第二章「鶏頭よりも牛後を選ぶ安心感」

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 第三話「勝てば官軍」 「あ、ああ。  そ、それは当社が特許を取得しているウイルスアンドゴミホコリ吸着シートを、あちらさんが是非新製品に使用したいって言ってきてるんだなあ。  でも、かあちゃんがまだ誰にも内緒だぞって」 「なるほど。  それならわかります。  生沼くんが絡んでいるとなると、その吸着シートは相当すごい代物なんだろうねえ」  則蔵の機転によって息を吹き返したむつみは、ここからが勝負とばかりに身を乗り出した。 「いずれその超マイクロ、ええっとぉ」 「超マイクロ粉塵除去マスク改、でしたかな」 「そ、そうそれですそれ。  それが商品化されればお掃除業界に革命が起きると申し上げても、過言ではありません。  ところが、ところがです。  我が社の大手取引先はなぜか保守的で、そのなんとかマスクを実践で使用することをためらっているのです。  でも間違いなくその超マイクロなんちゃらは、あたしたち業界の救世主たる、そのうだから」  沖田は苦笑する。 「財務部長のあなたが熱弁をふるわれるほど画期的な、その超マイクロ粉塵除去マスク改。  我が社でもぜひ採用したいなあ。  それであなたのお話から推測するに、御社のクライアントではお話にならないから、同業である当社の顧客を紹介してほしい、そういうことではないのですかな」 「イエースッ!  まさしく仰せの通り!  いや、さすがは当社と一、二位を争う御社の代表だけありますなあ。  今わたしの優秀なる部下が説明いたしましたように、革命的なそのマスクをですな、ちょっと使ってもいいようってお取引先があれば、ぜひご紹介いただけないものかと。  これが上手くいけば、当然ながら御社へもその発明品を激安価格でおわけしても、ようございますがな。  それとですな、ついでと言っちゃあなんですが、そのお取引先のお掃除なんかもして差し上げようかなと。  あっ、ただこのお掃除に関しては申し訳ないのですが、当社既定のお代金をば」  水を得た魚のごとく、口角泡を飛ばす勢いでまくしたてる刀木。  沖田は楽しげな目元のまま、顔の前に人差し指を立てる。  そのまま立ち上がり、執務デスクの電話機を持ち上げた。 「うん、ぼくです。  社長室までお願いできますか」  むつみの心臓はバクバクと大きな鼓動を打っていた。  いくらお仕事のためとはいえ、まったくの口からでまかせなのだ。  しかも相手は海千山千の大会社の社長である。  よくぞ丸め込まれたものだと感心する。  それに、あのヌボーッとしている則蔵が知り合いであったことは偶然とはいえ、むつみの嘘八百をも見事にカバーしてくれたのだ。  やはり本当に切れ者なのかもしれない。  ちらりと則蔵を確認する。  則蔵はいつものように口を半開きにし、ボーっと小さな目をしばたいていた。  一分も経たないうちに、社長室の重厚なウォールナット製のドアがノックされる。 「社長、失礼いたします」  やけに鼻にかかった声で、スーツ姿の男性社員が入室してきた。  むつみはパッと見で人を判断してはいけないよ、と実家の父親によく言われる。  だがその男性を一目見るなり、無意識に顔を逸らせてしまった。   四十歳代から五十歳代のいずれかであろう。  頭髪がかなり薄く、短く刈り込んでいる。  丸型フレームの眼鏡は多分ブランド物であろうが、その下にギョロリと見開かれた目がコワかったのだ。  暴力団に対する畏怖ではなく、精神構造のネジが普通の人とは違うような、背筋が寒くなるような嫌悪感をいだいてしまったから。  爬虫類のそれが近いかもしれない。  温かさが欠落しているような印象なのだ。  縦縞のチャコールグレーのスーツは、オーダーメイドのようだ。  中肉中背の背丈にぴたりと合っているのが、逆に違和感を覚える。 「弁道(べんどう)専務、こちらにいらっしゃるのは我が社と同業の、カタナシ・ブートレックの社長と幹部の皆さんです」 「いや、カタナギ・ビューティですって」  刀木は小声で訂正する。 「弁道さんは当社営業部門も統括する、専務なんです。  先ほどの件は、この弁道専務に便宜を図ってもらおうと思います。  実はこのあと、当社の幹事証券会社の連中と株式公開の打ち合わせがありましてね。  わたしは根っからの研究者ですから、本当はそんな面倒なことは興味ないってのが、本音なんです。  むしろ自社研究所で、朝から晩まで新商品の開発に力を注ぎたいのですが、これを言うと弁道専務にいつも叱られてしまいます。  アハハハッ」  弁道は一礼すると、三人の座るソファのかたわらに近づいた。 「この生沼くんは、わたしが大学時代に研究室で一緒だったんです。  弁道専務、お手数ですがこちらさんの相談に応じてあげていただけませんか」 「ほう、ではメーダイご出身でいらっしゃる」  低い声で、値踏みをするような目つきで則蔵を一瞥する。 「あ、ああ、卒業しては」 「いやあ今日はお忙しい時間にご無理申しましてっ。  ささ、みんな社長さんはご多忙なんだから早く立って」  則蔵の言葉をさえぎり、刀木はスクッと立ち上がる。 「生沼くん。  今度時間があったら久しぶりに、一杯やろうじゃないか。  きみと議論できるなら、喜んで時間調整するよ」  沖田の爽やかな声。 「あ、ぼくはいつでも、ひ、ひま」 「さあさあ、急いだ急いだ。  蓮下財務部長も、早くして」  ボロが出ないうちにと、焦る刀木。 「それでは会議室へ、ご案内いたしましょう」  弁道は社長室のドアを開けて、三人をうながした。  むつみの鼻孔は、弁道の横を通るときにピクリと反応した。  あっ、この香りってエルメスのコロンだわ。  っんまあ、見かけはともかく、お洒落だこと。  弁道は三人が廊下に出ると、沖田に一礼して静かにドアをしめた。  ~☆~☆~  合板テーブルの上には、メーエキ地下街のお弁当屋で買ってきた、幕の内弁当の「並」が三つ置かれている。  小汚い事務所に帰りつき、ソファにふんぞり返って座る刀木は、鼻の穴をふくらませ嬉しくて仕方ないといった表情を浮かべている。 「はい、お待たせしました。  出がらしのお茶でございます」  むつみは事務所の隅に設置されている簡易キッチンから、湯呑の乗ったお盆を持ってきた。  則蔵は先ほどからお弁当を穴のあくほど凝視したまま、微動だにしない。 「さあ、今日はわたしのおごりだからね、思う存分召し上がってくれたまえ」 「って言っても、たかが並じゃないですか」  並に力を込めて言うむつみ。 「こ、ここのお弁当は、はっきり言ってかあちゃんの作るご飯より何倍も美味しいんだあ」 「ノリゾーさんのおかあさんって、いったいどんな料理を作ってるんです?」 「うーん、三ツ星レストランのシェフが」 「えっ、そんなに腕自慢なの?」 「三ツ星レストランのシェフが、お、大酒をくらって泥酔した勢いで踊りながら作った料理」 「はっ?」 「ア、アバンギャルドな抽象画を、何十枚と重ね合せた料理」  むつみは腕を組んで眉間にしわを寄せ、首を四十五度に傾けながら想像するが、皆目見当がつかない。 「むふふ。  この案件があれば家賃はおろか、諸君たちに臨時ボーナスを大盤振る舞いできちゃうかもなあ」  お弁当の横には、白い角版の封筒が置かれている。  株式会社沖田ソウG社の社名と、清の字をあしらったマーク入りだ。  時刻はすでに午後六時半を回っている。 「出たとこ勝負っていうか、策もなんもなくて、いきなり業界最大手の会社へ『えへへっ、余ってる仕事があったら、あっしにまわしてくだせえよう旦那』なんて言いながら出向くとは、まさかとは思いましたけど。  社長はよほどの厚顔無恥なのか、鉄面皮なのか、羞恥心がないのか、いけしゃあしゃあとしているのか」 「ちょっと待ってちょうだいよ、むっちゃん。  それじゃあわたしがまるで傍若無人みたいじゃないの。  せめてさあ、唯我独尊の男、なあんて呼んでよ」 「い、いやあ、それって全部同じ意味だなあ」  ぽつりとこぼす則蔵であった。                                つづく
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