろっと舌を出した。 「さて、本題の本題」 「まだあるのか」 「そうです。ここから肝心なんです。恵美さんにとっても」 「どうなってるんだ」  伏見は頭を抱えてうづくまる。 「ここでアクシデントが起きます」 「アクシデントだって」 「ええ。正確には恵美さんにとってのアクシデント」  きりっと恵美は薫を睨みつけた。  竹田と伏見は恵美を同時に見た。  恵美は薫を睨み続けたままだった。 「この続きのあなたの事件をレビュー上演いたします。見たいですか」 「見たい!」 「見せてくれ」  竹田、伏見は叫んだ。 「私も見たいわよ」  やや遅れて恵美も顔に薄笑い浮かべてつぶやいた。 「じゃあ私からもお願いがあります」 「何だね」  竹林の道を二台の人力車が進む。  竹田と恵美組、伏見だった。  それを引くのが薫と寺男だった。 「本当にこんな竹林の中に劇場があるのかね」  竹田は辺りの竹林を眺めながら聞く。 「さあ私も知りません」  正直に恵美は答えた。 「ネットやガイドブックにも載ってません」  恵美は、パッド、本を交互に見て答えた。 「それ使えるねえ」 「何がですか」 「もちろん、検定試験1級問題にだよ」 「あっそうかあ」  はっと気づく恵美。 「まだ誰も気づいていない」 「けれども実際にはある!」  竹田が云いたかった後半の言葉を恵美はやや早口で答えた。 「竹田所長、いただきですね」 「ああでも、許可がいるだろう」  竹田は顎でしゃくって薫の背中を見た。 「それもそうですね」 「お二人様、全てレビューの後にしましょう」  前を向きながら薫は答えた。  竹林の道の途中で右に曲がる。  入り口には「薫人力車専用道」と書かれた個札がある。  一気に道幅が狭くなる。  だから両側の竹林が互いに覆いかぶさるように人力車とそれに乗る客に被さって来るようだ。  他の観光客もいなくなるので、スマホで写真、動画をあげるタイミングだった。  恵美は云われなくてもスマホで撮り出した。 「問題作成の資料です」  自分は決して観光でないと云い聞かすようだ。  突然視界が広がる。  竹林がなくなったのだ。  正確には、建物のせいで遠のいた。 「こ、これは」  竹田も恵美も口を閉ざす。  いきなり客席数1000席の野外劇場が目の前に突然現れた。  客席は、コンクリートではなく、木で一席ずつ区切られていた。  舞台全面に屋根がある。  上部に照明器具、大道具を収納するためだ。  上手下手、後方にライトがある。  音響、照明室も後方にあり、さらに数段高い所にセンタースポットライト室があった。  人力車が止まる。  案内係が寄って来る。 「では私は準備がありますので、ひとまずこれにて」  一礼するとすぐに薫は舞台裏に消えた。  舞台裏が楽屋、スタッフの休憩室、大道具の搬入待機場所だった。  やや遅れて、寺男が引いていた人力車も到着した。  寺男も一礼するとすぐにスタッフ室に行く。  薫の楽屋に寺男が顔を見せた。 「ご苦労様」  薫は振り向かず、化粧前の鏡に映る寺男を確認して云った。 「お疲れ様です」 「あなたを乗せた伏見さん、何か云ってましたか」 「ずっと無言。時々(いや、まいったなあ)とつぶやくばかりでした」 「そう」  薫は笑みを浮かべた。  嵐山座のレビュー上演には多くのプロのスタッフが半分ボランティアに近い形で携わっていた。  その運営のほとんどを嵐山撮影所、通称「ランサツ」である。  大御所のスター宇多野陽三と知り合ってからはさらに強化された。  毎回ある激しい殺陣には、東京から常盤も参加していた。  演出には陽三ではなく息子の公平が参加していた。  あの事件以来、表に出るようになった。  客はSNSを通じて一気に広まった。  大手旅行代理店が盛んにアプローチして来るがまだどこも決めてなかった。  あくまで個人参加の客が対象なのだ。    ( 3 ) 「本日はようこそ嵐山座にお越しくださいまして誠に有難うございます」  突然、薫の挨拶テープ音が流れる。  その声で今まで喋っていたり、写真撮っていた客はびくんとして全ての動作をやめて、正面を向いていた。  それは竹田、伏見、恵美も同じだった。 「本当に私の事件をレビュー上演するのかしらん」  客席に座って、今まさに始まろうとしていても恵美はまだ信じられなかった。 「私も思う」  竹田は一瞬隣りにいる恵美の顔を見て答えた。 「僕もです」 伏見も大きくうなづいて云う。 「これより上演いたしますのは(野呂恵美・京都人検定試験レビュー)です。どうか最後までごゆっくりとご観劇下さいませ」 「やっぱり本当なんだ」 「おやおや」 「何でこんなに客がいるんだ」 「恥ずかしい!」  恵美は顔を両手で覆う。  三人のそれぞれの思惑の言葉をかき消すように大音量の音楽がいきなり頭上から振って来た。 「あっ!」  客席にいた数人が天井に指を向けた。  本来野外劇場なので天井はないが、一画だけ仮設の大天井が設けられていた。  それに「京都人検定試験問題」がいっぱいに映し出される。 「去年の1級問題だ」  さすがに竹田が一番早く叫んだ。  その問題が動き出す。  動くにつれて多くの受験生が動き出す映像も出て来た。  映像処理だが上手く出来ていた。  さらに問題用紙が動く速度を上げる。  ついには空に舞い上がる。  問題用紙数万枚が京都タワーに巻き付く。  受験生が京都タワーに殺到する。  うごめく受験生、それを押さえようとする教官たち。  映像が、大天井から舞台奥のホリゾントに移動した。  ホリゾントをけ破って多くの受験生が舞台いっぱいに走って出て来た。  白のホリゾント幕は一枚の幕ではなくて、何十本もの白い伸びるゴムで出来ていた。 「うわっ!」  観客の多くが叫んだ。  まさかホリゾント幕の後ろから群衆が飛び出るなんて思っていなかったからだ。  義太夫三味線の気ぜわしい音色が鳴り出す。  受験生役の群衆は右手に鉛筆、左手には試験問題用紙を鷲掴みしていた。  全員、少し前乗りになり、目を見開き口を大きく開けて、力強く  群衆は歌い出した。  歌詞は、上手下手に設置された縦長の字幕タワーに映し出された。  創作浄瑠璃「京都人検定試験」  ♬  京都人って    何だろう  検定試験って   何だろう  京都に住む民は  皆受けているのか  そもそも     そもそも  試験問題作ってる 奴はどうなんだ  かかわってるから 試験は受けられない  なのになのに   大きな顔して  ふんぞり返って  寝そべって  いついつまでも  笑ってやがる  そんな事許せない 許せない  とその時、舞台の面から大きな音を立てて突然男が顔を出した。  意表突く登場人物の登場に客席から悲鳴が上がる。  舞台上の群衆の何人かが足を、身体を後ろ、左右に飛びのいた。  男が出て来て、群衆は左右に別れた。  男にスポットライトが当たる。  二台だった。  一台は顔のみ。  もう一台は全身でピンク色だった。  男は、大御所役者の宇多野陽三だった。 「私の名前は竹田。京都人検定試験委員会の所長だ」 「うへっ、私の役をあの大御所がやってる」  客席にいる竹田本人がつぶやく 「じゃあ、私の役は」  と恵美がつぶやいた時だった。 「そして私が部下の野宮恵美です」  声がした方に客席にいた人の頭が振り返る。 「チャリン」  と音を立てて、揚げ幕が開き花道から薫が出て来る。 (現実)(舞台) 竹田➡ 宇多野陽三 恵美➡ 薫 「まあ私の役を恵美さんだなんて!」 群衆「お前らが問題作っているのか」 竹田「そうだ」 恵美「そうです」 群衆「毎年毎年わけのわからん問題作りやがって」 竹田「具体的に指摘したまえ」 恵美「そうです。例えば昨年の1級問題でどこがですか」 群衆「じゃあ云ってやる」    一人の群衆1が前に出る。 (問題)  明治時代中頃まであった劇場「北座」は、現在の場所で云えばどことどこか。  (答え→四条通り道路半分と京都市営鴨東駐車場) 竹田「これのどこがわけのわからんのだ」 恵美「そうです。いい問題です」 群衆1「北座なんかとっくの昔になくなったんだ。問題出すなら、現在でもある南座を出せ」 群衆「そうだそうだ!」 竹田「きみは過去を否定するのか」 恵美「でしたら明治も江戸時代も平安時代も出せません」 群衆1「劇場の事云ってる」 竹田「話にならん。次!」  群衆2が出る。 群衆2「京都植物園開園してから、一度だけ占領された事がある。どこに占領されたか。(答え→米国進駐軍)」 群衆3「京都タワーの色はどこから来ているか」     (答え→東海道新幹線ひかり号から) 竹田「素晴らしい問題」 恵美「ほれぼれします」 群衆2「そんな問題知らんがな」 竹田「だったら勉強しろ!帰れ!」  警備員が出て来て群衆追い出される。 竹田「あいつらわかってないな」 恵美「何がですか」 竹田「問題全体の趣旨だ」 恵美「どう云う事ですか」    竹田、突然歌い出す。  ♬  きみもわからないのか  昨年の問題全て、きみの事なんだ 恵美「北座は?」 竹田「きみの祖先がお茶子していた」 恵美「京都植物園は」 竹田「きみと最初にデートした場所」 恵美「京都タワーは」 竹田「クリスマスに一緒に過ごした場所」 恵美「ですから全部下見です」 竹田「なのに知らんふり」   恵美、ここで歌い出す。  ♬  いいえ竹田所長 本当は全部わかってました  あなたの私への 気持ち  全部知っていました 竹田「じゃあ何で?」  そこで下手から伏見役の寺男が出て来る  伏見➡寺男 伏見「こいつは、魔性の女なんだ」 竹田「何できみが」 伏見「所長、まだわからないんですか。こいつは私と所長二股交際してたんです!」 恵美「ばれたらしょうがないな」 竹田・伏見笑い出す 恵美「何がおかしい」 竹田「恵美さん、あんたの天下は終わりです」 伏見「そうです」 恵美「どうしてよ」 竹田「新しい女が出て来たんです」    ホリゾント幕の奥から出て来たのは桜林およだった。 「あれは本物なのか!」  客席にいた竹田は、すっと腰を上げた。 「所長、本物です!」 「どうなってるんだ」  案内係が走って駈け寄る。 「お客様、お座り下さい」  恵美は手で制止した。 恵美「あんた誰よ」 およ「桜林およと申します」 恵美「竹田所長とどう云う関係なのよ」 およ「親しくしております」 恵美「伏見さんとは」 およ「親しくしております」 伏見「なんだとお、お前も二股か」 竹田「やられたな」    突如、上からバッグ、服、靴などが降って来る    一つの鞄が、恵美に当たる。 恵美「痛っ!」 竹田伏見「私がプレゼントしたものだ!」 およ「はい私も恵美方式とらさせて貰いました」 恵美「恵美方式って・・・」 竹田「つまり同じものねだって、一つは売り飛ばして利ザヤ稼いでいたんだね」 およ「いえ二つとも売り飛ばしてました」 竹田「でも私の前ではつけていた」 伏見「そうだ、私の前でもつけていた、履いていた」 およ「あああれは全部中国製のパッチもの」 竹田「君は、一体何が狙いなんだ!」    およ、義太夫三味線の音色に合わせて創作浄瑠璃を語り出す    創作浄瑠璃「検定試験と私」  ♬   検定試験を  食い物に   善良な受験生 えらい迷惑   勝手なふるまい 許さない   勝手な考えを  させないぞ   だからこれで  おしまいだ 竹田「勝手なのは、お前も一緒だろ」 伏見「そうだ!お前も甘い蜜を吸ってたんだからな」 およよ「それは、装ってただけ」 竹田「そんな云い訳が通用するか」 伏見「そもそもお前は誰?正体は?」 恵美「所長、伏見さん、ここは私にお任せ下さい」    恵美、一歩前へ出る およ「な、何よ」    およも対抗して恵美の前に一歩前へ出る    恵美、笑いながらカツラを取り、服を脱ぎ捨てて、薫に戻る 薫「桜林およは偽名」 およ「何、急に!証拠でもあるの」 薫「あります。苗字の桜を藤に、林を森にして。おをあによをやにするのよ」      伏見役の寺男もカツラ、メガネを取り早変わりする。   手にしたフィリップを出す。  桜 林 お よ  ↓ ↓ ↓ ↓  藤 森 あ や 竹田「桜を藤、林を森。ここまではわかる。けれどおをあ、よをや。これがわからん」 伏見「私もです」 薫 「これも簡単な事です。(ア)行の最後はお。や行の最後は(よ)です」 竹田「そうかあ。ん?それがどうした。名前を偽るなんてよくあるぞ」 薫 「問題は何故、彼女は名前を偽る必要があるって事です」 寺男「藤森あや。結婚詐欺師」 竹田「えっ?」   ここで薫は、客席を降りて、本物の竹田、伏見、恵美のそばに駈け寄る   スポットライトが照らす。   ホリゾント幕に、その様子が映し出される 「今回、私は桜林およの名前を聞いた瞬間、わかりました」  三人は固まっていた。 「恵美さんもぶりっこやめて下さい」 「ああ、はい」  恵美の狼狽ぶりは、尋常ではなかった。 「竹田所長、真面目に取り組んで下さい」 「ああああ、はい」 「伏見さん、恵美さんの事、正面からぶち当たったらどうですか」 「わかりました」  伏見は立ち上がり、恵美の方を向く。 「恵美さん、私と付き合って下さい」  一瞬たじろぐ恵美。  そしてゆっくりと立ち上がる。 「へえおおきに」 「やったあ!」  伏見は握り拳を突き上げた。  客席から大きな拍手が起こった。 「伏見さん、祇園言葉の(おおきに)の意味がわかってないのですね」 「どう云う事だ」  薫が、恵美の方を見る。 「告白有難うございます。お付き合いは」 「お付き合いは」  伏見は繰り返した。  ごくりと生唾を呑むのがよくわかった。 「ごめんなさい!」  ぺこりと恵美は頭を下げた。 「ぬか喜び・・・」  ぽつんと寺男がつぶやく。  客席がどっと沸いた。  その笑いが静まるのを待ってから伏見が口を開く。  舞台、芝居における「間」を心得た恰好だった。 「誰か、好きな人がいるんですか」 「はい」 「ちょっと待って」  薫は云って、恵美の手を取り、舞台に上がらせた。  伏見、竹田、寺男も後に続く。 「さあ、恵美さん舞台の上から叫んで下さい!」 「そんな恥ずかしい!」 「恵美さん、好きな人って云うのは誰なんですか」 「私が、今恋焦がれてる、好きなのは」 「好きなのは」 「京都。この京都が好きなんです!」  再び客席から拍手が鳴り響く。  拍手が静まり返るのをもどかしそうに伏見は待った。 「何だ、京都か。人じゃないんだ」 「そうです」 「京都が、あなたを優しく包んでくれますか」 「はい、包んでくれますよ」 「悲しい時、そばに寄って力づけてくれますか」 「もちろん」 「嬉しい時、一緒に祝ってくれますか」 「はい、沢山」  伏見は、なおも諦めずに食い下がる。 「災難から身を守ってくれますか」 「はい。もうあちこちの神様が守ってくれます」  再び客席が笑いの大波が巻き起こる。  いつの間にか、恵美も伏見もその大波を上手く乗りこなすようになっていた。 「伏見さん、そろそろお時間です」 「そうですね」 「じゃあ最後は、この曲で閉めましょう!」  薫が指をパチンと鳴らした。  舞台に先程の群衆役が上手下手、ホリゾント幕の後ろから一挙に出て来た。  舞台と客席がぱっと明るくなる。  ムービングライトが舞台と客席をサーチしながら動く。  ドローン35台が一斉に舞台客席を舞い、紙吹雪をまき散らす。  歌詞が、上手下手に設置された字幕タワーに映し出された。  「京都の未来」  ♬  私の大好きな街  それは京都です  私の大好きな思い それも京都です  京都は裏切らない 京都はいつもそばにいる  だからだから   いついつまでも  そしてそして   京都よ京都よ京都よ  客が全てはけていなくなった客席に座っていたのは薫と寺男だった。  寺男は薫に云う。 「恵美さんの京都に恋してるって何だか、作り過ぎでしょう」 「あらそうかしら」 「本当の恋をしなきゃ」 「寺男くん、云うわねえ。あなた、本当の恋した事あるの」 「あ、ありますよ」 「誰?誰?」 「目の前にいます」 「あら、いやだ!」 「そうです。薫さんがもし女性だったらって」 「あなた知ってるでしょう」 「そうじゃなくて、こころの問題です。薫さんの恋愛対象は男じゃなくて女性でしょう」 「うーん、ちょっと違う」 「違うって?」 「女性も男性もない。人間が好きなの」 「あっ恵美さんと一緒」 「何がよ」 「優等生発言です」  そこへ陽三の息子、公平がやって来た。  胸に大きな花の絵柄のTシャツを着ていた。 「まあ綺麗なお花。何のお花ですか」 「ダリアです」  少し照れながら公平は答えた。  あの事件以来、陽三も公平も嵐山座で働いていた。  陽三は役者、公平はスタッフの一員としてだった。  近頃は演出もやり出した公平だった。  もちろん、ギャラはなし。  それどころか持ち出し、赤字部分を陽三が補っていた。  息子が16年ぶりに陽の当たる場所に出て来て、再び一緒に仕事が出来るのが嬉しいらいしい。 「お話の続きは、打ち上げ会場でやりませんか」 「あら、そんな時間なの」 「親父さんが、打ち上げ前に薫さんと寺男さんにお話があるみたいですよ」 「何の話なの」 「さあ、知りません」  打ち上げ会場は、陽三、公平が住む自宅だった。  自宅と云っても稽古場もある、打ち上げ用にと最初から20畳の大きな部屋が用意されていたのだ。  また陽三が、ランサツつまり嵐山映画撮影所でよく出入りしてた時は多くの役者、スタッフが泊まり込みで来ていた。  だから馴染みがあり、酔いつぶれても泊まれるから好都合だった。  久し振りに馴染みの人間が自宅に来るのが陽三が嬉しかった。  冒頭、陽三が話し出した。 「まずは、皆さん本日はお疲れ様でした」  一同はその場で顔を下げた。 「さて、宴会が始まる前に一つ皆さんにお知らせがあります」  一同の視線は今度は陽三の顔に注目した。 「実は、私のプロダクションに新しく女優が入る事になりました」 「女優?」  薫と寺男は顔を見合わせた。 「さあ入ってらっしゃい」  襖が開いて女性が顔を出した。 「あっ藤森あや!」 「詐欺師!」 「今度は親父が騙されたのか」  と公平がいち早く皆のこころの代弁をした。 「まあ最後まで聞いてくれ」  陽三が話し出した。  舞台に出ていた陽三は、目の前でのおよ(あや)の声、身のこなしに惚れ込んだのだ。 「私の方から声をかけたんだ」 「母さんは知っているのか」 「知ってます」  襖の向こうから声がして圭子が静かに入って来た。 「さあ、皆さんに挨拶して」 「わかりました。これからは詐欺師から足を洗って女優に邁進します。よろしくお願いいたします」  改めて見る。  やはりあやは、美人だと思った。 「でもすんなりと私は思わない」 「何か引っかかるんですか」 「そう。寺男、ちょっと調べて欲しいの」  そう云って薫は耳打ちした。  宴会が始まり、あやは陽三と一緒に一人ずつ席を周る。  やがて薫、寺男の席にもやって来た。 「薫さん、よろしくお願いします」  深々とお辞儀した。  あやの頭が薫の目の前に来た。 「まあ綺麗な髪飾り」 「有難うございます」 「それ何のお花なんですか」 「ダリアです」 「綺麗」 「有難うございます」 「あやさん、今度は客を騙すんですね」  きついジョークを寺男は云った。  公平もやって来た。 「親父、あやさんに惚れたんじゃないのか」 「馬鹿野郎!」  言葉はきついが陽三は完全に顔が赤く、恥ずかしがっていた。 「寺男さんの言葉じゃないけれど今度は私、舞台なら客席にいる男、女構わず私を好きにさせる女優になります」 「舞台は難しいわよお」 「薫さん、その云い方何だか上から目線。大御所の女優「気取り」  薫は焦った。 「いやそう云うんじゃなくて、一般論」 「まあよろしくな」  陽三、公平、あやが他の席に行くのを見届けて常盤がやって来た。  今回あまり殺陣のシーンがなかったが、演技指導を陽三から頼まれていた。  三人の姿を目で追いながら 「親父さん、よく許しましたね」  とつぶやいた。 「常盤さん、何かあったんですか」 「昨日、偶然親父さんの楽屋の前を通りかかったんです。その時怒鳴り声が聞こえましてね」 「怒鳴り声?」  寺男が繰り返した。  常盤が大きくうなづいた。 「許さん!絶対に許さんからなと」  一段と声を落として常盤が囁いた。 「でもさっきの挨拶では、陽三さんの方から演技に惚れて声をかけたと」 「それは嘘。嘘ですよ」  きっぱりと常盤は断言した。  常盤が去る。 「寺男さん、ちょっと調べて欲しいの」 「わかってます」  二人は大きくうなづいた。    ( 4 )  渡月橋の渡し場まで人力車3台が走る。  渡し場では薫が待っていた。  人力車からは陽三、公平親子、竹田、伏見、恵美、あやの検定グループが降り立った。 「お待ちしておりました」 「薫くん、今度は渡し船に乗り換えなのか」 「さあどうぞ」 「一体私達をどこへ」  不安そうにあやは尋ねる。 「まあ行けばわかります」  少し殺陣師常盤の口調を真似てみた。  自分だけでほほ笑んだ。  あくまで笑顔のみで押し通す薫だった。  全員が船の乗る。 「じゃあお願いします」  薫が声掛けすると船頭が船を発信させた。  船は保津川の上流を目指した。  昨日の華やいだ「嵐山座」での舞台とは一変して、一同の空気は重かった。 「まだ続きがあるみたいだな」  その空気に耐えかねたのか竹田はつぶやく。 「でもフィナーレだったですよね」  伏見は確認した。 「ええもちろん」 「それに、昨夜はうちで打ち上げもやったぞ」 「有難うございます」 「何がやりたいんだ」  言葉に棘が数本生まれた瞬間だった。 「もう少しお待ち下さい」  10分ほどで船着き場に到着した。  中居2人がお迎えに来ていた。  ここは、奥嵐山である。 「嵐山亭」は、お忍び観光で有名だった。  ホテルでもなく旅館でもない。  一軒ずつ、邸宅が並んでいた。  中央にフロントがある町家があった。  それぞれの部屋にひとまず入ったあと、外へ出る。  野点を楽しんだ後は、薫の案内で中規模の部屋に行く。  掃き出し窓からは、緑と保津川が見えた。  最高のロケーションだった。  一同がソファに座り、くつろいだ。 「本日は、お集り下さいまして誠に有難うございます」  薫は深々とお辞儀した。 「さあ説明してもらおうか」  竹田の言葉はどこまでも棘で覆われていた。 「はい」 「フィナーレもやった。打ち上げもやった。我々の事も上演した。もう何もないだろう」 「はい。私も打ち上げの時までそう思ってました」 「つまり打ち上げで何か気づいた」 「そうです」 「何をだ」  完全に竹田はイラついていた。 「はい。それを今から説明します」  ここで薫は言葉を区切った。 「陽三さんは、打ち上げの席で、あやさんを弟子入りさせると、ととつにおっしゃいました。最初の違和感がこれでした」  陽三の顔が微妙に歪む。 「そもそも今回は京都人検定試験委員会の恵美さんから出発してます。そして竹田会長、伏見さん、そしてあやさん」  一人一人名前を云いながら、薫は当事者の顔を凝視した。 「そして陽三さんと息子の公平さん」 「薫くん。結論を云いたまえ」  陽三がこの日初めて口を開く。 「キーマン、いえキーウーマンは藤森あやさんです」  一同があやを見つめる。 「あやさん。あなたはずっと前から公平さん、竹田会長、伏見さんを御存じでしたね」 「何を急に」  あやの声は震えていた。 「ではどうぞ」  部屋の奥にいた寺男に声掛けした。  寺男はリモコンで操作した。  部屋が急速に暗くなる。  白い壁にあるものが映し出された。 「これは、今全国で流行ってる(平安京バトルゲーム)です。これの監修を竹田会長初め、伏見さん、恵美さんも関わっていますね」  後方からピンマイクつけた寺男が説明し出した。 「ああ、そうだ」  竹田の顔に焦りと驚きが混在していた。  画面が代わり、ゲーマーの写真と名前がアップされる。 「竹田会長のハンドルネームは(子守歌)伏見さんは(稲荷)恵美さんは(メグ)そして公平さんは(ヨウゾウ)ですね」  公平も恵美の顔がさらに歪む。 「それぞれのハンドルネームの由来がこちらです」  スクリーンに解説が映った。  竹田(子守歌)➡童謡「竹田の子守歌」  伏見(稲荷)➡伏見稲荷大社から  恵美(メグ)➡名前の(めぐみ)から  公平(ヨウゾウ)➡自分の父親の(陽三)から 「公平さんは、引きこもりでゲームの世界に入り浸っていた」  誰も何も云わない。 「なので、本名をさらせないので、父親の名前からヨウゾウをハンドルネームにした」  ここで寺男は画面をアップさせた。 「これはネットで同時に複数の人とゲームが出来ます」 「さてここからが本題です」  薫が再び話し出す。 「レビュー上演で、あやさんは陽三さんと会う。てっきりゲーマー(ヨウゾウ)と勘違いして話しかける」 「そうだ。私はゲームはやらない。しかし、ピンと来た。息子の公平だと。その事を云ったよ」 「親父・・・」 「公平さんはいつしかこのゲームの中のハンドルネーム(ダリア女王)に恋するようになりましたね」 「そこまで」 「で、そのダリア女王こそ、あやさん、あなたでしたね」  藤森あや➡ダリアの女王 あやの口が震える。 「公平さんはレビュー上演の時、ダリアの絵柄のTシャツを着てましたね。恐らく私と同じくあやさんもそれに気づいて声掛けしてわかったと思います」 「私とダリア。どうしてわかったの」 「あなたの髪飾りです。昨日の宴会の時挨拶に来られてわかりました」 「そもそも何でゲームつながりとわかったんだ」 「人力車に乗っている時も、恵美さん、あなたゲームやってましたね」 「何でわかったの。調べものしてると云ったはずなのに」 「手水から零れ落ちる水。あの時ボリューム1ぐらいでしょうか。でも私、聞こえたんですよ」 「そうなの」 「それに私、恵美さんにわかるように、それとなく云いましたよ」 「一体何の事ですか」  薫が一体自分に何を云いたいのか皆目見当がつかないでいる恵美だった。 「思い出して下さい。最初に人力車に乗った時です。竹林の道出たくらいで云いましたよ。(現実の世界に戻りましょう)と」 「あっ」  恵美は小さく叫んだ。 「調べものしていたなら、そうは云いません」 「何もかもお見通しだったのね」 「薫さんは、異様に耳がいいし、勘も鋭いんですよ」  寺男が加勢した。 「人力車夫は、お客様にはずっと背を向けて走る仕事。だから余計耳がよくないと務まらない。それにあの時せわしくなく両手が動いてましたね」 「そうでしたか」 「ゲームやって何が悪い」  竹田は開き直った。 「悪くないです。先を続けます。ひょんな事から現実世界で出会ったダリア女王。公平さんは、父の陽三さんに交際宣言します。しかし陽三さんは激怒して怒ります。この時のやり取りを外の廊下で聞いていたのが常盤さんでした」  襖が開き、常盤が入って来た。 「親父さん、決して盗み聞きしてたんじゃないです」 「常盤さん、あなたが聞いたのは実は、陽三さんとあやさんとの喧嘩ではなくて、陽三さんと公平さんの親子喧嘩だったんです」 「そうでしたか」 「さて皆さん、私から皆さんにお願いした事ありましたね」 「ああ、ある人を素材にした検定問題。もう君に渡したよ」 「ええ、全員貰いました。恵美さん、あなたは公平さんが好きだった。でも失恋したのをわかっていた」 「何でわかったんですか」 「あなたが作った検定問題。公平さんに関する問題ばかりでした」 「そうでしたか」 「これが今回の全てです」 「今回の騒動で一つ分かった事があります」  恵美は一歩前へ出て云った。 「何ですか」 「やっぱりゲームより現実世界の出来事の方が数倍面白いって事です」 「有難うございます。ではグランドフィナーレです!」  薫が指をパチンと鳴らした。  いきなりぐらっと部屋が振動した。  部屋全体が動き出したのだ。  そして目の前にステージが出て来た。  保津川から無数の動物、魚が、船が押し寄せる。  敷地と保津川の間には透明スクリーンが張られていた。  そこに映像が現実世界の保津川と合わせて飛び出した。  篝火が焚かれていた。  仲居の人はその場で着物を脱ぎ捨てて、きらびやかな衣装に変身した。  薫も同様だった。  薫が高らかに歌い出す。  「音の洪水ドンドンタッタタッタ」        」 ♬  歌えよ踊れよ  皆さん  今宵は何もかも 忘れて  楽器を持ってよ 楽器をかき鳴らす  音の洪水    あふれ出る  音の調べ    あふれ出る  頭の中は    音符行列  音符の大行進  音符の道行だよ  さあさあさあ  手拍子足拍子  ドンドンタッタ タッタタッタ  ドンドンタッタ タッタタッタ  保津川の岸辺から船に乗ったまま船頭がやって来た。  その数100艘。  船頭は長い竹竿を持ち、振り回して踊りに参加していた。  中央に左右から仲居軍団が出て来て薫の姿が見えなくなる。  次の瞬間中央に人力車が現れた。  ゆっくりと回す。  誰も載ってない。  回す速度がどんどん早くなる。  何回目か回った時、人が乗っている。  回す速度が遅くなる。  人力車が一台から三台に増えていた。  真ん中に薫が立っていた。 「おおおお」  見ていた竹田、陽三が声を上げた。 「素敵!」  恵美は一人はしゃいで拍手していた。  嵐山座のフィナーレは舞台に出ていたので、最初から純粋にレビュー見ているのはこれが初めてだった。 「ここまで心遣い出来るなんて」 「薫は凄い!」  一同は心酔していた。  それは目の前で繰り広げられるレビューであり、薫のおもてなしの精神だった。  宴が始まる。  薫と寺男が少し離れた席についた。 「薫さん、ダリアの花言葉を知ってますか」 「いえ。何ですか」 「赤ダリアは(華麗)白ダリアは(感謝)黄色のダリアは(優美)です」 「華麗、感謝、優美。皆さん互いに感謝しているんじゃないかな」 「後の華麗、優美は薫さんにピッタリ」 「えっあやさんじゃなくて、私?冗談はやめてよね」 「いえ、冗談じゃないです」 「今日の寺男君、何かおかしい!」  寺男は白、赤、黄色のダリアを差し出した。 「まあ綺麗!」 「プレゼントします」 「あんた、やっぱりおかしいよ」  大笑いを続ける薫を寺男は呆然と見ていた。
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