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第五話「提示された案件」
「いやあ助かりますわ」
モミ手をしながら刀木は背を丸め、小走りで弁道の席まで近寄る。
弁道は座ったままギョロリと上目遣いに、禿げ上がった額にしわを寄せた。
「この案件は、実は名古屋市天白区から当社に依頼されております」
「行政機関からですな。
お任せください。
特殊なお掃除こそ、我が社の真骨頂」
「清掃業務に着手した時点で、前金は十万円。
終了して区の担当者が完了を認めれば成功報酬として、残り九十万円が支払われます」
「ひゃ、ひゃくまんえん!」
くらりと刀木は眩暈を覚える。
清掃に百万円とは、破格値のようであるが実際にはもっとかかる場合もある。
もちろんゴミ処理料金とは別にだ。
たとえばゴミ屋敷と呼ばれる無法地帯のお掃除であれば、三DK程度でも費用が二百万円を超えてもまったく不思議ではない。
だから刀木のように驚愕するほどの代金ではないのだが、しばらく三枚以上の高額紙幣を手にしていない、悲しき極貧CEOの驚きであった。
「まさか、廃墟化した団地十棟とかじゃないでしょうね。
現在我が社で即作業に入れる人員は、三名しかおらんのです、これが。
あっ、いやいや、全スタッフはその倍、もうちょっといるかなあ。
三名以外は他から依頼された特殊案件で、手が離せない状況でして」
いや、最初からあたしたち三人しかいないじゃん。
むつみはヒヤヒヤしながら、刀木のやり取りを聴いている。
「ああ、それならご心配には及びませんよ。
対象物件は、四LDKの二階建て一軒家です」
「一軒だけ、マジに一軒だけですな?」
「ここにその物件の詳細がありますから、どうぞご自身でお確かめになってみては」
ゴクリ、刀木は下品な音を立てて喉仏を動かした。
弁道から渡されたファイルのページを開いていく。
「これは、マジですなぁ」
「無論です」
書類を固く握りしめた刀木は、むつみと則蔵を振り返り、さらに下品二乗な笑みで相好を崩した。
お下劣菌が移るとばかりに、むつみはサッと視線をはずす。
一軒家のおそうじで百万円。
いいんじゃないのよ、ちょっとぉ。
むつみの浮かべる薄ら笑いは刀木と瓜二つ、完璧にお下劣菌に感染していた。
「あ、あのう」
先生に質問する生徒のように、則蔵が挙手する。
うん?
弁道がギョロ目をむいた。
「どうしてこちらの会社で引き受けた大きな案件を、回してくれるのかなあ。
手数料が百万円なら、自社で受けたほうがいいんじゃあないのかなあ」
その発言に、弁道は咳払いをした。
「当社としては行政機関の依頼よりも、一般市民のお客さまを優先に業務を推進したいと考えておりますのでね。
金額の問題ではないのです。
沖田ソウG社は、この日本全国のお家を綺麗にする、をモットーにしておりますのでね。
御社のように、特殊清掃に特化しているわけではないのですな。
もしお気に召さないとおっしゃるのなら」
「ああっ!
いやいや、弁道専務殿。
不肖刀木、この案件はパーフェクトに任務遂行させていただきますぞ」
むつみは無意識のうちに則蔵を背後からチョーク・スリーパー(首絞め)しており、則蔵がこれ以上要らぬ質問をしないように絞め落としていた。
則蔵は白目を向いてブラックアウトしている。
「そうですか。
では御社でこの案件はお引き受けいただけるということで、よろしいですな。
では契約書類を用意いたしますので、こちらでしばらくお待ちください」
弁道はゆっくりと立ち上がった。
むつみはその姿を目にし、あることに気が付く。
「そうだ!
あのう、ベンドンさん」
「べ、ん、ど、う、です。
なにか?」
「そのお家は空き家なんですか?
それとも住人のかたがいらっしゃるとか」
弁道の眼鏡がキラリと光る。
「おおっ、そうでした、そうでした。
お伝えしておかねばと思いながら、うっかり失念しておりましたな。
空き家、ではありません」
歯にモノが挟まったような、もったいぶった物言いに、むつみは眉を寄せた。
弁道はむつみから視線をそらし、宙を見上げた。
「区の担当者によりますとですな。
住人は居るのですが、いつのまにやら大量のゴミを家じゅうにため込んでしまって、いわゆるゴミ屋敷状態になっておるようなんですな。
何度も区の担当者が交渉にいったのですが、住居人とは一切話し合いができておらんようなんです。
近隣住民から区に対して、なんとかしろと苦情が後を絶たない」
むつみは問うた。
「苦情、ですか?」
「その周辺は、今後どんどん住宅が新築される予定地なんですよ。
したがって、クリーンな街のイメージを損なえば、周辺の土地価格が下落してしまう。
分譲住宅を建てようとする業者が手を引いてしまう。
さらには不審者が出入りしておるんじゃないかと、以前から問題視されているようなんですなあ」
近年、ゴミ屋敷問題は他人ごとではない。
マスコミでも取り上げ、重要視している。
ただゴミを撤去するのには問題があった。
たとえ行政機関でも、私有地に置かれた物を勝手に処分することはできないのだ。
住人が「ゴミではない」と言えば、たとえ腐敗した生ゴミでも財産権の問題があり、手をだせない。
そのため現在では、地方自治体がゴミ屋敷対策を条例化する動きを見せ始めている。
弁道が続ける。
「それと今回の清掃に当たっては、区から行政代執行に関わる代執行令状書も当社に委託されております。
したがってその令状書があれば、仮に住居人が拒絶しても清掃業務を強制的に行うことができます」
「ちゅうことはですな、専務殿。
戒告書なんかは、すでに発行されちゃっているわけですかな」
刀木は、さすがにこのあたりの法律は知っていた。
代執行を行う前には、必ず文書で「戒告」を行わなければならない。
口頭では、「言った言わない」になり、代執行手続きが不透明になってしまうからだ。
これは行政代執行法の第三条一項に記載されている。
「まっ、そういうことですな。
ではその令状も失念せぬよう、準備いたしますので」
会議室のドアが閉められた直後、意識を失っている則蔵をのぞく二人は、
「おっしゃあっ」とガッツポーズをとった。
ハイタッチしようと両手を高々と上げる刀木。
だがむつみはそれをあっさり無視して、早速頭の中でお金の皮算用を始めるのであった。
~☆~☆~
「弁道専務っ」
営業開発室のドアが開き、弁道が入ってくるのを待ち構えていたように、先ほどの若い社員が自席から立ち上がる。
「先ほどは社外のかたがいらっしゃるとは気づかず、失礼いたしました」
「いや、構わんよ」
弁道は窓際にある席へ座る。
「でも、『Yワイデータ』の中でもランクAにあるあの物件を、いったいどうなさるおつもりなんですか」
男性社員の疑問に、弁道は片側の口元を上げた。
「ふふん。
あれを処理していただくのさ」
「えっ?
だってあれは」
驚いた表情を浮かべる。
弁道は人差し指を立てて、口元の前で軽く振った。
「いいではないか。
どうせいつかは誰かがやらねばならんのだ。
それに区からはすでに、処理代金として三百万円もいただいているんだ。
これで上手く処理できればよし。
できなきゃあ、またどこかの底辺業者を使うさ。
手付金と称した十万円なんざ、経費で落とせるしな。
それにもしあちらさんが断ってきたら、それこそまた違約金を徴収できるじゃないか。
百万円まるまるな」
「専務がそうおっしゃるなら、ぼくがあれこれ言うのはお門違いですけど。
でも大丈夫なんですかねえ。
すでに三件の下請け業者があれを断ってきて、法外な違約金をしぶしぶ払ってくれましたからね」
男性社員は薄い唇をなめた。
弁道は執務チェアに背をもたれさせた。
「下請けなんていくらでもあるんだ。
業界トップを独走する我が社のおこぼれを、ありがたく頂戴したい会社なんてそれこそホウキで掃いて捨てるほどな。
いずれにしろ仲介料名目で二百万円は抜かさせていただくわけだ。
ヌハハハハッ」
弁道の言葉に、若い社員はうなずいた。
つづく
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