第4幕 二尊院・岩田山モンキーパーク~嵐山は忍者の里?~

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第4幕 二尊院・岩田山モンキーパーク~嵐山は忍者の里?~

      (1) 「このネットが発達した世の中で、未だに忍者がいると信じているなんて信じられない」  大きなため息をついて薫は云った。 「忍者のコンテンツは外国ではかなり人気ですからね」  横に座る寺男が返事した。  今回お迎えるお客様は日本人ではなかった。  米国からのお客様で2人だった。 「ジョン・駒田。28歳。見て下さい。彼、バリバリの忍者オタクですよ」  寺男がパッドを薫の方に見せるためにずらした。  二人は、窓越しに渡月橋が見える福田美術館にあるカフェにいた。  カウンター席の前の大きな透明の窓越しに、夏のきつい光りに照らされる保津川と渡月橋が見渡せた。  隣りにはホテルもあった。 「忍者の歴史、作法、任務、住居。なにこれ、私よりも詳しい」 「彼は全米忍者協会の副理事ですよ」 「凄い!でも忍者オタクなら日本来るなら当然伊賀、甲賀でしょう。何で京都?しかも観光地の嵐山なの」 「さあ。でもここ見て下さい」  寺男は画面をスクロールした。  ジョンが今まで訪れた地名と回数が表示されてあった。 「伊賀125回、甲賀134回!そ、そんなに同じ場所行って楽しいものなの」 「たぶん、今回は息抜きかもしれません」 「彼女連れてるしね」 「彼女の名前はカレン・ハンソン21歳」 「彼女も忍者オタクなの」 「いえそこまでは書いてません」  写真も満載だった。  黒装束の忍者の恰好はもちろんの事、大阪城では甲冑装束の武士と刀で一戦を交える場面もあった。  部屋の忍者グッズも半端なかった。  本棚は日本語、英語で書かれた忍者関連本、ビデオで溢れていた。 「もうここまで来ると、オタク以上よねえ」 「忍者学の権威者ですよ」  「リクエストは何なの」 「本物の忍者を見たい。映画村は駄目だそうです」 「よく知ってるなあ」  ここで大きなため息をつく薫だった。  目の前に現れたのは普通の恰好の青年と女だった。  薫は、きっと二人は忍者装束、又は季節柄浴衣で来ると睨んでいた。  しかしTシャツに短パンだった。  やや意気消沈した。 「ミスタージョン?」 「はいそうです。日本語大丈夫です」  ジョンはそう云うと傍らのカレンに小声で英語で云っていた。 「彼女は少しだけ日本語わかります」 「薫です。よろしくお願いします」  嵐電駅前で逢った。  もう三人の周りにはあっと云う間に中国人に取り囲まれていた。  盛んにジョンの背中をスマホで撮っていた。 「背中に何か書いてあるんですか」 「背中?ああこれです」  ジョンがくるっと背中を見せた。  忍者がよくやる刀を背中で背負っていた。  Tシャツの背中の柄は「忍者・押忍」と白地に黒文字が生える。  真ん中に日の丸がある。  日本人なら絶対に着ない絵柄である。  しかし、そんなものが外国人に受けていた。  ジョンが笑って背中の刀を抜き、中国人観光客に切りつけた。  もちろん摸擬刀である。  切られた中国人も笑ってのけぞる。  それを他の中国人が笑ってスマホで撮る。  あっと云う間に一緒に撮ってくれとせがまれる。  薫も一緒にと云う。  どうやら、車夫の恰好を忍者と間違えたようだ。  撮影会が終わると人力車に乗って貰う。 「それで忍者は見つかりましたか」  腰かけるなりジョンは本題に入った。 「残念ながら、今のところ見つかってません」  薫の喋りを小声で同時通訳するジョンだった。 「薫さんは正直でよろしいです」 「すみませんでした」 「私が長年追い求めたものをあなたが、容易く見つけたらこっちの方が驚きます」  また人だかりがして来た。  取り敢えず人力車を動かした。 「渡月橋を渡って右折して下さい」  さすがはジョンである。  細かい指示を出した。 「はい」  一瞬振り返る。  彼女のカレンはスマホで何やら打ち込んでいた。  指示通り渡月橋を渡り、右に折れる。  観光客が多い、左岸とは反対側の道を進む。 「ジョンさん、あのう一つ聞いていいですか」  薫が前を見ながら声を出す。 「いいですよ」 「忍者探しに何で嵐山なんですか?ここは元々・・・」 「平安貴族の保養所でしょう」  流石は日本に精通しているジョンである。  先に結論を云われてしまった。 「それは平安時代の話です。江戸時代になると違います」 「そうなんですか」  薫が知らない何か確固たる証拠があるのだろうか。 「薫さん、江戸時代の俳人、松尾芭蕉がこの嵐山を訪れたのはご存じですね」 「ええ。(嵐山日記)に書いてありました」  弟子が住む落柿舎に泊まっていたのだ。 「あれは忍者の痕跡を辿るため。いやそもそも」  ここでジョンが人力車を止めるように云った。  道端に寄せる。  ジョンは降りる。 「そもそも松尾芭蕉は忍者だったのです」  耳元で囁く。  全く聞いた事もない「松尾芭蕉忍者説」を切り出したジョンは、鼻高々だった。 「証拠でもあるんですか」  と一瞬云おうと頭がよぎったが、また話が長くなりそうなのでやめた。 「まずはここをお参りしましょう」  目の前にあるのは櫟谷宗像神社。  階段を登ると朱色の小さな鳥居がある。  左手には「岩田山モンキーパーク」の受付がある。  観光客の大半がそこへ吸い込まれて行く。  しかしジョンはまっすぐに本殿へ行く。  お参りである。 「ここの神社の創建は奈良時代です。ですから忍者も絶対にここを訪れてます」  ジョンの口調はどんどん力強く確信に満ちていた。  お参りした後、周囲を散策した。 「絵馬は(杓子)なんですね」  薫も初めて気づいた。 「薫さん、何で杓子かご存じですか」 「さあわかりません」 「人間の悩みを救うからです」 「杓子で救う?何それ洒落なんですか」  観光客から、嵐山の事についてのうんちくを聞かされる事はよくある。  しかしそのうんちくの大半は薫も知っているものばかりである。  今回のように、本当に知らない物は数少ない。  客から教えられる。  プロのガイドとしては失格と云われるかもしれないが、薫はもっと前向きにとらえていた。 (一つ勉強になる)と。  ジョンとカレンは絵馬に何やら書いていた。  崩し文字の英語で解らない。  背後でそっと見ていた。  絵馬を奉納した後、ここから渡月橋の風景を見た。  保津川は、渡月橋の手前で「大堰川」となり渡月橋過ぎて南下すると「桂川」となる。  だから正確には宗像神社がある場所は、「大堰川の西岸」となる。 「日本語面白いですね。杓子で救う。悩みも救う」 「確かに」 「英語は面白くないです。ただの言語だから」 「その言語が喋れなくて日本人、悩んでます」 「おかしいですねえ。日本人はご飯食べるのに、杓子は一家に必ずあるのに、救うはずなのに」  そこで薫は笑った。  急いでジョンはカレンに早口で英語で翻訳していた。  やや遅れてカレンも笑った。  カレンはスマホで再び何やら打ち出す。 「さて次はどこへ行きますか」  と云いながら階段を降りている時だった。  階段の左右から忍者軍団が出て来た。 「忍者!」  忍者はカレンを数人で取り合押さえるとどんどん階段を降りて行く。  すぐに薫も後を追いかけようとした。  しかし中国人観光客もどっと押し寄せた。 「ムービー!」  と叫ぶ観光客もいた。  忍者の人気はすさまじくあっと云う間にカレン、忍者軍団と薫、ジョンとの間に隔たりが起きた。  階段下まで降りると、渡月橋の船着き場から船が出ていた。 「ジョン!」  カレンが叫ぶ。  忍者軍団が取り囲む。 「あれだ!」  ジョンと薫も後を追う。  船着き場には船がいた。 「前の船を追って下さい」 「あいよ!」  二人を乗せてボートは進む。 「お客さん、これは何の撮影ですか」  のんびりと聞く。 「いや撮影じゃなくて、拉致されたんです!」 「拉致ねえ」  船頭は笑った。 「何がおかしいんですか」 「だって忍者装束だったら、目立つでしょう」 「確かに」 「おかしいよねえ」 「兎に角、急いでくれ」  ジョンは会話に割り込んで来た。 「薫さん、これでわかったでしょう。今も嵐山には忍者がいるんです」 「ええ。でも何でカレンなの」 「ああ忘れるとこだった。これ渡してくれって云われたよ」  船頭は御朱印帳を薫らに見せた。 「これはカレンのものです」  すぐに云った。  表紙をめくると一枚目に紙が貼ってあった。  カレンを返して欲しかったら、ここへ来い。  場所 嵐上館  待っている 嵐山忍者軍団 嵐忍 「嵐忍と云うのが、さっきの忍者軍団ですね」  薫はジョンを見つめて云った。 「きっとそうだ」 「船頭さん、嵐上館まで」 「あいよ」  薫は再び御朱印帳を閉じて表紙を見る。  表紙の右端に「カレン」と書かれていた。  じっと名前を見ていた。 「あれっ」  とつぶやいた。  何か違和感が一つ芽生えた。  嵐上館は保津川上流にある高級旅館で陸路でのアクセスは不可能で船でしか行けない。  薫は以前行った事があった。 「カレンさん、何か連れ去られる理由があるんですか」 「さあそれはわかりません」 「あんな高級旅館に連れて行くなんて、今どきの忍者も金持ちになったもんだ」  船頭は笑った。 「そんなに高級なんですか」 「ああ全室、一戸一戸独立したコテージみたいになってるんだ。一泊一人最低50万円はするからなあ」 「そんなにするんですか」  ジョンが聞いた。 「ああ。でお客さんらも映画撮影の人達?」  船頭は完全に撮影だと思い込んでいた。 「これ撮影じゃないです」 「そうか?さっきカレンさんが乗った船、3台くらいカメラ回してたよ」 「そんなに」 「それにドローン撮影してた。今の様にね」 「今?」 「ほれ」  船頭が空を見上げた。  さっきからドローンが薫らが乗った船に上空からぴったり追いかけていた。  船着き場には、二人の中居が出迎えてくれた。  いつもと違うのは、着物ではなくて、くノ一、つまり女忍者の恰好だった事だ。  一人の頭には「う」と書かれていた。 「お世話させていただきます。うきょうと申します」 「それで頭に(う)と書かれているのね」 「私は(そのべ)と申します」  もう一人の女には(そ)と書かれていた。  二人とも鮮やかな赤色の着物だった。  下はモンペのようで、足元は絞ってあった。  背中には刀を背負っていた。  二人が通されて部屋が純和風だった。  金屏風があり小さな舞台付きの部屋だった。  障子を開けると保津川が見えた。  篝火があるが、昼間なので焚かれていなかった。 「これ嵐上館さんの何かデモンストレーションなんですか」  薫は聞いた。  以前来た時と様子ががらりと様変わりしていた。  前は和室に腰高の低いベッドがあったが、今回は畳だけだった。  突然金屏風の真ん中が割れて、着物を着た女性4人が、登場した。 「びっくりしたあ」 「僕もです」  日舞が始まる。  2人ずつ一組になり、踊りの途中ですれ違うシーンがあった。  すれ違った瞬間、着物から忍者姿に早変わりしていた。  思わず薫は拍手していた。  カレンが拉致された事を一瞬忘れていた。  左右に人がはけた。  金屏風も左右にはける。  と同時に天井からスクリーンが降りて来た。  そのスクリーンにいきなりカレンが映った。 「カレン!」 「カレンさん!」 「今どこにいるんだ」 「ヘルプミー!」  字幕が出る。 「逢いたかったら、千光寺に来い!」  映像が消えた。 「やっぱりここにはいないのか」  大きなため息を一つつく薫だった。 「でも変よねえ」  と言葉を続ける。 「何がですか」 「普通、拉致、誘拐したら、返す代わりに何か求めるでしょう。現金とか」 「それもそうです」 「それがなくては、これただの鬼ごっこですね」 「そうですね」 「○○寄こさなかったら、カレンを殺すとか常套句があるでしょう。それがない」 「ないですね」 「一体忍者軍団さんは何が狙いなんだろうか」  直ぐに薫は動かなかった。 「薫さん、行かないんですか」  せっつくジョンだった。 「ちょっと待って」  薫は寺男にメールした。 「何やってるんですか」 「カレンさんと同じ事」 「同じ事?何ですか」 「いいからいいから」  のんびりと庭園散策を楽しむ。  メールが届く。 「よし行きましょうか」  やっと腰を上げた薫だった。    ( 2 )  千光寺は、江戸時代、保津川を開削した角倉了以が、開削工事で命を失った人たちを弔うために建立した古刹である。  渡月橋からは、保津川の西岸の道を北に登る。  段々と道幅が狭くなる。  徒歩15分くらいである。  ここ嵐上館からはさらに北にあった。  徒歩しか行く方法がない。  千光寺には船着き場がなかった。  薫は、カレンと合えるとは思っていなかった。  案の定、社務所の人が 「薫さんですか」と聞いて来た。 「ええそうです」  と答えた瞬間、忍者に取り囲まれた。  あわや拉致されかけた瞬間だった。  今度は群青色の忍者軍団が来た。 「待て!」  狭い境内での立ち廻りは危ない。  すぐに薫とジョンは部屋の中に入った。  しかし天井、床の間、畳をひっくり返してあらゆるところからくのいち女忍者が沸いた。  外の廊下に逃れると今度は、縄を編んだハシゴを登ってにゅっと欄干から群青色忍者が沸いて来た。 「うわああ!忍者だ!」  腰を抜かしてジョンがへたり込んだ。  殺陣は続く。  不思議なのは両者互角の戦いで誰も死んでいなかった。  椿、榊の葉っぱが飛び込んで来た。  薫とジョンは、部屋の隅で、赤忍者と群青色忍者との闘いを見ていた。  刀が二つ折り重なる。  天井から飛び降りる。  刀同士で×の形を取ったまま両者の力が互角のまま部屋から、庭先に雪崩れ込む組、欄干から飛び降りる者、反対に駈け上がる者もいた。  周り廊下からは保津川と山々が一望出来た。  忍者の殺陣に外の観光客は、大喜びだった。  ここまで来ている中国人観光客も凄い。  皆笑ってスマホを起動させていた。  薫は御朱印帳を取り出した。  もちろん、カレンのものだ。  社務所の人が、毛筆で書いてくれた。  一ページ目は正式な千光寺の御朱印。  二ページ目には、メッセージが描いたシールを張り付けた。 「次は、嵐山三・能密へ来い」 「ただ来いだけで、カレンを返すとは云ってない」 「そうです」 「ジョン、もう警察に連絡しましょう」  薫はスマホ取り出して連絡しようとした。 「ああ、ちょっと待って下さい」  慌ててジョンはそう云って、スマホを切った。 「身代金要求なら、警察動きますけど、今の状態なら、動きませんよ」 「確かにそうだ」  壮大な鬼ごっこをやってるようなものだ。  例え云っても相手にされないだろう。 「それより薫さん、次の場所わかってるんですか」 「ええもちろん。(芸能人三密)の場所でしょう。嵐山で云えば、いえ京都で云えば、あそこしかないですから」  宗像神社石段下まで戻った。  薫は、ジョンを再び乗せて人力車を走らせた。  今度は渡月橋を東から西へ走らせて嵐電「嵐山」駅を目指した。 「薫さん、メッセージ嵐山三って何ですか」 「これは簡単です。嵐電嵐山駅から三つ目と云う事です」 「次の能密神社って近いんですか」  その言葉に薫は一瞬詰まった。  薫の頭の片隅で眠っていた「違和感」がまた起き出した。  すぐに気を取り直した。 「ええもちろん。それは現場に着いてから説明します」  薫は、ある事に益々確信めいた事に気づいていた。  しかし、今は黙っていよう。  今は任務を遂行するのが大事なんだから。  三つ目の駅は「車折神社」だった。  路面電車なので駅間距離が短い。  徒歩でも10分くらいだ。  嵐電嵯峨、鹿王院、そして車折神社だ。  駅舎の前の朱色の鳥居が待ち構えていた。  鳥居の前で降りて、人力車も置いて二人で歩く。 「さっきのメッセージ」 「能密ですね」 「はい。能は芸能の能。密は密集するの密です」 「何が密集してるんですか」 「百聞は一見に如かず」  そうつぶやくと薫は、ずんずん突き進む。  元々、車折神社は「金運」「学業」等の神社で芸能神社ではない。  あくまで「芸能」も一つの末社なのだ。  しかし、この末社があまりにも有名になった。  芸能人のパワー、人気は絶大なのだ。 「芸能社」の前に立つ。  朱色の玉垣には、黒文字で奉納者の名前が書かれてあった。 「昔の玉垣は石で作られてましたが、今はご覧のように板で書かれてます」 「なるほど」  辺りを見渡す。  ぎっしりと奉納者の名前が書かれた朱色の玉垣が並ぶ。  昨今SNSでここへ来た観光客がインスタ映えとして多数画像をアップしていた。  自分の好きな芸能人の名前が書かれた前で写真、動画をアップするのが流行っていた。  大人気となるとそれを見込んで奉納する芸能人も急増した。  最初「芸能社」の周囲だけだったがどんどん増えて、今では駐車場の塀に迄拡充していた。  それも二段、三段となっていた。  芸能人と云っても多様である。  歌舞伎役者、舞踊家、落語家、歌手、俳優、お笑いタレント、宝塚、OSK歌劇団、アイドルなど多彩である。  しかしこの広い境内のどこにカレンがいると云うのだろう。 「大丈夫」  迷わず、カレンの御朱印帳を持って社務所へ行く。  表紙を見た人が大きくうなづき、書いた。 「カレンさんの代理の方ですね」 「はい」 「芸能社へお参り下さい。そこにカレンさんの玉垣ありますから」 「どこですか」 「芸能社鳥居の右見て下さい」 「わかりました」  さっき気づかなかった何かがあるのだろうか。  もう一度戻って鳥居の右を見た。 「あっ!」  薫は指さした。  朱色の玉垣に「カレン」と書かれてあった。 「いつの間に?」 「それも一番皆が見る場所。カレンさんって芸能人なんですか」 「ええ。でも端くれです」  玉垣に近づく。  小さな紙片が挟まっていた。 「これ何ですか」  取って広げた。 「カレンは、檻の中にいる。早く助けよ。早まって木から落ちるな」 「双六で云えば振り出しよね」  薫はつぶやく。 「何ですか」 「だから元に戻る」 「元に戻るって、つまり宗像神社ですか」 「ええそうよ。正確にはその入り口です」 「何でそこってわかるんですか」 「兎に角、カレンを取り戻したかったらまた私について来なさい」 「はい」  ジョンを乗せた。  人力車を走らせようとすると寺男からメールが来た。  ちらっと文面見て走らす。  再び宗像神社の入り口まで来た。  社の中へ行こうとするジョンを呼び止めた。 「今度はこっちです」  薫は左手の受付を指さした。 「ここは?」 「岩田山モンキーパーク。ここもネットで拡散されて外国人観光客に大人気です」  入り口で入園料を支払い、山道を歩く。 「猿の動物園」 「そう。ただ他と違う趣向があるの」 「どんなですか」 「見ればわかる」  山道を喋りながら進むのは疲れる。  それに見て貰った方が、すぐにわかるのだ。  言葉よりも視覚。  文字よりも景色。 「猿を見かけたら、目を合わさないで下さい」の立札が目に付く。  すでに頂上まで行く途中から何匹かの猿がいた。 「放し飼い!可愛い」 「ええそうね」 「ニホンザルですね」  小高い丘に着いた。  小屋の中に人間が入る。 「人間が小屋の中!」 「そうです」  薫がほほ笑む。  小屋には幾つかの窓があり、窓には金網が張ってあった。  ここでは、人間が檻の中。  外の世界は猿なのだ。  この意外な設定が、外国人観光客に大人気となった。  色々なネットの書き込みには、 「(猿の惑星)体感出来るぜ!」 「ここでは、人間が飼育されてる」 「でも飼育されてる人間から餌を貰う猿」 「いや、わいろだ」  SF映画(猿の惑星)では、猿が地球を支配して、人間が捉えられて檻の中に入れられて飼われていた。  だからここは、外国人観光客にとって単なる動物園ではなく、半分アトラクション施設だと感じているのだ。  小屋の中に入り、ジョンは辺りを見渡す。 「人間が檻の中。逆の世界だよね」 「逆!」  その言葉が薫の脳内を貫いた。  まるで雷光が身体を突き抜けたように。  一瞬にして曇っていた視界が晴れた。 「あれっいない!何故いないんだ!」  ジョンは思わず叫んでいた。  半分気がふれたかのように、ジョンは叫び続ける。  他のお客様の迷惑になるかと思い、薫は小屋の外に出した。 「ジョン、しっかりしてよ」 「カレンはどこだ」 「大丈夫」 「いないじゃないか」 「気を落ち着けて」  係員が走って来た。 「どうかしましたか」 「いえ大丈夫です」  強引に手を引いて降りて行く薫。  薫は、耳元でジョンに囁いた。 「あなたの事件、レビュー上演いたします」  薫と寺男は、明日のレビュー上演に向けての最後の打ち合わせをやっていた。  嵐電「嵐山」駅ビルの屋上にいた。  と云っても三階建てである。  京都市内、特に嵐山のような景観風致地区は厳しい建物の高さ制限をやっていたので、これでも充分辺りを見渡せた。 「それでカレンがいなくて取り乱したと」  薫からジョン、カレンとのいきさつを聞き終えた寺男はつぶやいた。 「猿の館でカレンもさる」 「寺男君、それ親父ギャグ」 「失礼しました」 「でも少し笑っちゃう」  薫はそう云った後その通り、笑みを少しだけ作った。 「ところで、車折神社行ってくれたの」 「はい。やはり薫さんの云った通りでした」  寺男はパッドを見せた。 「そうでしょう。これ使ってよ」 「了解しました。ところでジョンは大丈夫なんですか」 「大丈夫。明日解決すると何度も云っといたから」 「今宵は、京都で一人寝ですか」 「寂しいかなあ」 「そらあ寂しいですよ。折角日本にやって来てですよ。恋人と甘い夜を迎えようとしてたんですからね」 「甘いよ」 「そうです。甘い夜です」 「じゃなくて、そのこころの性根が甘いって事」 「そうですかねえ」 「そうです。ジョンが悪い」 「そうかなあ。僕はジョンの味方」 「じゃあ私はカレンの味方」 「カレンさん、大丈夫なんですか」 「もちろん。満喫してます」 「満喫ですか」 「いざとなると女の方が強いって事です」  勝誇ったように薫は云い切った。    ( 3 )  ジョンを乗せた人力車が竹林の道を行く。  竹林の道は欧米の観光客に大人気だった。  そもそも竹林は欧米にはない。  今まで見た事がない樹木が通り道の両側にぎっしりと生えている。  それは分かりやすく云えば、未知の惑星の探検と同じだった。  道で立ち止まり、数組のカップルたちが写真を撮っていた。  薫の押す人力車も被写体の一つ、つまり映り込んでも大丈夫なのだ。  ジョンは、昨日と打って変わって無口だった。  隣りにカレンがいないせいもあるだろうが、これからの展開を読めない不安もあったのかもしれない。  主導権は完全に薫が握り返していた。  薫は敢えて、話しかけるのをやめていた。  そのだんまりこそが、さらにジョンを不安の大海へ突き進めた。  ジョン船は、少しの風雨でも沈没しそうなくらい、不安の風が微風でも大きく、こころの船は傾いていた。  脇の小道を入り、突如「嵐山座」が顔を見せた。 「こんなとこに劇場が」 「着きました」  手前で止まり降りた。  お茶子が近寄る。 「じゃあ私はこれから準備がありますので。ひとまずこれにて」  薫は頭を少しだけ下げて足早に去った。 「さあジョン様こちらです」 「君たちは」 「お茶子です」 「お茶子?忍者じゃないのか」  お茶子は、普通着物姿だったが、今日のお茶子は紫の忍者姿だった。 「黒でも赤でも群青色でもなくて、紫」 「さあどうぞ。こちらです」  ジョンは前から七番目の通路際の席に案内された。  開演まで辺りを見渡す。  誰もいない。  貸し切りなのだろうか。  客席の周りは竹林で覆われていた。  初夏の光りは遮られていた。  時折、風で竹林がしなる。  今まで聞いた事がない「風音」だ。  まるでこれまでもが、演出のようだ。  舞台には何もない。  奥のホリゾント幕の前にLEDスクリーンが音もなく降りて来た。  いきなりジョンのインスタ画像が芽生えた。  音楽と共に膨大な数の写真が段々と早く流れて行く。  もちろん、忍者に関してのものだった。  観ながらジョンは、我ながらよくこれだけ集めたものだと思った。  全米で行われた「忍者ワークショップ」での講演会の一コマもあった。  音楽が高まった所で画像が止まる。 「ん?」  いきなりジョンの顔がアップされた。  いやよく見るとジョンのそっくりさんだった。 「いやあ、我ながらよく見つけた!」  にんまりほほ笑む。 (あっあの時だ!)  これは再現フィルムだろう。  それにしてもどうしてここまで出来上がったのだろう。  しかも短時間でだ。  いきなり画像が消えた。  LEDスクリーンが飛んで、ホリゾント幕の奥から数多くの日本人が出て来た。  手には、しゃもじが握られていた。  舞台前には上から鳥居が降りて来た。 「宗像神社だ!」  人々は口々に何やらつぶやく。  そのつぶやきは、一つの歌となる。  さらに奥から義太夫三味線を抱えた一団が出て来た。  全員忍者の黒装束だった。  忍者オタクのジョンにとって、否が応でもボルテージが上がる。 「ファンタスティック!」  今すぐにでも、この生舞台をブロードウエイで上演すべきだと本気で思った。  これまで数多くの忍者装束を集めて来た。  しかし、今目の前で見ている、忍者が義太夫三味線を抱えている姿を見るのは初めてだった。 「こんなバージョンがあったのか!」  ジョンはやられたと思った。 「日本には本物の忍者がいたんだ!」  忍者が弾く義太夫三味線の音色に合わせて登場人物はうなり、語り、謡い出した。  創作浄瑠璃「忍者吠里乃嵐山」 ♬  嵐山の風   鳥のさえずり  竹林のしなり 太陽の光り  自然の恵み  如何ほどか  人々の営み  暮らしはどうか  願い夢希望を 抱えての  宗像神社の  参拝参拝  しゃもじの  絵馬に  一文字ずつの こころの吐露  私どもの希望 夢などを沢山  どうかどうか すくい取って  下されや   下されや  舞台、客席からきらめくしゃもじの形をした花びらがゆっくりと舞い降りて来た。  舞台後方からカレンが出て来た。 「カレン!」  思わずジョンは立ち上がった。  後方からお茶子が走って来た。 「お座り下さい。後ろのお客様が見えません」 「後ろの客?」  ここではっとして場内を見渡した。  開演した時は、誰もいなかったはずなのに今はぎっしりと詰まっていた。 「い、いつの間に」  舞台上のカレンが本物なのか、それともそっくりさんなのか、この距離からは微妙にわからない。  それに舞台メイクしているのでさらに真偽に時間がかかる。  花道の付け根の鳥屋口の揚げ幕が 「チャリン」  と音を立てて誰かが出て来た。 「薫さん!」  薫は花道七三で立ち止まり、ジョンの方を見て話し出す。 「さて皆さん、忍者オタクのジョンはカレンを連れて、京都嵐山にやって来ました」  LEDスクリーンに、薫の観光人力車の疾走シーンが映し出された。  渡月橋から宗像神社、ドローン使った空中映像が入り込む。 「ここから事件が始まったのです!」  上手から船が、下手からジョンそっくりさん、薫が出て来る。 「失踪したのはカレン。現場にこの御朱印帳を置いて行きました」  ジョンがうなづく。 「私が最初に変だと気づいたのはこの御朱印帳でした」 「どうしてだ!」  思わずジョンは客席で叫んだ。  場内にいる客の視線がジョンに注がれる。  ジョンが叫ぶのを予めわかっていたのか、センタースポットライトが瞬時にジョンを捉えてスポットの明かりが全身に浴びせた。 「だって船で逃げるの見ているのに、わざわざ置いておいて私に見せるっておかしいでしょう」 「そうか?」 「これを日本では蛇足って云うんです」  ジョンはにやりとした。  日本語は面白い。  蛇に足をつける。  余計な事だ。形で表現する。  日本語は難しいと人は云うけれど、この辺が実に分かりやすい。  絵文字に似ていた。 「ジョンはウイットに富んだ外国人でした。その一端がこれでした」  嵐上館での船着き場出迎える忍者姿の二人の中居。  スクリーンに映る。 「この仲居さんの頭が(う)この方は右京さん。もう一人が(そ)園部さん。二人とも京都の地名から来てます。さらに面白かったのは、二人の忍者装束の色。見て下さい。真っ赤でしょう。つまり、真っ赤な(う)(そ)」  客席が大きな笑いに包まれた。 「ばれたか」  ぺろっと大きな舌を出したジョンだった。 「ジョン、さらにあなたは決定的なミスを犯しました」  スクリーンにメッセージが映し出された。 「次は、嵐山三・能密へ来い」 「おさらいになりますが、(嵐山三)は嵐電嵐山駅から三つ目の意味、つまり「車折神社」駅。次に(能密)なんですが、あなたは、これを見てすぐに神社と云いました」 「あっ」  ジョンが顔をしかめる。 「京都にはお寺も沢山あります。それなのにすぐに神社と云った。私を車折神社へと行かすためだった。これも蛇足。ジョンさんは蛇の足が好きですね」  客席が沸いた。 「嵐上館、千光寺、車折神社へとあちこち歩き回されました」  スクリーンにそれぞれの風景写真、動画映し出された。 「私の違和感が決定的となったのがこれです」  芸能社の前にある玉垣。 「カレン」と書かれた朱色の板に黒文字で書かれた。 「失礼ですけど、こんないい場所に一介のアメリカ人の人の玉垣が奉納されません。これは一種のトリックです」  スクリーンに大きく「カレン」と書かれていた。 「これが誘拐当日、私が見た物。そして翌日見に行ってくれた人物を紹介します」  客席後方から寺男がゆっくりと歩いて来て、ジョンのそばで立ち止まる。 「ジョンさん、やってくれましたね」 「気づいたかね」 「はい。トリックは単純です」  寺男が手を大きく振った。 「本当はこの方の奉納玉垣です。ジャン!」  画面に「カルン」と書かれた玉垣が映る。 「カルンの(ル)の左側の(ノ)を隠したら(カレン)になります」 「よく気づいたな。どうしてわかった」 「実はカルンさんは、芸能人で自ら(面白インスタ)やってました。ここの(カルン)の玉垣、面白インスタの聖地なんです」 「どう云う事だ」  客席から野次が飛んだ。 「そうですね、ごちゃごちゃ云わずに見せましょう」  スクリーンにカルンさんが玉垣を指さして笑っていた。  それには「カレシ」と書かれていた。 「(ル)を(レ)に(ン)を横棒一つ足して(シ)にしてます」 「そうだ。日本語はこんな遊びが出来る。これが実にクールだ。英語はそれが出来ない」 「もちろんすぐに落とせる簡易なシールを使ってます」 「さすがだ」 「さらに我々は、メッセージがまた来ました。それがこれです」 「カレンは、檻の中にいる。早く助けよ。早まって木から落ちるな」 「もうこれで一〇〇%、今回のカレンさん誘拐事件は、ジョンさんとカレンさんが仕込んだものだと確信しました」 「どうしてだ」 「だって、こんなベタはメッセージ、本物なら使いません」  ここで薫は客席に目をやる。 「皆さんも、もうおわかりですよね。檻の中。そうです。岩田山モンキーパークです。あそこは人間が檻の中に入り、猿が外にいるんです」  ジョンも客席の人々も大きくうなづく。 「恐らく、ジョンさんの計画ではここでカレンさんと再会。めでたしめでたし。ちゃんちゃんでした」 「そうだ」  ジョンの声が幾分小さくなった。 「さて皆さん、今回ジョンさんは何でこんな手の込んだ事を私に見せたのか。これが最大の謎です」 「そうだ」 「その謎も岩田山モンキーパークでわかりました」 「ほう」 「先程も云いました。ここでは下界と反対なんです。人間が檻の中。つまり逆なんです。(逆)この言葉、フレーズで謎が解けました」  薫は再びジョンを見る。 「私達、嵐山観光人力車を使っている人たちは、お客様を乗せて、嵐山界隈を観光ガイドする。しかし、今回は逆だったんです。つまりジョンが私を観光ガイドしたかった。そうでしょう、ジョンさん!」  ジョンは一人拍手した。  最初一人だけの拍手は、段々と増えて最後は場内隅々まで行き渡る拍手の大波が何度も客席を覆った。  その拍手の大波が終わるまで、笑みを浮かべて薫は待った。 「ジョン作演出(嵐山忍者物語)はここで目出度く終わらなかった。  何故ならそこにいるはずのカレンさんはいなかった」 「ああ、なんてこった」 「ジョンさん、カレンさんが何故いなくなったかわかりますか」 「わからない!教えてくれ!」 「ええわかりました。お教えしましょう。では物語の続きをどうぞ!」  薫は下手袖に入る。  先程からの薫の喋りの間に舞台セットが変わっていた。  ジョンの部屋。  舞台にはジョンと友人マイクがいた。 「ジョン本気か」 「ああ本気だとも」 「しかし、バカげている。もしカレンが知ったら嘆くぞ」 「心配するな!カレンは日本語が出来ない。ましてカレンはカタカナなんてわからない。読めないよ」  ここで二人がストップモーション。  上手から寺男が出て来る。 「つまり、ジョンは車折神社の玉垣のカレンの例のいたづらをやるために、カレンと云うなの彼女を探していました。  寺男が上手袖に入る。  再びジョンとマイクが動き出す。 「だって面白いじゃないか」 「俺にはわからない」 「そうだね、マイクも日本語わからないからな」 「漢字、ひらがな、カタカナと三種類もある外国語なんて、僕には悪魔の言葉としか見えない」  二人がはける。  舞台が変る。  舞台セットが上から降りて来た。  大学構内。  カレンが勉強していた。  下手から薫が出て来る。 「カレン、元気」 「ええ元気よ」 「どうはかどってる」 「少しだけ。でも難しい」 「私は英語が難しい」 「日本語が出来る薫が羨ましい」 「何で」 「漢字、ひらがな、カタカナ、ローマ字の4つを日本人が生活の中で上手く使ってる。日本人はやはり頭が良い」 「有難う」 「それに比べたら英語なんか誰でも話せる」 「それが出来ないのが日本人」 「それが私にとって不思議!」  舞台で見るカレンは輝いていた。 「カレン!本物か?」  舞台でのカレンを見ながら何度もつぶやく。 「いや違う。あんなに上手く日本語が話せるのは絶対にカレンではない」  そうジョンは確信していた。  何故なら、カレンと話している時は英語だったし、そもそもカレンが日本語を話しているのを見た事もない。  でも似ていた。  口跡も姿も顔も。  もっと近くで見たかった。  自分も舞台に行きたかった。 「じゃあ頑張ってね」 「有難う」  舞台カレン一人。  舞台暗くなり、カレンに上から一条のスポットライトが降り注ぐ 「こうして私は日本語を勉強しました。そしてこの日が来たのです」  上手下手からそれぞれ人力車が出て来る。  人力車には誰も乗っていない。 「さあ乗りましょう」  カレンが客席にいるジョンに話しかけた。 「えっ」  戸惑うジョンに後ろから案内係がやって来て、舞台へ上がるよう案内した。  ジョンが上手のカレンが下手の人力車に乗った。  二台の人力車が正面向いて走り出す。  後ろのホリゾント幕に嵐山の景色が流れる。  舞台奥から薫が人力車夫の恰好で出て来て歌い出す。  「初めての日本」 ♬  初めての旅  日本  初めての恋人 ジョン  現地の本物  言葉  現地の本物  景色  私は聞き取れる はっきりとわかる 「カレン・・・」  舞台で呆然となった。  ジョンは気づいた。  今、舞台にいるのは、本物のカレンだと。 「ジョン、私最初からあなたが話す日本語も薫さんの日本語もはっきりとわかったんです」 「君はじゃあ、アメリカにいた時から話せた」 「ううん、違うの。それこそ嵐山でいきなり聞こえた」 「嘘だろう。まじか」 「まじ。でも云えなかった」 「どうして。云えばいいじゃないか」 「ジョンさん、あなたまだわからないんですか」  二人の会話に薫は割り込んだ。 「どう云う意味ですか」 「もうじれったい。全部私に解説させるの」 「お願いします」 「例の車折神社での(カレン)と(カルン)の言葉遊びのために、カレンと云う女の子を見つけて、恋愛ゲームに参加した」 「そうです」 「そのやり口がどうのこうのじゃないの」 「じゃあどう云う・・・」 「ジョン、私はあなたの本心が知りたかった」 「だからカレンさんは、岩田山モンキーパークから逃げた」 「そう逃げました。あなたの本心知りたいです」 「本心?もちろん好きだよ」 「嘘」 「嘘じゃない。でないとアメリカから日本まで旅行に連れていかないだろう」 「それはどうかな」  ホリゾント幕にジョンのインスタがアップされる。  車折神社での「カレン」「カルン」の言葉遊び。  日本語と英語で解説されていた。 「きみは、フォロワー数稼ぐために彼女を利用したんだろうがあ!」  大きな声だった。  その声は花道の付け根、鳥屋口から聞こえた。  客席にいた全員が鳥屋口に向く。 「チャリン!」  揚げ幕が開く。  一人の女が出て来た。  場内は拍手とざわめき、小さな悲鳴が上がる。  女は花道七三で立ち止まった。 「きみは?」 「私の顔も知らずにあんな事したのか。私の名前はカルン。アメリカでも有名ですわよ」  場内から失笑と一部で拍手が巻き起こった。  カルンはマルチタレントと呼ばれていた。  彼女は10各国語を喋れてそれをインスタ、ツイッターで上げているから、世界中でフォロワー数5億人とも10億人ともいえた。  素顔を上げないので、各国でなりすましが続出していた。  ジョンも素顔見るのは初めてだった。 「本物のカルンなのか」 「失礼ねえ」 「本物なら、その証拠を見せろよ」  カルンは少しほほ笑んで間を取った。 「その事をそっくりそのまま返す」 「質問に対して質問で返すのは、会話の原則違反」 「ジョン、あなた本当に何かもわかってない」 「何がだよ」 「もちろん、こちらにいるカレンの事」 「何が云いたい」  ジョンは段々いらついて来た。  もはや自分が舞台にいて、多くの客が自分とカレンの内輪話を聞いている事さえ眼中から飛んでいた。 「あなたは、カレンに本物の愛を育んだかって事」 「それは・・・」  ジョンはぐっと言葉に詰まった。 「ほれ御覧なさい」 「ちょっと待ってくれ」  ジョンはカレンを見た。 「もういい」  ポツンとつぶやく。  カレンが歌い出した。  「私のこころ」 ♬  私は決めたの 何を  ずっとずっと 思っていた  だから何を何を  あなたのこころ もうわかった  これ以上 これ以上 沢山なの  これ以上 これ以上  あなたには 聞かない  あなたも  私に聞かない  失望の旅  嵐山で消えた  京都の日々 思いでは消えよう  だから思い出と 友に  あなたも 消えてね  歌詞ははかない、別れの歌なのに、音楽はビートの効いたかなり賑やかなものだった。  カレンの歌声に乗せて全員が手拍子で踊る。  カップルで踊る。  舞台と客席にドローン登場した。  無数の花びらがドローンから放出された。  客席は手拍子を始めて全員総立ちとなった。  驚いた事に、カレンはジョンに手を差し出す。  そして踊り出した。  観客は少し戸惑いを見せた。  カレンが歌っているのは「男女の別れ唄」  しかしカレンは笑顔いっぱい、ジョンに見せて踊っていた。  その思いはジョンも一緒だった。  カレント踊るのは嬉しい。  しかし耳に入って来るのは、悲しい歌詞ばかり。  だからジョンの足のステップも危なっかしい。  それはそのままこころの中を現わしていた。  やがて歌が終わる。 「じゃあバイバイ!」  手を振りカレンは立ち去ろうとした。  薫はジョンに目配せした。 「待ってくれ」 「何をですか」 「もう一度チャンスを上げたらどうですか」  薫は静かに云う。  カレンはゆっくりと振り向く。 「そう。わかったわ」 「有難う」  ジョンは手を差し出した。  するっとカレンはその横を通り過ぎた。 「えっ」  ジョンの戸惑いは続いた。  カレンは薫の方を向いていた。  お互いうなづく。 「ジョン」 「はい」 「あなたはこれまで薫さんらにクイズ出してたわね」  ジョンはうなづく。 「今度は私からあなたにクイズです」  手を舞台奥のホリゾントに向ける。 「二つの魂が一つに宿る場所に、明日午前11時来い」  観客全員が口々に読み出した。 「そしてここであなたの本気度を見せてね」  カレンは去った。  しばらく、ジョンは舞台に立ち尽くした。       ( 4 ) 「ドラマなら、あそこで握手、抱擁して観客は二人の仲の復活を祝す!けど、そうはならなかった」  寺男は公演が終わった後、客席通路を掃除しながら云った。 「現実は厳しいかも」  薫は客席に座ったままのジョンを見つめた。 「完全に魂、抜けてますね」 「生きる屍(しかばね)」 「薫さん、それはちょっと云い過ぎです」 「失礼しました」 「ジョンさんは、カレンさんからの問題、わかったのかなあ」 「あの様子じゃあ。まだかも」  ジョンはうなだれたままだった。  掃除を終えた薫と寺男は、ジョンを行きつけの店へ連れて行った。  保津川が見渡せる料亭「嵐花亭」だった。 「ジョンさん、元気出して」 「そうです。まだワンチャンスあります」 「決して最後まであきらめない!」 「ネバーギブアップです」 「そうです。ネバーギブアップ!」  代わる代わる薫と寺男はジョンを励ました。   その向かいでカルン一人、出された料理のお皿を保津川が見える縁側まで持って行き、「料理」「保津川」「自分」の三つを器用に写してインスタ、ツイッターに上げていた。  一瞬にして「いいね」が1億ついた。 「僕はもう駄目です」 「そんな事ない」 「そんな事あるよ」  向かいの席からカルンが食べながらつぶやく。 「そうですか」  寺男が聞く。 「はい」 「どうして」 「自分自身がもう駄目と思ったら、駄目波に脳波が支配されちゃうの」 「面白い」  薫は反応した。 「薫さん、お願いします。カレンからの宿題手伝って下さい」 「ああそれずるい!自分で解かないと意味ないじゃん」  薫よりも先にカルンの口が開く。 「黙っていたらわかりません」 「お宅らは黙っていても、私が黙ってません」 「嫌な奴」 「はい、嫌な奴です」 「困ったあ」 「でもヒント上げたら」  カルンは薫を見てほほ笑む。 「えっじゃあ薫さんはわかってるんですか」 「もちろん」 「凄い!ヒントお願いします」 「最初の(二つの魂)あれは、そのまま。あと(一つに宿る場所)はそのまま、建物を現わしてます」 「何ですか!問題なぞっただけじゃないですか」 「つべこべ云わない」  またしてもカルンが云い出した。 「小学生の時、学習塾ですぐに答え出さない先生がいたの。でもヒント出してくれた。苦労して自分で答え出した問題、絶対に忘れないもんよねえ」  薫は遠くを見る目になった。 「そうなんですか」 「ええ。踊りも歌も振り付けも」  つい薫は「京塚歌劇団」での経験を口走ってしまった。  寺男は慌てて、目配せしてはっとして我に返った。 「ジョンさん、そこの場所わかったとして、どうやってカレンさんに本物の愛を見せるつもりなんですか」 「ええ、それも厄介なんです」 「愛は見せるもんじゃなくて育むものですなんて云わないでね。鳥肌立つから」  スマホで自分のインスタチェックしながらカルンはづけづけと口を挟む。  しかしジョンにはすぐに反論する気力さえの残されていなかった。  薫は、寺男を少し離れた場所へ連れて行く。 「もう一つ、調べて欲しい事があるの」 「まだあるんですか」  薫は無言でうなづき、寺男に耳打ちした。 「そんな・・・」  寺男の顔が固まった。 「あくまで可能性。それを確かめたいのよ」 「わかりました」  翌朝、薫は嵐電嵐山駅でジョンと待ち合わせてすぐに人力車に乗せて出発した。 「さあ答え合わせと行きますか」 「合ってるかなあ」 「私はジョンさんの指図通りに走りますから」 「取り敢えず、竹林の道を行って下さい」 「わかりました」  薫はこころの中で念じた。  ジョンが正解を導き出した事を。  もし間違っていたらどうしよう。  そこで訂正すれば、ジョンはカレンに会える。  しかしそれは、薫からのサポートで導き出した答え。  フェアじゃない。  しかし、間違ったまま、その場所へ行けば、ジョンはカレンに逢える事さえなくなる。  もうチャンスは永遠に来ない。  薫のこころの逡巡は、答えを出さないままだった。  やがて人力車は竹林の道を通り過ぎる。  午前10時前なので、まだラッシュアワー観光客ではないが、それでも薫はずっと声を張り上げたままだった。 「お早うございます。人力車通ります」  左右にいる観光客に笑顔を絶やさずに挨拶を続けた。 「すみませんねえ」  ジョンの声が上から聞こえる。  やがて人力車は竹林の道の突き当りに来た。  そこは大河内山荘庭園である。 「そこを右に曲がって下さい」 「はい」  こころの中で(よしよし、いいぞジョン)と叫ぶ。  これから先は道が狭くなり他の観光客の邪魔になるために一旦ここで降りて貰った。  ここからは徒歩である。 「薫さん、合ってますよね」 「さあどうでしょう」  わざと曖昧に返事した。  ジョンは、道沿いにある落柿舎、常寂光寺を通り抜けた。  そしてやっとついた。  そこは「二尊院」だった。  立派な総門が二人を出迎えた。  この総門は、伏見城の薬医門を江戸時代初期に移築したものである。  移築したのは、この嵐山の保津川を開削した角倉了以である。  総門をくぐり抜けて、拝観料を払って真っすぐに進む。 広い道の両側には紅葉が植えられていて、「紅葉の馬場」とも呼ばれ、嵐山の紅葉の場所として有名だった。  残念ながら、今は初夏なのでその美しさは堪能出来ない。  やがて勅使門と呼ばれている、天皇の使いの者しか通れない門をくぐると目の前に本堂が現れた。  平成の大修理で、本堂と目の前の庭も鮮やかに蘇った。  本殿前で立ち止まる。 「ここが二つの魂が一つに宿る場所なのね」 「たぶん」 「これがジョンさんが導き出した答え」 「合ってますよね」 「さあ。合否のジャッジは私ではなくてカレンさんですから」 「それもそうですね」  二人は靴を脱いで、本堂に上がる。  とその時だった。  パラパラと小さな拍手が二人の耳に入る。  いきなりカレンとカルンが現れた。 「カレン!」 「おめでとう!ジョン」 「いきなり!」 「いきなりだから面白いのよ」 「どうしてここがわかったの」カルンが聞く。 「だってここは(お釈迦様)と(阿弥陀様)の二尊を祀る、一つの場所、つまりお寺だから」  ジョンは云った。 「おめでとう!お二方。じゃあ次行きましょう」 「どこへ行くんですか」 「鐘。(幸せの鐘)をつきに行きましょう」  四人は再び靴を履いて、本堂近くの鐘楼へ行く。  鐘の前に立った。  薫は説明を続ける。 「鐘は三つつきます。それは(自分がこの世に生かされている幸せ)と(周りの生きてる全ての人達の幸せ)と(世界人類の幸せ)の三つを願ってつきます」 「そうか。じゃあつこうか」  四人が鐘をつこうとしたその時だった。 「その前にジョンさんら、何か云う事ありますよね」  四人は互いに顔を見合わせて黙った。 「だんまりなら、こちらから説明しましょう」  鐘の向こうから寺男の声が飛んで来た。  ジョンらはびくっとした。 「車折神社のカルンさんの玉垣。あれを詳しく調べてみました」 「あれは五年前に寄進されたものでした。都新聞に写真載ってました」  と寺男は云って、パッドを見せた。 「この写真に寄進者のカルンさんの姿も載ってます。カルンさん、あなたが本物のカルンさんですね」  薫はそう云ってカレンに近づいた。 「どうしてわかったの」 「これです」  寺男が写真に写っている御朱印帳を見せた。 「御朱印?」 「偶然にも寄進された時にカルンさんは御朱印帳を持ってました」 「それが何か」 「カレンさんが持っていた御朱印帳の表紙には(カレン)と日本語のカタカナで書かれてました。おかしいでしょう。あなたは、日本語があまり出来ないのに」 「そんなの理由にならない」 「もう一つ。このカレンの文字よく見ました。うっすらと「ノ」が消されてました。もしやこれはカレンじゃなくてカルンさんのものじゃないかと」 「御朱印帳なんか、同じものが幾らでもある」 「そう。それにこの写真、私のそっくりさんかも」 「いいえ。この御朱印帳は全て通し番号があるんです。同じものがないんです」  パッドを操作して拡大した。 「カレンさん、いえカルンさんが持っている御朱印帳見せて下さい」  ゆっくりと差し出した。  同じ番号だった。 「一体どうなってるんだ」 「カルンさんを演じたあなた。本当の名前は」 「ミッシェルよ」 「じゃあ皆さんに順を追って説明しましょう」  薫は説明し始めた。  ジョンはカルンを装うミッシェルと共謀して、カレン探しを始めた。  そこにカレンが出て来た。  これは本物のカルン。 「ちょっと待ってくれ。じゃあ僕は騙すつもりが騙されてたって事か」 「はいそうです」 カレン➡カルン カルン➡ミッシェル  薫はカレン(カルン)が持つ御朱印帳の表紙を見た。 「やはり(ノ)を消してますね」  うっすらと跡が残っていた。 「本物のカルンさんのインスタは顔を出してないと聞いた時から、私は違和感抱いてました」 「そうか」 「思い出して下さい。嵐山座で私とカレンが出ていた場面」 「カレンが日本語を勉強してるところだろう」 「私の役は、ミッシェルなんですよ」 「日本語わからない役も大変だったんだから」  カレン役を演じ続けたカルンがつぶやく。 「騙したつもりだったのに」 「それにしても、名探偵薫よね。よくわかったわね」 「今回の騙しのテーマは(岩田山モンキーパーク)でした」 「どう云う事ですか」 「前にも云いましたけど、あそこは人間が檻の中で、猿は外。つまり(逆)って事。つまり(カレン)と(カルン)は逆じゃないかと」 「それで気づいたの」 「御朱印帳も写ってたなんて知らなかった」 「それはこの寺男くんが見つけてくれました」 「いやあ僕はただ、薫さんに云われただけですから」 「いいコンビよねえ」 「敬愛する相棒」 「薫さんがもし女だったら、二人恋するかも」  カルンが云う。  薫と寺男は顔を見合わせて苦笑いした。 「ミッシェル、それとカレン、じゃなくてカルンさん」  ジョンは云い出す。 「何よ」 「僕を騙すつもりで、やったのか。それだけか」 「さあどうかなあ」  二人は笑った。 「女は怖い」 「さあこれで私の説明はおしまい。さあネタバレしてお互い鐘をつける気分かどうかは、三人で決めて下さい。さあ行きましょう」  薫は寺男と共に去った。  紅葉の馬場を歩く二人。 「鐘は鳴りますかね」寺男が聞く。 「さあ、そこまでは私もわかりません」 「鳴らして欲しいですよね」 「あの鐘を鳴らすのは、あなた方ですか」  寺男が苦笑いした。  その時だった。  鐘の音が耳に入った。 「鳴った!鳴りましたよね」 「ええ」 「やったああ!」  寺男は薫と握手した。 「でも何で私が寺男さんと握手なんですか」 「いいじゃないですか。(世界人類の幸せ)ですよ」  寺男は、スキップしながら(紅葉の馬場)を歩く。 「寺男ったら、単純!」  と云いながらも薫も後ろからスキップしていた。  二人は知らなかったけれど、鐘をついたあとのジョン、カルン、ミッシェルの三人もスキップしていた。
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