第二章「鶏頭よりも牛後を選ぶ安心感」

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 第四話「奇策が愚策であったこと」 「まっ、それはそれとしてだ。  どっちにしろ、わたしの類いまれなる策士としての手腕で、我が社もこれでひと安心だ。  ささ、前祝を兼ねていただこうじゃないか、スタッフ諸君」 「いっただきまーす!」  三人は割り箸を手にすると、プラスティックケースに詰められたお弁当を一斉に食べ始める。 「やっぱ、仕事をした後の飯は格別ですな」 「ですから、ただの並ですって」 「う、うう、美味いっ!  たまご焼きって黄色いんだなあ。  茶色に黒っぽい焦げがあって、舌触りがシャリシャリするんだあ、かあちゃんのたまご焼きは」  それは、もはやたまご焼きとは呼ばないよ、ノリゾーさん。  いったいどんな食生活なのか、むつみは機会があればのぞいてみたいと思った。 「しかしなんだなあ、あそこの社長がノリゾーの先輩だったとはなあ。  世の中は狭いもんだ。  それにだ。  むっちゃんが財務部長だってえのも、驚いちゃったよ」 「ああでも言わなきゃ、追い返されていましたよ」 「えっ、なんだっけか。  超マイクロなんとかマスクだなんて、まあよくも口からポンポンポンポンとウソ八百が出てくるもんだ。  はあ、タマゲタもんですよ、むっちゃん。  いやいや、さすがにこの刀木も、畏れ入ったよ」  梅干しの種を、口からプイッと横向いて床に飛ばす。 「あっ、またそうやって汚すうっ」 「たまにゃあここを住処にしているゴキブリちゃんたちにも、栄養を与えないとな」 「梅干しの種って、食べられるんですか」 「た、種は(じん)とか天神さまとも呼ばれるんだあ。  梅の実には青酸配糖体、アミグダリンが含まれていて酵素によって加水分解されると、猛毒のシアン化水素、つまり青酸を生成するんだ。  仁を多量に食べると青酸中毒に陥って、最悪の場合は死んじゃうんだあ。  で、でも梅干しにしたりするとほぼ無毒化されるんだ。  それでしかも、ガン細胞を直接攻撃する唯一の天然物質という効能があるらしいんだあ」  へえっ、とむつみは感心する。 「ノリゾーさんって、やっぱり賢いんだね」 「いやあ、べ、勉強はできた。  うん、できた。  うん?   なぜできたのかなあ。  あああっ、そうだっ!  納豆とめざしを毎日かあちゃんが食べ」 「それ、もう聴きましたから。  大丈夫」  あっさりとむつみに却下され、則蔵はションボリと肩を落とした。  刀木は赤いウインナーを口に放りこみながら、片手で封筒からファイルを取り出した。 「あんっ、社長、大事な書類にご飯をこぼさないで下さいよ」 「むっちゃん、わたしは立派なオトナですよ。    そんな子どもに言うみたいに」 「そ、そうだよ、社長はこう見えてもキャバクラに日参する、立派なオトナなんだあ」 「ノリゾー、それフォローになってないから」  そのファイルこそ、三人が口八丁手八丁で沖田ソウG社から騙し取っ、いや、借り受けた客先の資料であった。  あのイケメン社長はいい人だったけど、ベンドンさんってなんだか気味の悪い感じだったわね。  むつみは社長室から移動した会議室でのやりとりを思い出していた。  ~☆~☆~ 「ほほう、あのエーベルバッハ社と手を組まれると」  会議室といっても、やはりカタナギ・ビューティ本社事務所よりも広い室内。  Oの字型にあつらえられた大きな会議用デスクには、肘掛け付きの革製チェアが十脚以上並んでいる。  正面の壁にはスライド式の電子黒板があり、デスクにはチェア前にタブレットがそれぞれ組み込まれていた。  三人は、弁道と向き合う位置に腰かけている。 「わたしの勉強不足で大変申し訳ないですな。  御社が、それほどの大手でいらしたとは」  刀木の名刺を片手で持ち、眠たげな半目で眺めている。 「当社はかなり専門的かつ特殊技術を要する清掃分野に特化しておりますので、御社のような幅広い広告は打っておらんのですわ、これが」  刀木も交換した名刺を指先に挟んでいる。 「社長から便宜をお図りしろとのことですが、対象顧客のセグメントはどのようにお考えですかな」 「えっ?  えーっとですなあ、セ、セグ?  セグはですなあ、そう、もちろん最重要アイテムですからして。  御社同様、我々のような大企業には欠かせぬ枢要項目、とでも言えましょうなあ。  コホン、生沼執行役員、専務さんにお話しして」  あっ、これは逃げた。  むつみは刀木のお得意が出たことに、右肩がカクッと下がる。 「生沼執行役員っ、おいってば、ノリゾー」    刀木がとなりに座る則蔵の足を、テーブルに隠されているのを幸いに蹴った。 「あ、ああ?」 「ああ、じゃなくて、ほら、専務殿にセグメ? セグメタラ? セグムトキ?」  むつみがささやく。 「セグメント、セグメントですっ」 「そうだよ、それをご説明してくれたまえ」  則蔵の小さな目が、くわっと開いた。 「今回は我が社がドイツのエーベルバッハ社に供給したウイルスアンドゴミホコリ吸着シートを試作途中の超マイクロ粉塵除去マスク改に織り込み我が国特有の湿気及び気温の変化に対しいかなる環境下においても正常な防御機能が可能かどうかを見極めるためにっ」  弁道が手を上げて頭を振った。  則蔵は酸欠状態に陥り、金魚のように口をパクパクと開閉して空気をむさぼる。 「いや、結構です。  お話はよくわかりました。  ようするに、ある程度まとまった現金が受け取れる仕事をまわしてはくれないか、そういうことですな」 「まっ、ここだけの話、ぶっちゃけて言えばそうなりますな」   可笑しくもないのに刀木は空笑いする。  弁道も低い声で同調する。  この人、気づいているんだ。  あたしたちが結局のところお掃除の仕事で、おこぼれを頂戴しに来たことを。  あの沖田社長さんがノリゾーさんの知り合いみたいだったから邪険に扱わないだけで、すっかり見透かされてしまっているわ。  多分あたしたちみたいな零細業者がこの会社へ、おこぼれの仕事を回してもらおうと頻繁にきているんじゃないかしら。  むつみは弁道の眼鏡が、こちらを完全に見下しているかのように光っていることがわかった。  その想像は当たっていた。  掃除業界の頂点に立つ沖田ソウG社。  全国に展開する支店で、さばき切れないほどの仕事が日々入ってくる。  そのため、小さな掃除業者たちが砂糖に群がるアリのように、ワラワラと寄って来ては仕事を斡旋してもらっていたのだ。 「わかりました。  せっかくお出で下さり、沖田社長からも便宜を図れとのことですから」  目の前のタブレットを操作する弁道。  丸眼鏡の下で、眉が上下に動き、黒目がものすごい速さで液晶画面を追っているのがむつみにもわかった。  途中で、「おうっ、これはどうだい?」とか、「いやいや、あっ、そうくるかあ」などとかなり大きな独り言が弁道の口元から漏れる。 「お待たせいたしました。  この弁道がチョイスさせていただきました特別なクライアントを、今別室でプリントアウトさせておりますので、しばらくお待ちください」  ものの五分も経たないうちに、会議室のドアがノックされた。 「失礼いたします。  専務より指示のありました、データをお持ちいたしました」  おっ、これまたイッケメンだわ。  絶対この会社にエントリーしなきゃね。  でもこのベンドンさんがいるってのが難だけど。  むつみは若いその男性社員を、舌なめずりしそうな表情で眺める。 「でもこれ、いったいどうなさるんですか。 『Yデータ』に収められた物件で」  その途中で弁道は咳払いし、若い社員に目配せする。  そこでようやく社外の人間が座っていることに気づいたようだ。 「あっ、し、失礼します!」  ファイルを弁道に渡した男性社員は、明らかに「しまったっ」と顔に書いたまま足早に退室していった。  ワイデータって、なに?  何かの暗号?   むつみは首をひねるも、その意味はわからない。                                 つづく
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