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 雅信は、とりあえず冷蔵庫を閉め、食パンをテーブルの上に置いた。 「言っとくけどな、俺は一度だってお前らの世話になったことなんてないんだよ」 カビ相手とはいえ、言われっぱなしは癪だったので雅信も吐き捨てるように言った。 「お前、水飲むか?」 「は?」 突然の問いかけに、狼狽える雅信。何を当たり前のことを、このタイミングで聞くのか。 「飲むけど」 雅信は嫌々答えた。今更ながら、なぜカビと当たり前のように会話なんかしているのだろうと思った。 「だろうな。そうじゃなきゃ今頃死んでる。その水はな、俺の仲間が一生懸命に浄化した水だ。長時間かけて、汚濁の原因のものを丹精込めてきれいにした水だ」 雅信は口をつむって黙った。これまで飲んできた水のルーツなんて、考えようともしなかった。水なんて放っておけば湧いてくるものだと思っていたからだ。 「好気性菌とか言ったりするけどな。人間にこき使われてる菌の一つだ」 カビは皮肉たっぷりに言った。仲間たちでさえ、人間にいいように利用されているのが気に食わなくて仕方がないのだ。 「まだまだあるぞ。好気性菌ともうひとつ、嫌気性菌てのもいる。彼らは主に下水を浄化してくれている。その時に、副産物としてガスを出すんだが、それもお前らにとっては都合いいらしいな、バイオガスだかなんだかで、エコなガスってことで燃料に使われたりするんだってな」 仲間のことを話すカビの声色は、なんだかいきいきしていた。 「でもさ、インフルエンザとかコロナウイルスとかは人間に害しか与えてないぜ」 雅信は一本取ったと思った。それらが人間にとっていいものだと聞いたことは一度もなかった。 「そいつらも俺らと同じ微生物であることに変わりはないが、俺らは『細菌』で奴らは『ウイルス』だ」 「どう違うんだよ」 「まあ、いろいろあるが大きさも身体のつくりも違う。そして、インフルエンザとかコロナとかはあれだが、中には人間が生まれてくるのを助けてくれるウイルスがいたりする」 「そ、そうか。で、肝心のお前は何してんの?カビさんよ」 雅信は疑いの眼差しをカビへと向けた。早く本題へ移れと急かすようだった。 「俺は、動植物の死骸を土に還してる。長い年月はかかるけど、次の命へ繋げるために、生き物の死骸から栄養をつくりだすんだ」 カビは静かに言った。自らの働きを誇示することもなく、事実として雅信に伝えた。 雅信は言葉が出てこなかった。何も言わずにパンを見つめていた。 「カビ、お前もしかして結構いい奴なのか?」 「さあな」 不思議と既にさっきのような、わだかまりがなくなっていた。 「まあそう言うことだ。普段の生活では邪魔かもしれんが、見えないところではそれなりに役割を担ってるってこと覚えといてほしい」 雅信には何故か、カビが微笑んでいるように見えた。 「さあ、新しいパンでも買ってこいよ。パン、ダメにして悪かったな」 それを最後に、カビの声がすることはなくなった。 雅信は夢だったのかどうなのかと、カビの生えた食パンを見続けて考えた。 なぜだか喪失感を覚えた雅信は、食パンを掴み、家から駆け出した。 気がつけば、近所の公園へ来ていた。
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