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コンクリートむき出しの狭くて暗い通路を抜け、スタンドに出た瞬間、そのギャップに驚いた。
外野一面の天然芝の緑が目に飛び込んで、その清々しさに半ば呆然と立ち尽くし、深呼吸したい気分になった。
「――綺麗だ」
思わず口走り、慌てて自分の口を塞いだ。
何回も足を運んでいる人達にとったら、どうという事のない当たり前の景色。
球場なんだから当然だ。いちいち感激してどうする、そう思い、自分の胸の中だけで密かに楽しむ事にした。
それにしても緑が多くて、本当に綺麗なスタジアムだと思う。
公園の中にあるせいか、背の高い大きな木が球場を取り囲んでいるし、外野フェンスの後ろも一面芝生が敷き詰められてる。
それに屋内の会場とは比べ物にならない客席の数!
一万人は入れそうだ。
にも係わらず、ほぼ満席に近い状態まで埋め尽くされてる。
試合開始まで、あと三十分以上あるというのに。
そんな観衆の中、グラウンドで試合前の軽い練習をする選手達にやっと目をやった。
北斗は――
見付ける前に藤木に腕を掴まれ、西城の学生が座るレフトスタンドへ連れて行かれた。
その通路の先では会長の小野寺さんが、大きなダンボールを足元に置き、応援に来た生徒一人一人に声を掛けていた。
手には真っ白い野球帽と、鮮やかな青色のメガホン。
俺達の姿を認めた会長が、スタンドに向かって大声で呼びかけた。
「お前ら! 剣道部、吉野の凱旋だぞォ!」
「なっ!!」
手にしたメガホンでわざわざ叫ばれ、試合前のスタンドに大きな拍手が起こる。
思わず駆け寄ってメガホンを奪いたくなった。
真っ赤になったのが自分でもわかる。
あまりの恥ずかしさにきびすを返しかけた俺は、いつの間にか後ろから来ていた剣道部主将に肩を掴まれ、そのまま会長の元まで連行された。
絶対仕組まれていた! 藤木もグルか?
会長の隣で皆と同じに拍手する友人を睨んだら、悪戯っぽく舌を出す!
やっぱり。
お見事としか言いようのない手際のよさに、次期会長の姿を見た気がした。
「吉野、相模、白井、辻、安達、お帰り。ベスト8、おめでとう」
にこやかに笑う会長に怒る気も失せてしまう。
それに会長には剣道部の垂れ幕を作った時、差し入れまでしてもらい、何かと世話になったんだった。
俺達と握手を交わした会長が、足元の箱からメガホンを二つずつ手渡す。
けど、何で二つ? 一つでいいのに。そう思い返そうとすると、会長自ら二つのメガホンを目の前で思い切り叩いて見せた。
「応援は派手に! だ。疲れていても手は抜くなよ」
ニッと笑い俺の頭をポコンと叩いて、真っ白な応援用の野球帽を乗せる。
その顔はガキ大将そのものだ。さすがに西城をまとめる人物だけある。
妙に納得して、つられるように笑いが込み上げてきた。
「お、いい顔。その調子で頼むぞ、吉野」
「はあ」
何を?
「結城の頼みで、剣道部のメンバーには、できるだけダッグアウトの近くに席用意してるんだ。藤木、あとよろしくな」
後輩に一任し、次々と入ってくる学生に、応援グッズを手渡している。
ふと見ると、他の通路でも二十人近い生徒会のメンバーが手分けして会長と同じ事をやっていた。
酷暑の中、これはこれで激務だ。
「じゃあ相模先輩、こちらです」
俺を見ようともせず、さっさと歩き出す。
よく気の付く友人は、生徒会の顔になってしまった。
途方に暮れる俺の腕を、今度は相模主将が引っ張って行く。
つられて歩き出した俺は、さっきの盛大な拍手が、グラウンドの野球部員に剣道部の到着をはっきり知らせる為の合図だったという事にも、全く気付いていなかった。
他の生徒は一足先に学校へ行き、野球部の簡単な壮行会をして送り出していた。
剣道部で玉竜旗に出た五名だけが昨日までの連戦と帰校時間を考慮され、加えて酷暑の中での観戦で体調を崩す事がないよう、千藤監督が働きかけて壮行会をパスさせ、ぎりぎりまで休ませてくれたんだ。
その事実を今朝藤木に知らされ多少落胆したものの、実際七時半に起きても全身に疲労と虚脱感を覚え、監督に告げられた時間にもかろうじて間に合った状態の俺としては、今日は日中の観戦が自分の体力の限界だと十分すぎるほど感じていた。
先に来ていた剣道部員の最前列に案内され、先輩四人に続いて俺と、当然のように藤木が腰掛ける。
初めから一緒に見るつもりだったみたいだ。
いつもなら騙された事に文句の一つも言うところだけど、それより今は北斗の姿をこの目で確かめたい。
当の藤木も俺に話し掛けるより、もう真剣な眼差しでボールを追う部員を見つめている。
再びグラウンドに視線を落とし、逸る気持ちを抑えて北斗を探した。
―――いた! けど……
やっと見付けたのに、たった一球ゴロを捌いてベンチに引っ込んでしまった。
早くも、試合開始時間になろうとしていた。
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