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大詰 松の葉の恩返し~隠された秘宝を見つけ出せ!~
( 1 )
8月16日。
昨日の終戦記念日に続き、京都は静かな夜を迎えようとしていた。
夕方になると桂川沿いの罧原堤の渡月橋に向かう道路は、松尾橋手前から通行止めとなる。
今日は大文字の送り火。
決して「大文字焼き」ではない。
もしそんな事を云えば、
「そんな焼き菓子、京都にはおへん」と冷たくあしらわれる。
何故なら大文字の送り火は焼くのが主体でなくて、焼いて出来た「送り火」が主体なのだ。
これはお盆で故郷に戻っていた、ご先祖様が再び黄泉の国へ行くのに迷わないための道しるべでもあった。
この行事の起源は定まっていない。
つまりわからない。
京都は千年の都なので、様々な都市伝説が埋まっている。
夕方からは観光人力車も休業となる。
渡月橋が多くの見物客で賑わうからである。
この日、薫は懇意にしている嵐山の料亭「嵐花亭」の女将である、
琴野菊代と一緒に法輪寺の床も欄干も木で出来た大舞台に来ていた。
最近出来たこの場所は薫もお気に入りだった。
午後八時。
京都市街の街灯、ビル、町家の明かりが消える。
決して強制ではない。
ここが京都の歴史の重みの証明でもあった。
東日本大震災の後、電力需要が逼迫していて東京都が、ビル、街灯の明かりを午後八時で消すよう命じた。
そんな事は、京都は千年近く前からやっている。
東山如意ケ岳の「大」に明かりが灯る。
その後、五分間隔で「妙」(松ヶ崎西山)「法」(東山)、「船」(西賀茂船山)、金閣寺裏手の大北山の「大」(左大文字)嵯峨鳥居本の「鳥居」の五つの送り火が灯される。
「大」が二つあるが、東山の「大」の横一の長さは約80m、火床75であるのに対して左大文字の横一は48m、火床53ある。
三条大橋から北の橋は大勢の見物客で賑わう。
穴場は京都御所である。
法輪寺は少し高台にあるので風が少し顔を覗かせる。
日中はさすがに暑いが、京都は大文字の送り火の日を境に、夕方になると、秋の風が一瞬だけ通り抜ける日がぼつぼつ生まれる。
ここからだと「鳥居形」が一番よく見える。
大文字の送り火では「大」「妙」「法」の三つの文字と「鳥居」、「船」の二つの絵柄が灯される。
鳥居の横の一は72m、火床108。
ここからは一つ一つの火床の炎の違いがよく見て取れる。
「ああ始まりましたね」
「へえ」
菊代は目を閉じて何やら口ごもっていた。
大勢の見物人はスマホで写真、動画をアップしていた。
テレビも昔は地元のテレビ局でしか生中継しなかったが、最近はNHKのBS放送もされていた。
さらに個人が発信するので世界中の人達が、リアルタイムで見れるようになった。
鳥居形の火床に炎が一つ灯ると大きな歓声と拍手が起きた。
スマホでテレビ見ながら、目の前のリアル鳥居形見ている若者もいた。
早速、多くの観光客がくるっと鳥居形のある曼荼羅山に背を向けて振り返り、自分と「鳥居形」が映るようにスマホで写真、動画をアップしていた。
リアルタイムでツイッター、インスタに上げていた。
だから菊代の様に、目を閉じて魂の鎮魂歌を念じる人は年々少数となっていた。
昼間は嵐山で観光、夜は大文字を見るのが観光客のコースだった。
「初盆なんよ」
目を開けた菊代がつぶやく。
「どなたのですか」
少し遠慮気味に薫は尋ねた。
「主人です」
「えええっ!ほんまですか。知りませんでした」
「もうどなたにも知らせずに家族葬で済ませました」
「そうでしたか」
大文字の送り火を菊代と見るのはこれが初めてだった。
数日前、菊代から電話があった。
「薫さん、大文字の送り火の日はどうしてはるん」
「別に仕事もないです」
「そしたら、うちとお供してくれはりますか」
「私でよければ」
「あんたでないと」
とここまで云いかけて、言葉をぐっと呑み込むのが、スマホのスピーカーからでもわかった。
「大々的のお葬式するんはやめたんどす」
「何かあったんですか」
「うちの人の遺言。死んで行く者は、これからも生きて行く人の邪魔したらあかんと」
「気を使うご主人だったんですね」
「そうやねえ」
菊代の顔に涙は生まれてなかった。
どちらかと云うと結構ドライな感じを受けた。
菊代の誘いで、この後「嵐花亭」に行った。
「嵐花亭」は賑わっていた。
客の多くが常連だった。
大文字の送り火に嵐花亭で食事をとる。
決して店先から見えないが、送り火と同じ日に嵐山にいるのがステータスだった。
菊代は、薫を小部屋に案内した。
「ちょっと堪忍ええ。これから各お部屋回って挨拶して来ますよってに」
「ええ、お忙しいでしょうから。お構いなく」
一人になる。
隣の部屋からは、微かに人の談笑が耳に入る。
部屋の掃き出し窓からは保津川、渡月橋が目に入る。
大文字の送り火が消えると人も徐々にいなくなる。
間隔を置いて別邸が見える。
夜なので工事は行われていない。
しかし、こうこうとハロゲンランプの強烈な光の束が幾筋も工事中の建物を照らしていた。
本来ここは茶室だけだったが、別邸を建設するために曳家工法を採用して横にずらしていた。
建物はほぼ完成していた。
今は植栽、庭園作りが行われていた。
一度でもいいから、あんな部屋に泊まってみたい。
床の間に目をやる。
隅に、段ボールが折り畳んで立てかけてあった。
広げて見た。
「ひよこ引っ越しセンター」の文字とひよこのマークがあった。
誰かの忘れ物なのだろうか。
そっと元に戻そうとしたら、一枚の紙切れが出て来た。
「別邸・琴聴」
と書かれてあった。
正式な名称なのだろうか。
午後九時を回る。
菊代は戻って来ない。
そろそろ帰ろうかと立ち上がった時、襖が開く。
菊代ではなくて仲居だった。
「もうまもなく女将さん戻って来ますから」
中居が三人分の食事の用意を始めた。
「三人?」
思わず薫はつぶやく。
「へえそうどす」
「私と女将さんと。後一人は」
「さあ。三人分用意せえと女将さんから云われましたから」
淡々と並べられる。
菊代が戻って来た。
配膳を手伝う。
「女将さん、誰か来るんですか」
「そうやわあ」
「誰ですか」
「薫さんもよお知ってはる人」
「誰ですか」
「さあ誰どすやろか」
菊代は悪戯っぽい目を向けた。
菊代と薫が並んで座る。
向かいに一人分の席。
「お連れさん、おつきどす」
襖越しに仲居の声が入って来た。
ゆっくりと仲居が襖を開ける。
少し間を置いて姿を見せる人物。
「あっ鳴滝理事長!」
京塚歌劇団理事長の鳴滝ことり。91歳。
高齢ながら、現役の理事長である。
そのことりの手を引いていたのが、執事の山内太郎だった。
「御機嫌よう、七色彩香さん」
久し振りに、京塚歌劇団での芸名を呼ばれた。
山内が耳打ちした。
「あらそうだったわ。忘れてたわ。今は違うのね。ごめんなさい」
山内が手を引いて席に座らせた。
山内は出て行こうとした。
「あなたも残っていらっしゃい」
「はい」
山内は、入り口近くで正座した。
「改めて。薫さん。お久しぶりね。元気だった?」
「はい」
薫はどんどん身体もこころも固くなるのを感じた。
「突然の引退劇。あなたが嵐山で人力車引いている事を知るまで随分時間かかりました」
「はあ」
「ここにいる山内が精出して捜したのよ」
「申し訳ございません」
「京塚歌劇団虹組、トップスターのあなたが人力車引いているなんて、山内から報告聞いた時、倒れそうだった」
ことりの話は続く。
ことりは怒ってなかった。
如何に自分を探すのに時間がかかったかを語る。
薫はその先を早く聞きたかった。
自分を探し出した理由をだ。
「まあお喋りは、そのくらいでまずはいただきましょう」
食事が始まる。
「薫さんとは何年ぶり」
「引退公演はご覧になられたんですよね」
「もちろん」
「じゃあまだ一年も経ってません」
「あらそうなの。もう五年くらい会ってない感じ」
「それは云い過ぎです」
「鳴滝理事長は、時として時間感覚が麻痺しています」
山内が口を挟んだ。
食事が続く。
薫は喉が通らない程、緊張していた。
鳴滝理事長は絶対的権限を持っていた。
絶対に逆らえないのだった。
(早く知りたい)
薫のこころを察知したのは、菊代だった。
「理事長はん、そろそろ本題に入りはったらどうどすか」
やんわりと誘い水を差し出した。
「そうだったわねえ。ごめんなさい」
鳴滝ことりは、じっと薫を見た。
薫は身構える。
自分を探し出したのは、きっと京塚歌劇団がらみに違いない。
復帰、戻って来いと云うのだろう。
たぶん、いやそうだ。
でも自分はもう戻らないから!
「あのねえ、進駐軍が嵐山に隠した宝物を探して欲しいのよ」
全く脳裏にない言葉の羅列に薫の脳は、ショートしてしまい理解不能に陥った。
(進駐軍)
(宝物)
(探し出す)
ポカンと口を開き、言葉を失ったまま薫は鳴滝ことりを見つめていた。
「ごめんなさい」
鳴滝は振り向き、山内に目配せした。
山内が、手際よく説明を始めた。
昭和20年。太平洋戦争集結。
アメリカを中心とする進駐軍が日本全土を占領。
昭和26年までの6年間、日本の統治、政治はアメリカ主導で行われた。
京都にも数多くの兵隊が来て、多くの建物が接収の名の元に奪われた。
京都植物園は、樹木がなぎ倒されて、将校ハウスが作られた。
嵐山も同様に、多くの旅館が接収されたり、進駐軍専用となった。
祇園甲部歌舞練場も同様で、「カブキハウス」の名の元に進駐軍のダンスホールとなった。
そこで踊って歌っていたのが、鳴滝ことりだった。
これが京塚歌劇団の始まりである。
ここら辺りは、京塚音楽学校の歴史の時間で習って知っていた。
「進駐軍が、日本を去る時に宝物をこの嵐山に隠したと云う事です」
「どこにですか」
「だからそれをあなたが見つけるの」
「何か手掛かりでもあるんですか」
「あるわよ」
鳴滝の指図で、山内が鞄から取り出した。
それをテーブルに並べた。
「これですか!」
( 2 )
「これが手掛かりねえ」
寺男が手に取ってつぶやく。
昨日、薫が鳴滝ことりから預かったものを寺男に見せた。
「布の切れ端に、短冊に、これ何ですか?つけ爪ですか?」
寺男は一つづつ持って目の前に持って来て自問自答していた。
「何かわかるかな」
「これでわかったら、僕天才ですね。明日から探偵出来ます」
再び机に戻した。
「残念ながら皆目わかりません」
「じゃあ私と同じね」
今、二人は世界遺産の天龍寺にいた。
時刻は午前7時過ぎ。
ここは早朝から開門していた。
観光客もいるが、地元の人もいた。
庭が見える縁側に座っていた。
まだ早朝なので、じんわり来る湿度、暑さ攻撃はまだやって来ない。
あと1時間もすれば、出て来る。
それまでの僅かなくつろぎ、思考タイムでもあった。
「たったこれだけで嵐山のどこかに隠した宝物見つけろって、正直雲をつかむような話ですね」
「あら、意見一致しました」
「そんなんで喜んでどうするんですか」
「寺男くんなら何か手掛かり見つけてくれるんじゃないかと思って」
「どこから手をつけますか」
「まず進駐軍と京都」
「そこですね」
薫の前でパソコンを起動させて寺男は情報を収集した。
「でも何で薫さんなんだろう」
パソコンのキーボードを軽快に操る指先の動きを止めて寺男はつぶやく。
「そこそこ。それよ」
「て云うか、薫さんそこの所、聞かなかったんですか」
「鳴滝理事長の権限は絶大なの」
「ええそれはわかってます」
「何で私なんだろう」
「薫さんに失礼ですけど、京塚歌劇団を卒業したOGは沢山いますよ」
「私が嵐山で人力車の仕事してるから」
「動機薄いなあ。そもそも鳴滝理事長は進駐軍の誰からその嵐山財宝の話を聞いたかですよ」
「確かに」
「薫さんが聞けないなら、僕が聞きましょうか」
「たぶんあなたがぶち当たっても、玉砕のみね」
「八方ふさがりですか」
「手掛かりはまずこの三つね」
二人が向かったのは、通称「ランサツ」
嵐山映画撮影所。
薫が嵐山座でレビュー公演する時に、いつもお世話になる所だった。
時代劇映画撮影がめっきり減っていたが、現代劇がその分増えていた。
刑事もの、探偵ものだった。
撮影所の中には様々な裏方部署がある。
その中の一つ、小道具係を訪ねた。
「京都病気刑事」持ち道具・小道具
と書かれた紙が部屋の前に貼ってあった。
出演者ごとに、持ち道具があり箱に入っていた。
ちらっと覗いた。
刑事ものだけあって、手錠、警察手帳、逮捕令状、ビニールに包まれた白い粉、血のりのハンカチなどが見えた。
テーブルの上には、様々な新聞があり、所々ハサミで切ってあり穴だらけだった。
「工作してるんですかね」
寺男の言葉に薫は無言でうなづき、じっと見つめていた。
小道具担当の東は、今、撮影ステージに出向いていた。
暫く、見ていると戻って来た。
「えらい待たせてすんまへん、薫さん」
「東さん、久し振り」
「今日は、何ですか。次のレビュー上演の打ち合わせですか」
「いえ、そうじゃなくて、これなんですけど」
布切れを見せた。
東は、手に取り一目見て、
「ああ、これ畳のへりの部分やね」と云った。
「衣装じゃなくてですか」
「そうや。しかもこれ年代物やねえ」
「何でわかるんですか」
「柄ですがな。今どきこんな大層なもんないのよ」
緑の基調に、金粉で何やら模様があった。
「昔の和室で使ってたかなあ。これどこで手にいれはったん」
「ええ、ちょっと」
「この短冊も黄ばんでるけど、時代物やなあ」
「わかりますか」
「もちろん」
東は、スマホで布切れを撮った。
「短冊をより詳しく知りたかったら、寺町京極の(京かみ堂)へ行きはったらどうないですか」
「ああ、(京かみ堂)ね」
老舗の文具類を扱っている。
近年は東京銀座にも進出している。
「何かわかったら連絡するから」
「有難うございます」
撮影所を出ようとした。
「薫さん」
声の主は、陽三だった。
隣には息子の公平がいた。
「何ぞ用でしたか」
「ちょっと」
「次のレビュー上演ネタでも」
「残念ながらそうじゃないんです」
陽三は次の打ち合わせがあるようでいなくなった。
薫は公平に正直に話した。
「進駐軍ですか。えらい古い話ですね」
「古い云うても、戦後76年ですか」
「京都千年の歴史から見たら昨日の話です」
「誰か古い話知ってる人いないですかね」
「もうぴったりの店紹介します!」
公平が連れて行ったのは、嵐電嵐山駅から一つ目の「嵐電嵯峨」
ここから真っすぐに5分も歩けばJR嵯峨駅に行く。
駅前の小さな喫茶店だった。
「ジョージ」
それが店の名前だった。
「さあどうぞ」
中に入る。
カウンター席7つにボックス席が三つ。
カウンターの中には白髪の黒ぶちメガネをかけた白人の亭主がいた。
「公平さん、いらっしゃい」
「今日は」
「おや珍しい、お客さんも」
「今日は」
薫が挨拶した。
「おやイケメンやねえ」
薫は照れた。
カウンター席とボックス席に高さが様々な木彫りの置物があった。
どこかで見た記憶がある。
しかし今は思い出せない。
「これ何ですか」
テーブルに置いてある高さ1メートル位の木彫りの棒を指さして聞いた。
「トーテムポール」
「何ですか、それ」
「えっ薫さん知らないんですか」
完全に上から目線の公平だった。
「知らない事をはっきり云う若者。正直でよろしい」
ジョージは説明してくれた。
北アメリカ北西部のインディアン族が彫った木彫りで、様々な模様がある。
それは「戦」「婚姻」「歴史」等様々な歴史を示していた。
「日本でも一時流行ったけどね」
「いつぐらいですか」
「50年ぐらい前かなあ」
「戦後じゃないんですか」
「戦後?」
「マスター、この人戦後の京都での進駐軍の事調べているんです」
「進駐軍!」
にわかにジョージの顔に生気がみなぎる。
「マスター、まさか進駐軍兵士だったの」
公平が聞く。
「おいおい、公平、俺を幾つだと思っているんだ」
確かにそうだ。
当時20歳としても96歳。
「失礼しました」
一同はコーヒーとサンドイッチセットを注文した。
薫は、トーテムポールの柄を注視した。
よく見ると、デザインはそれぞれ異なっていた。
「いらっしゃい」
カウンターの端にあるドアが開き女性が入って来た。
「ママ」
「公平さん」
公平がママと呼んだ女性は明らかに若い。
「娘です」
「初めまして」
「あら、いい男!」
薫をじっと見つめた。
公平が、さっきまでの話をまとめた。
「あらそうなの。若いのに感心ねえ」
「嵐山にも進駐軍来てたんですか」
「もちろん。風景がいい所は平安貴族も日本人も外人も同じ感覚なんだよ」
「そうなんですか」
「ジョージは、進駐軍相手に通訳してたのよ」
「凄い!」
ジョージは照れながらも話してくれた。
昭和20年。
終戦。
京都にも多くの進駐軍が入って来た。
京都は大阪、東京と違って大規模な空襲を受けなかった。
だから、大変好評だった。
元々アメリカ人の父と日本人の母の元で育った生粋の京都人なのだ。
「生粋の京都人の外人って何かおかしい」
「小さい時は、(あいのこ)と云われて差別受けた」
「(あいのこ)ですか」
薫に再び初めて聞く言葉が耳に入る。
「今で云う、(ハーフ)やねえ。父親は英語、母親は日本語で小さい時から話されていたから、自然と二か国語が見についた」
「それってご両親が、わざとそうしてたんじゃ」
「そう。だからよかった」
当時まだ通訳出来る人間は圧倒的に少なかった。
未成年であろうと重宝された。
「今の祇園甲部歌舞練場が進駐軍のダンスホールだった」
「南座は接収されなかったんですね。どうしてですか」
「歌舞練場は、敗戦末期、椅子が外されて、兵器工場だった」
戦後、進駐して来た時、すぐにダンスホールとしての空間があるから接収されたんだ」
「客席があるか、なしかで劇場の運命も変わったのか」
「じゃあその間、(都をどり)はどこでやってたんですか」
「南座ですよ」
「そうだったんですね」
薫も寺男も知らない京都の戦後史だった。
薫はスマホで三枚の写真を見せた。
「この布切れは、畳のへりに使うのがわかったんですけど」
「ああ、この爪、お琴弾く時に使うやつやね」
隣から覗き込んでいたママが答えた。
「お琴ですか」
「そう。主に爪には流派によって形が違うの。京都の発祥である生田流は爪の形が四角なの」
「後の流派は」
「江戸の山田流。爪が丸いのよ」
「これは四角いですね」
「そう爪の材質は今はプラスチックが主流やけど、これは象牙やねえ」
「何でわかるんですか」
「象牙は時間が経つとこうして色が変色するんよ。それにしてもこれ変色しすぎ」
「ええ70年近いです」
「畳、琴、短冊」
薫はつぶやく。
「この短冊もかなり古いなあ」
「そうです。同じ時間経過してます」
「短冊はうちは知らんわあ」
「短冊やったら、寺町京極の(京かみ堂)へ聞きに行きよし」
ママが断言した。
「ジョージマスター、進駐軍が日本占領終える時に、財宝をどこかに埋めたなんて話知りませんか」
「ああ、京都の進駐軍都市伝説だろう」
ジョージの話によると、この手の話は世界中にあるそうだ。
(ヒットラーが自殺する前に隠した財宝)
(フィリピンで、日本軍が隠した財宝)
(ムッソリーニが隠した財宝)
寺男がネットで調べたら続々と出て来た。
「マッカーサーが東京に隠した財宝の話もある」
マッカーサーとは、アメリカ連合総司令部のヘッドである。
日本人なら厚木飛行場にパイプ加えて降り立つ姿と昭和天皇と一緒に肩を並べて映る写真が有名である。
「そもそも、何でそんな財宝都市伝説が生まれるのかなあ」
素朴な疑問を公平は口にした。
「ロマンだよ」
間髪入れずにジョージが答えた。
「ロマンですか」
「そう。人間は殺伐とした時代にこそロマンを求める」
「そうですか」
「ロマンともう一つ、ロマンスもよね」
少し笑みを浮かべてママが答えた。
「そう。だから(戦争花嫁)も生まれた」
そう云いながら、ママはちらっとジョージを見た。
この日、この場で何度目かの知らない言葉が耳に入る。
「すみません、その(戦争花嫁)って何ですか」
「一言で云えば、進駐軍兵士と日本人女性がロマンス生まれて結婚してしまう事」
ジョージが説明してくれた。
焼け野原の日本。
戦後、物資豊富なアメリカ進駐軍を見て日本人は腰を抜かした。
だから、夢の国、アメリカへ渡ろうとする日本人女性が続出した。
「しかし現実は戦後20年足らずで、日本は復興を遂げる」
「奇跡の復興」
掛け声のように、ママが口に手を当てて叫んだ。
「東京オリンピックが昭和39年。1964年。戦後19年だもんなあ。たった戦後19年で新幹線東京、新大阪間開通させて、高速道路作って、国立競技場、選手村作ったもんなあ」
「今の中国のような勢いだった」
寺男が確認するように云った。
「熱く燃える季節だった」
「それこそ国民一丸となった一大イベント」
「ママ知っているんですね」
「誤解しないでよ。あくまでジョージからの受け売りの話」
店を出て公平と別れて、薫と寺男は、最後の手掛かり求めて寺町京極通りにある(京かみ堂)へ向かった。
京都の繁華街四条から三条にかけてある、新京極通り。
その新京極と並行して出来た商店街が寺町京極だった。。
修学旅行生、外国人観光客に人気だった。
薫も知っている若主人を呼んで貰った。
寺男が店内を見渡す。
毛筆、硯、手紙の便箋からポチ袋、大入り袋と様々である。
「松の葉?何ですか?」
寺男は、そう小さな紙に書かれた一画に目が止まる。
「わ、私に聞かないでよ」
「松の葉と書かれた小さな袋と、寸志、ポチ袋が並んでる」
「一緒じゃないの」
「いいえ、同じじゃないですよ」
二人の前に若主人が顔を見せた。
(京かみ堂)18代当主、紙沢創がにこやかに笑いながら云った。
「どう違うんですか」
「松の葉のように、ほんのささやかな物ですって意味です」
「じゃあ寸志と同じ意味」
「ちょっと違うなあ。寸志は目上から目下への贈り物。松の葉は関係ないです」
「さすがは、老舗ですね」
「いいえ、うちは老舗じゃないです」
「でも創業380年でしょう」
入り口の暖簾に書かれた染め文字を見ながら薫は云った。
「江戸時代創業でしたら立派な老舗でしょう」
「いえ、江戸時代創業だからこそ老舗じゃないんです」
「どう云う意味ですか」
「京都は歴史が長い街ですから、江戸時代創業の店も老舗にしてしまったら、京都は老舗だらけになるんです」
「確かに、近所の八百屋さんも江戸時代創業でした」
「じゃあ何て呼ばれてるんですか」
「新興の店」
「あちゃ~京都は奥が深い」
寺男が云って、顔をしかめた。
「歴史も深い。けど東京やともう立派な老舗扱い。まあ東京自体、新興の街ですさかい」
「そうですよね」
「で、ご用は」
「ああ、長話は禁物。これなんです」
薫は寺男に目配せした。
紙沢の前に短冊を見せた。
「また年季のある品物ですねえ」
紙沢は、手に取りじっくりと鑑定を始めた。
「わかりますか」
「ええ。でも戦後ですね」
「戦後?蛤御門の変の後?」
「もうちゃかさんといて下さい。太平洋戦争後です」
「何でわかるんですか」
「ここです」
短冊の裏に小さな消えかかったスタンプを見せた。
星印とUSAが刻印されていた。
「これ進駐軍の大量買いの印です。うちから買ったやつです」
「こんな消えかかった印、見落としてました」
「これはどこで」
「ある人から」
さらに紙沢の分析が続く。
短冊を天井の方に持って行き指先で表面を何度もなぞった。
「この短冊の紙、上からもう一枚重ねてますね」
「へえ」
薫と寺男は思わず同時にうなづいた。
「今、ここで剥がすのは無理ですわあ。ちょっと預からせて下さい」
「どうぞ」
「綺麗に剥がして、下の紙にもきちんと対応します」
「お願いします」
店を出た。
「収穫ありましたね」
「そうね」
頭の中で薫は整理していた。
布切れ→畳のへりに使う
爪→琴を演奏する時の爪。生田流
短冊→戦後のもの
( 3 )
翌日、薫は寺男からのLINEで目が醒めた。
「良いニュースと悪いニュースあります。至急会ってお話したいです」
待ち合わせに使ったのは、いつもの嵐山渡月橋そばの福田美術館のカフェコーナーだった。
カウンターの向かいには、透明の窓があり、渡月橋を渡る人々と保津川が見えた。
二人は、一台のタブレットを置いていた。
「どちらから行きますか」
「そうねえ。ショックは最初の方がいい。まず悪いニュースから云ってよ」
「承知しました」
寺男はタブレットを操作した。
「今朝、メール来ました。添付ファイルにこれがありました」
薫は画面を注視した。
白い便箋に新聞雑誌の切り抜き文字が貼ってあった。
「これ以上探索を続けるな。死ぬぞ」
「レトロ。昭和の脅迫状」
薫はつぶやく。
「ですよね。何でこんな手の込んだ事するのか。メールの本文にこれと同じ文字を打って送信すれば事は済むのに」
寺男はいぶかし気に頷きながら答えた。
「そうする必要があった」
「何のために」
「わからない」
「正確には、(今はわからない)ですよね」
確認するように寺男は云った。
「今回の事、ちょっと最初から全部疑ってみようと思うの」
「最初から?疑う?」
薫は耳元でつぶやく。
「それはないでしょう!幾ら何でも!」
「声が大きい!」
「失礼しました」
「だから、一から順番に疑いかけて、それをはらすって事」
「わかりました」
「で、良いニュースは」
「これです」
「またメールなの」
一通のメールを寺男は開いて見せた。
「ジョン!」
忍者オタクのジョンからだった。
文面は全て日本語で誤りはない。
完璧な日本語だった。
ジョンは、全米忍者協会の副理事から、理事長に就任していた。
さらにジョンは、全米各地で講演会を開いていた。
「その講演会の題名がこれなんです」
「忍者の故郷は「伊賀」「甲賀」だけではない!」
「それで彼は、嵐山を第3の忍者の故郷だと言い張るのね」
「観光協会からすると喜ばしいですね」
「でもこれ以上、嵐山に観光客増えると困る」
昨今は冬のシーズンオフでも多い。
真冬にボート乗るのは寒いと思うのだが、喜んでやっていた。
「何ですって!近日、日本に来るって!」
「ツアー組んでやって来るそうです」
「おもてなしやらないと」
「そうです」
薫のスマホが振動した。
「はい」
相手は、紙沢だった。
「例の短冊、上手く剥がれましたよ」
「有難うございます。で、何か出て来ましたか」
「ええ興味深いものが。詳しくは会ってお話します」
スマホを切る。
「京かみ堂さんですか」
「そう。行きましょう」
すぐに二人は京かみ堂に向かった。
「松の葉?」
「ええ。松の葉が短冊から出て来ました」
紙沢は見せた。
「こんな事ってあるんですか」
「いやあ、初めてですね」
「何の目的なんですか」
「さあ」
「松の葉、確かささやかなものって意味ですね」
「そうです」
「これで三つの物のヒントが出そろいましたね」
布切れ→畳
爪 →琴
短冊 →松の葉
「大抵、ヒントが見つかると、第一歩となるけど、余計に解らなくなるわねえ」
考えながら店内を見渡す。
昨日気づかなかったが、奥の壁には来店した有名人のサインが書かれた色紙が貼ってあった。
「色々な有名人さんが来られてるんですね」
「お陰様で。近所の人は、ここは寺町の車折神社やと云うてます」
「ああ、芸能社」
ジョンとの忍者騒動の時に訪れた事を薫と寺男は思い出していた。
朱色に黒の墨文字で奉納された芸能人の玉垣。
こちらは、「サイン」なので余計に価値がある。
「もうすぐ壁を覆いつくす勢い」
「それ以上となったらどうするんですか」
「手前どもは二号店を考えてまして。そこはサインだらけの店にしようと思っています」
「どこに出すんですか」
「祇園か嵐山ですね」
「嵐山にして下さい」
「あと手形をつけるとか」
「それハリウッド、東京にもある」
「京都はもう一つ、何か独創的なものを」
「それ何ですか」
紙沢に突っ込まれて返答に詰まる薫だった。
短冊を貰い、店を出た。
薫のスマホが振動した。
鳴滝からだった。
「お早うございます」
「はい、お早うさん。薫さん、どうなの。見つかったかしらん」
「今、絶賛捜索中です」
横から寺男がパッドで、例の脅迫メールを見せた。
「鳴滝理事長、実は」
正直に脅迫メールの件を話した。
「まあ恐ろしい。警察へは届けたの」
「いえまだです」
「気をつけなさい」
「有難うございます」
「実はねえ、期限を設けようと思うの」
「期限ですか」
「そう。私も91歳。いつお迎えが来てもいい年だし」
「そんなあ。まだまだ大丈夫です」
「大丈夫じゃないから電話してるの」
「はあ」
「それであと10日以内に解決してよ」
「もし出来なければ」
「そんな消極的な発想は駄目。じゃあねえ」
一方的に電話は切れた。
次は寺男にジョンから再びメールが届いた。
今回は写真付きだった。
薫は、文面よりも、一枚の写真に目が行く。
「寺男くん、もう一つ調べて欲しい事があります」
「何でしょうか」
薫は、写真を指さししながら耳打ちした。
それを聞いて寺男は、絶句した。
「それ本当ですか!」
「だから本当かどうかを調べて欲しいの」
「わかりました」
「さあ忙しくなったわよお」
「はあ。あのう一つ聞いてもいいですか」
「何よ」
「短冊の中から出て来た(松の葉)のメッセージ、わかりましたか」
「全然」
「またあっさりと」
薫は寺男と別れて一人で渡月橋の南側の左岸にいた。
一つの石碑を見ていた。
「琴きき橋」と書かれていた。
京都に数多く眠る伝説、逸話の一つであり、嵐山では有名な
平安時代末期、高倉天皇は、小督を寵愛していた。
しかし小督は、平清盛の怒りにふれるのを恐れて逃げる。
高倉天皇は、すぐに見つけるように指示を出す。
渡月橋の袂で、琴の音を聞いて、小督の居場所を見つけた。
小督は琴の名手だったのだ。
近くには大きな松の木があった。
松の木と渡月橋をセットで写真を撮る人が多くいた。
石碑を見て閃いた。
すぐに寺男にメールした。
返信が来る。
「了解」
再びスマホが振動したのでビクンとした。
「ランサツの東です」
「ああ東さん」
「今いいですか」
「どうぞ」
「例の布切れの件ですけど」
「和室の畳に使われるものね」
「そうです。あれから文様を調べたんです」
「何かわかったの」
「あれ、普通の部屋じゃないです」
「高級な部屋」
「そうです。一般の家でも高級な。高級旅館、茶室とかホテルとかです」
「有難うございます」
益々、確信めいたものがどんどん頭の中を支配した。
すぐに行動に移した。
陽三の自宅を訪れた。
連絡を受けた陽三は、
「じゃあ嵐山撮影所で逢おう」と云った。
「いえ、実はご自宅でお会いしたいです」
「自宅?」
「ええ時間は遅くなっても構いません」
そんなわけで、夜、訪問した。
応接間に通される。
一人の時を見計らって、スマホで調度品を写真撮る。
すぐにメッセージつけて寺男に送信した。
そのメッセージは
「依頼のまとめ。菊代の夫、鳴滝理事長、ジョージ、ジョン、陽三の経歴詳しく」
「やあ遅くに来て戴いてすまないねえ」
陽三が入って来た。
「こちらこそ」
「で要件は」
「近日、レビューします。それの打ち合わせです」
「こりゃあ珍しいなあ。いつもならギリギリなのに」
「すみません」
毎回、人力車に乗せたお客様の事件レビュー上演に際しては、陽三の言葉通り、ギリギリでのリクエストだった。
一日前が通常だった。
「今度は何を用意すればいいんだ」
「欧米外国人です」
「何人ぐらいだね」
「多ければ多い程」
「10人?20人?」
「最低30人」
「30人!今度は一体何をやるつもりなんだ。ダンスパーティか」
「はい」
「えっまじか」
「すみません」
「わかった」
「衣装はこれで」
スマホの写真を見せた。
「ほお」
「すでにランサツの衣装部へはデータ流しています」
「あと、陽三さん」
そこまで云うと、薫は陽三に耳打ちした。
みるみるうちに陽三の顔が歪む。
「だから当日、ぜひやって貰いたい役があるんです」
薫は小声でつぶやく。
何度も陽三はうなづいた。
「で、今回のレビュー上演のタイトルは?」
「はい。私です」
「私?」
陽三は、いぶかし気な眼差しを送った。
「私の事件、レビュー上演いたします」
( 4 )
嵐山座までの観光人力車に乗っていたのは鳴滝と執事の山内だった。
いつものように軽快に竹林の道を進む。
「薫さん、すみませんねえ。二人も乗せて」
「大丈夫です」
前を見ながら薫は答えた。
「やっぱり悪いわあ。山内、あなた降りなさい」
「わかりました」
正直に山内は降りようとした。
「山内さん動かないで!危ないです」
「すみません」
山内は鳴滝理事長と薫の板挟みになった。
「本当に大丈夫なの」
「ええ。観光人力車ってカップルで乗る人が大半なんです」
「一人は少ないと」
「90%はカップルです」
「でも執事を乗せてのカップルは珍しいでしょう」
鳴滝はじっと山内を見ながら答えた。
「たぶん初めてです」
「それは良いわねえ。薫さん、あなた今回の宝物探し見つけたの」
「はい。もう一つの宝も見つけました」
「何それ」
「それは嵐山座でのレビューをご覧下さい」
「楽しみねえ。京都でレビュー見るなんて何年ぶりかしらん」
薫は笑っていた。
嵐山座に着く。
案内係の役目のお茶子が鳴滝、山内を案内した。
薫は一礼してすぐに舞台裏の楽屋に飛び込む。
鳴滝は感心した。
「こんな竹林の中に立派な劇場があるなんて」
「確かに」
二人はスマホであちこちを撮影していた。
やがて「嵐花亭」の女将の菊代も来た。
少し離れた席にはジョージ夫妻も招かれていた。
京かみ堂の主人、紙沢も来ていた。
陽三、公平も出席していた。
二人は今回も舞台の監修、演出を担当していた。
関係者が続々と集まる。
それを見届けて一般入場が始まる。
開演アナウンスは薫の声だった。
「皆様ようこそ嵐山座にお越しくださいました。今回のレビューは、私、立花薫の事件をレビュー上演致します。どうか最後までごゆっくりご鑑賞下さいませ」
アナウンスが終わる。
すぐに飛行機の爆音が響く。
腹の底から響き渡るもので、椅子が振動で揺れた。
「あれは!」
菊代が上空を指さした。
無数の爆撃機が客席を覆う。
よく見ると、ドローンにミニチュアの飛行機を引っ付けたものだった。
ホリゾント幕に東京、大阪の太平洋戦争での大空襲による焼け野原が映し出された。
文字が浮かぶ。
「昭和20年8月15日」
続いて昭和天皇の玉音放送が流れる。
文字が変る。
「日本は敗戦。アメリカ進駐軍がやって来た」
ドローンが急上昇して客席から見えなくなった。
花道、舞台奥、上手下手から一斉にアメリカ兵士が出て来る。
それぞれの行進は、全くバラバラだった。
背中にはフライパンを吊っていた。
どの顔も笑顔に溢れ、ある者は、客席に向かってチョコ、ガムをばらまいていた。
舞台は、お座敷の場面。
奥に大文字山が見える。
今夜は大文字の送り火。
大の字が燃えていた。
アメリカ兵士二人に舞妓二人。
突然、渚ゆう子「京都の恋」の歌が流れる。
舞妓が踊り出す。
その時、大文字山の舞台装置の奥から幽霊の恰好した男が出て来て一緒に踊り出した。
予期せぬ展開に客席は大きくどよめく。
「あ、あなた!」
客席にいた菊代が叫んで立ち上がった。
奥から案内係のお茶子が走って来て座るように促す。
幽霊役は、今度は背中に背負っていたものをくるっと目の前に持って来た。
と同時に黒子が琴を持って来て幽霊役の隣りに置いた。
義太夫三味線のあの腹の底に響く低音が舞台と客席を支配し始めた。
米兵もお喋りをやめて、正面を向いた。
義太夫三味線の音色が続く。
「あっこの音色は」
菊代は再び立ち上がる。
今度は真っすぐに舞台に向かった。
客席と舞台を繋ぐ、通称「三段」と呼ばれる階段を登る。
案内係が手を携える。
薫は舞台に出て来て、菊代に「爪」を渡す。
菊代は、琴を奏でる。
義太夫三味線と琴の掛け合い、合奏となる。
どんどんテンポが速くなった。
菊代は、地べたに置いてあった琴を持ち上げる。
何と、琴を縦にして弾き出した。
これが如何に、サプライズ、珍しいものなのか、米兵もすぐに気づいた。
口笛と歓声が巻き起こる。
その現象は、すぐに観客にも伝播した。
「君は、理想の女性」
♬
あなたの琴の音色 惚れました
あなたの指先に 惚れました
あなたのつま弾く 琴の糸
13本の糸は 僕に通じる
どうか どうか 振り向いて
演奏を終えたら 一緒に語らい
演奏が始まったら 一緒に合奏
それが僕の願い事
それが僕の夢の音楽会
一緒に歩もう 音楽の世界
琴と三味線が寄り添う
平和な世界なのです
演奏が終わる。
大きな拍手が二人を包み込む。
長い拍手が終わるのを待った。
「この曲、主人と私が初めて合奏した曲なんです」
「思い出の曲でしたね」
薫の眼差しはどこまでも優しい。
「主人は、私の琴の音に惚れ込んで付き合いを求めて、プロポーズしたんです」
「即興で演奏したんです」
主人は少し顔を赤らめた。
「主人の強引さで一度お会いしました」
「でもこいつ、私の前で交際を断ったんですよ」
「つまりすんなり行かなかった。どうしてですか、菊代さん」
「いきなりそんな事、恥ずかしいやおへんか」
「それでどうなったんです」
菊代が説明し始めた。
交際を断った菊代は、その場を立ち去る時、琴の演奏で使う「爪」を忘れて帰ってしまう。
それに気づいた主人は、後を追いかけて来た。
「菊代さん、それってわざとですよね」
「わかりますか」
「はい。表向きは断ったけど、ほんまはついて来て欲しい。だから爪を忘れたと小芝居したんですね」
「はい。これがほんまの(爪あと残す)」
客席から小さな笑いが起きた。
「私は菊代の琴の音色でほんまに惚れたんです」
「素敵ですね。優しいご主人を勝手に死なせては駄目です」
「ええ、すみません」
「そのエピソードから、今度作った別邸の名前が(琴聴)だったんですね」
「そうです」
「もう一度、話を整理します。菊代さん。あなたは、私と一緒に大文字の送り火を見ました。その時、ご主人が亡くなって初盆だといいました。でも違ってましたね。ご主人は亡くなってはいませんでした」
「何でわかったんですか」
「あの時、確か(上手くいった)とつぶやきました。それで違和感が芽生えて寺男君に調べさせました」
上手からファイル持って寺男が出て来る。
「ご主人は亡くなってません。この通りピンピンとしてます」
寺男が云うと、幽霊は腹筋運動を始めた。
客席に笑いの小じわが生まれた。
「私は今回の鳴滝理事長からの依頼。もう一度最初から検証しようと思いました」
再び薫が話し出した。
ホリゾント幕に「嵐花亭」の外観写真映る。
「あの日、私は菊代さんの料亭に戻り、ある小部屋で待機されることになりました」
小部屋が映る。
「その部屋からは改装中の茶室、別館がよく見えました」
写真が変わる。
「時刻は午後9時過ぎ。もちろん工事はやってません。でもこうこうと電気がついてました。さらに部屋の片隅に(ひよこ引っ越しセンター)の段ボールが一つ。
これって何でしょうか。明かり、引っ越しの段ボール。これらは私に対してのあるメッセージだったんですね」
「何故そう思うんですか」
菊代がつぶやく。
「あの時、気づきませんでしたが、部屋から改装中の別邸、茶室が見渡せるのは、あの小部屋だけだったんですね。つまり何が何でも私に、あの引っ越す茶室に気づけよとばかりの、これはメッセージだったんですね。この詳細は後ほど」
ホリゾント幕に嵐花亭の見取り図が映る。
寺男が薫の喋りに合わせて、ポインターで映し出す。
次は、布きれ、爪、短冊の三つの写真が映し出される。
「私は京塚歌劇団の鳴滝理事長からこの三つのヒントを元に進駐軍が嵐山に隠した宝を見つけるように云われました」
布切れ→畳のへり
爪 →琴の爪(生田流)
短冊 →松の葉
テロップが映し出された。
「以上の事がわかりました。松の葉とは(ささやかな)と云う意味です」
「やるわねえ」
鳴滝はつぶやく。
さて、そんな私に脅迫メールが届きました。
「これ以上探索を続けるな。死ぬぞ」
「ご覧の通り、白い紙に新聞紙を切り抜いた文字が貼ってある。昭和の刑事ものによく出て来ます。さて私はランサツで小道具係の東さんの仕事部屋にお邪魔しました。ご覧の通りデスクには新聞の切り抜きの跡が散乱してました」
「俺じゃない!」
東が今度は立ち上がって叫んだ。
「ええ、わかってます。犯人は東さんじゃないです」
「じゃあ誰なんだ」
「普通、新聞雑誌の文字を貼り合わせて紙に貼った脅迫状なら、それを郵送するはずです。でも犯人はそれをせず、それを写真に撮って添付ファイルしてメールで送りました。何故そんなまどろっこしい事をしたのか。私も悩みました。結論はこうです。そうしなければならなかった。そうしないとばれるから」
ここまで云って薫は関係者席を見つめた。
その一帯に猜疑心と戸惑いが同居していた。
「東さんと見せかけて、実は紙沢さん、あなたですね」
「一体何を証拠に」
「京かみ堂本店には、様々な有名人のサイン入り色紙がありました。その中には、嵐撮の役者さんも数多くあります。京かみ堂は紙を撮影所に納入してましたね」
「そんなの理由にならん」
画面がアップされた脅迫状が映る。
「あなたが送った脅迫状、ご覧の様に、べったり全面糊付けされてました」
「当たり前じゃないか」
「いえ、嵐撮では当たり前じゃないんです。そうですね東さん」
「はい。ドラマでは文言が代わるので、全面貼り付けじゃないです」
「何だとお!私は、指示通りにやっただけだ!」
紙沢が叫ぶ。
「ええもちろん、わかってます」
関係者席が大きくざわついた。
それぞれが顔を見合わせる。
「黒幕がいました。その黒幕が用意した、三つのヒントを元に進駐軍が隠した所はわかりました。その場所は」
ホリゾントに「嵐花亭・別邸琴聴」が映し出された。
「ここですよね、菊代さん」
「そこはうちの今、工事してる別邸どすがな」
「そうです。あなたが私をこの部屋に案内した時から、いえ、あの大文字の送り火の時から、壮大な私に対してのドッキリが始まっていたんですね」
「それは」
「それで何で三つのヒントからその茶室なの」
今までじっと耳を傾けていた鳴滝が口を開く。
「あの畳の布の切れ端は、あの茶室と同じ柄。琴の文様も同じでした」
「じゃあ短冊の(松の葉)の意味は」
「それを今からお話します。茶室から出て来た宝物はこれです」
じゃーんと大きなドラの音が響き渡る。
黒子二人が舞台奥から二畳台を押して出て来る。
赤い毛氈が上から被せられて中身が見えなかった」
「昭和20年から始まった進駐軍の占領は六年に及び、そしてやっと終わりました。進駐軍は京都を去る時、これらの宝物を隠しました」
薫は黒子に合図した。
黒子は赤い毛氈を剥がす。
中からは、発禁処分とした台本、茶器、紙、箸、食器が出て来た。
「何じゃこりゃ!」
「宝物やから、金銀財宝とちゃうんかい」
客席のあちこちから野次が飛ぶ。
「皆さん、勘違いしないで下さい。進駐軍が感じた、見つけた宝物です」
「そうか!」
紙沢が膝を打つ。
「我々日本人が日頃使う、目にするもの。実は外国人から見ればそれが宝物なんです」
「そうよねえ」
静かに鳴滝がうなづく。
「そして、これが(松の葉)。つまり、進駐軍から我々日本人に対してのささやかな贈り物の意味です」
暫く間を置いて、鳴滝が手をゆっくり叩いた。
ささやかな一人の拍手の小波は瞬く間に中波、大波へと変化して
舞台と客席をびっしりと覆いつくした。
「お見事でした」
ゆっくりと鳴滝は立ち上がる。
山内の介添えで舞台に上がる。
「さすがは、元京塚歌劇団のトップスター、七色彩香よね」
客席にざわめきが生まれた。
「いえ、今では立花薫さんでした」
「鳴滝さん、今回の壮大なドッキリ。私は一部を残して解決しました」
「一部?」
「ええ。一つのピース、ワンピース残してその像は出来上がりました。でもそのワンピースがわかりません」
「わからない?あなたほど、洞察力のずば抜けた人が」
「ええわかりません。何でこんな手の込んだドッキリを仕掛けたのですか。その目的がわかりません。それが解決しない事には、その完成像は、見えないのです。ですから教えて下さい。何でこんな事を私に仕掛けたんですか」
「簡単な事よ。あなたが適正かどうか、これはあなただけの最終の
適正テストでした」
「テスト?何のテストですか」
「あなたを始め、京塚歌劇団の人は、年齢でしかも30歳前で、皆やめてしまう。いや、やめさせられる。それが惜しいのよ」
「やめるのは最後は自分自身です」
「形式上はね。年齢でやめるっておかしいのよ。でも毎年下から新しいスターが生まれる。ところてん方式でどんどんやめさせられる」
「鳴滝理事長なら、その権力で止められます」
「止めるんじゃなくて、新たな活躍の場を作ろうと考えたの」
「新たな活躍の場?」
「そう。平たく云えば京塚OG歌劇団を作ろうと考えたの」
「理事長は、初代団長にあなたをと考えたんです」
山内が補足した。
「でもね。私が任命したら、他のOGはきっと、私の権力、個人的趣味であなたを選んだと云うと思うの。その時の根拠が欲しかったの」
「それでこんな壮大なドッキリを」
「これはドッキリじゃなくて、試験」
「京都人、京都を舞台にした試験ですね」
「そう。これこそ公開試験です。薫さん、引き受けてよ」
「私でよければ。でもあと一つ云いたい事があります」
「何よ?ギャラ?それはお客様のいない楽屋で」
客席から失笑が漏れた。
「たんとあげて!」
すかさず野次が飛ぶ。
「もちろん、あげるわよ。皆さんがお越しくだされば」
拍手が再び巻き起こった。
鳴滝と薫が握手した。
客席にいたほぼ全員がスマホで写真、動画を捕り出した。
「じゃあフィナーレよね」
「ちょっと待って下さい。あと一つ云いたい事があります」
「何よ」
「今度は私から理事長に松の葉、つまりささやかな贈り物をしたいです」
「何よ」
下手袖にいた寺男が出て来た。
「何が始まるの」
「鳴滝理事長。あなたは、あるアメリカ人と恋に落ちました。そして昭和25年。あなたが20歳の時、彼が19歳、共にアメリカへ行きました」
「ええ行きました。何故わかったの」
「京塚歌劇団の歴史。表向きは病気療養のため。現実は子供を産むためでしたね」
再び客席にざわつきの神が降臨した。
舞台にアメリカ兵と花嫁姿の集団が現れる。
「当時の日本は、もう焼け野原。家族も希望も夢も失くした日本女性はアメリカに新天地求めて渡米したの」
「いわゆる(戦争花嫁)ですね」
舞台一杯使って、歌と踊りが繰り広げられる。
軍服姿の米兵と花嫁姿、和装、洋装の女性とがダンスを始めた。
客席からは手拍子が巻き起こった。
「戦争花嫁」
♬
焼け野原の 街と家
沢山の家族も 焼け死んだ街
もう沢山 もう沢山
こんな街とも 今日でお別れよ
明日から 私は新しい大地へ
足を踏み入れる 高らかに歩み出す
きっときっと きっと希望と夢が
溢れているわ 私はそう思う
だからダーリンと 肩を組んで
踊りながら タラップを駈け下りる!
タラップタラップ 夢のタラップ
シャラップ!シャラップ!
黙れ黙れ 日本人どもよ!
何故敵国にやって来た
お前にはポリシーないのか
恥ずかしくはないのか
集団がうずくまる。
赤ん坊の泣き声
その中から一人の女性が赤ん坊を抱えて出て来る。
「鳴滝さん、おめでとうございます。立派な男の子です」
「しかし、戦後まもなくは、アメリカでは日本は敵国。激しい差別がありました」
「そうよ。私は子供を抱えてあえなく帰国。生活出来ないから子供を施設に預けたのよ」
「その子供はどうなりましたか」
「わからない」
「もし会えたらなんと声掛けしますか」
「ただ謝りたい。でも無理よね」
「無理じゃない」
と花道の奥、鳥屋口から声がする。
客席の観客全員が花道を振り向く。
一人の老いた外人が出て来る。
「あなたは」
「そうだ久し振りだね、鳴滝ことりさん」
「ジョージ!」
二人は抱き合う。
「私達の子供は」
「大丈夫。今も生きてる。立派に生きてる」
「見せてよ!」
「ああわかってる。おい出て来いよ!」
舞台奥にスモッグが噴出する。
忍者姿の連中が激しく動き回る。
激しい殺陣を繰り広げる。
主役の人間は白髪の獅子の被り物をしている。
忍者が全て死ぬ。
肩を大きく揺らして、被り物を取った。
「親父!」
客席にいた公平が叫んだ。
「陽三さん」
「どうなってるんだ。親父」
「俺も知ったばかりで驚いている」
「鳴滝さん、あなたの彼氏はジョージさん。そしてお子さんが陽三さんでした」
「どこでわかったの」
「ジョージさんの喫茶店にあったトーテムポール。あのミニチュア版がどこにあるか、やっとわかりました。陽三さんの部屋にありました」
「オリジナルのトーテムポールでした。二つは親子と云う意味です」
「信じられない!」
「もう一つ信じられない事を。ジョージさんのお孫さん、実は偶然私も会っていました」
「誰なの」
「あの方です」
客席のある場所にスポットライトが投射された。
「へーい!ここだよ」
陽気な声で叫んだのが忍者オタクのジョンだった。
「つまり・・・」
鳴滝・ジョージ夫妻→陽三
ジョージ→孫・ジョン
ジョンは素早く舞台に賭け寄り、鳴滝とジョージと、陽三と抱き
合う。
「でもジョンとジョージを結び付けた物は何なの」
「それもトーテムポールでした。ジョンが私に送ったメールの中の写真がこれです」
アップされた写真がホリゾントに映る。
「拡大されてわかりました」
「これが私から鳴滝理事長への松の葉、つまりささやかな贈り物です」
「松の葉どころか、松100本くらいね」
声が震え、涙が溢れる鳴滝だった。
「ごめんなさい。陽気な舞台を湿らせて」
「理事長、では皆さんとあの歌うたいましょう」
「ええあの歌よね」
音楽が流れる。
客席の観客は予め手渡されていた冊子を見る。
京塚歌劇団の主題歌
「京都・花尽くし 」
♬
手を差し伸べると きっと笑顔で
肩を組むと きっと笑顔で
両手を握って 踊ると笑顔で
花を持って 駈けつけよう
花束を持って 走り抜けよう
花の世界へ 友に行きましょう
さあさあさあ 掛け声よろしく
京塚!(イエイ) それは希望のしるし
京塚!(イエイ) それは夢の世界
京塚!(イエイ) それは生きる全てさ
京塚歌劇団は そばにあります
京塚歌劇団は 目の前にあります
皆の顔は晴れ晴れとしていた。
嵐山の竹林の中を京塚歌劇団の歌が流れる。
舞台と客席を包む竹林が風でゆっくりと揺れてしなる。
それはまるで、肩を組んで同じ方向に行く団体のようだった。
風が笑う。
竹林がほほ笑む。
薫のネクストステージは、今大きく花開こうとしていた。
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