第三章「恐怖の都市伝説」

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 第四話「ワイン・タワーと砂上の楼閣」  スクッと立ち上がるむつみ。  刀木は則蔵の身体を再び地面に横たえ、見上げたむつみに無言でうなずいた。  ふわり、むつみの身体が宙に浮く。  体勢が横向きになる。  鋭角に曲げた肘を下に向け、そのまま則蔵の大きなお腹に肘先から落ちた。  見事なエルボー・ドロップが炸裂した。  ~☆~☆~ 「あ、ああ。  いつの間にか、夢の世界でお散歩してたんだあ」  則蔵は土の上に体操座りし、便所スタイルでしゃがんでいる刀木に説明している。  二人から少し離れた大地の上で、むつみは右肘を抱えたまま(うめ)きながら転がり回っていた。  則蔵の座る土の大地の横に、えぐられたような穴が開いていた。 「普段あんまし脳髄の前頭連合野を使っていなかったからなのか、急に眠くなってしまって。  気がついたら社長が目の前にしゃがんで、む、むつみさんが肘を押さえて七転八倒してるんだあ」  小さな目が気の毒そうに、半泣き状態のむつみをチラリと眺める。 「眠くなったって、ノリゾーや。  こんな地べたで寝込んでさ、風邪を引いたらどうすんのよ」 「あ、ああ。  ぼくは生まれてから一度も風邪を引いたことがないから、どういう状態が風邪なのかわからないんだあ」 「馬鹿は風邪引かないって言うけどもさ。  おまえさんは一応帝国大学に在籍するくらいの頭脳を持っていらっしゃるからなあ」  刀木はむつみに声をかける。 「おーいっ、むっちゃんや。  肘はどう?  骨折なんぞしていないかしらねえ」  渾身のエルボー・ドロップが則蔵のお腹に炸裂すると見えた瞬間、「うんあああっ」と大あくびをしながら則蔵が身体の向きを横に回転させてしまったのだ。  グシャッと土が飛び散り、凶器の肘鉄は大地にめり込んでいた。 「ヒッ、ヒイイィィッ!  折れたっ、折れてしまったわあっ、あたしの肘があっ」  むつみは痛みにのたうちまわっている間に、則蔵がむっくり起きた。  と、こういう経緯があったのだ。 「しゃ、社長、当然労災認定されるんでしょうねえ」  大地に転がったまま、むつみは刀木を睨んだ。 「大丈夫大丈夫。  アスファルトならいざ知らず、柔らかい土で良かったじゃない、むっちゃん」  むつみはカーディガンにパンツを土埃にまみれさせたまま、腹ばいの姿勢で悪態をつく。  それを聞き流しながら刀木は、もう一度則蔵の顔をのぞき込んだ。 「それでさ、いったい何にその、ある方面にだけ超優秀な脳みそを使っていたんだい?」 「あ、ああ。  ああ?」 「ああ? ってね、質問してるのはわたしなのよ。  それともむっちゃんが言っていたように、もしや魂がすでに抜かれちゃってるんじゃあ、ないでしょうな」 「た、魂は。  ハッ、もしかしたら、家に忘れてきてるかも!   今ごろかあちゃんがあわてて、会社へ持ってきてくれてるんじゃ」 「んなわけないだろうに。  まあ、いいや。  それよりもだ」  刀木は立ち上がると、背後の森を腰に手を当てながら見渡した。  青々と繁った樹木の葉、伸び放題の熊笹やセイタカアワダチソウ。  奥は陽が届かないのか暗くてよくわからない。  肘を押さえながら、むつみが近寄ってきた。 「社長、すぐに沖田ソウG社へ行って、交渉しましょう。  肘は痛めるは、その上魂まで持っていかれちゃった日には百万円じゃあ足りなさすぎるわ。  せめてもう一声上乗せを。  渋られたら、断っちゃいましょうよ」  刀木は樹木を見上げたまま、いつにない真剣な声で否定する。 「いや、むっちゃん。  我々はビジネスとして引き受けた以上、ここで尻尾を巻いて退散するなんてありえないさ。  カタナギ・ビューティはどんな難問が待ち構えているお家だろうと、新品同様ピカピカにお掃除して差し上げる。  これが我が社の使命なのだよ。  魂が欲しいなら、くれてやろうじゃあないか。  もしこのミッションがコンプリートできたならばだよ。  お掃除業界にカタナギ・ビューティあり、と全国にその名を轟かせることができるんだ」  おおっ!  むつみは初めて刀木の仕事にかける情熱を目の当たりにし、感嘆の声を上げた。  あたしの、あたしの想いは間違っちゃいなかったんだわ。  何度この会社に三下り半を叩きつけようとしたことか。  キャバクラ中毒の小銭が大好きなセコくて賤しい独身社長だけど、その胸に秘めたお仕事にかける情熱だけは、在ったんだ。  やはり辞めなくてよかった。  お掃除こそ、あたしの天職かもしれないし。  そうよ、あたしは日本中の汚れたお宅を綺麗にピカピカにしてあげるの!  布製ショルダーバッグにはいつでも叩きつけられるように、辞表と書いた封筒を忍ばせていたむつみ。  もう、それは必要ないわね。  消えかかっていたお仕事に傾ける情熱の炎が、ここへきて一気に燃え上がるむつみであった。  もう決してウジウジ悩まないわよ、あたし。  形の良い鼻の穴から奮起の息を吐き、アルバイトを継続していく一大決意する。  ただし、四回生になったら就職活動しなきゃならないから、そのときには円満退社させていただきますわよ。  もちろんあたしの第一志望は、沖田ソウG社ですから。  それまでは、社長とノリゾーさんとでガッチリとスクラム組んで、やってやるわよ!  むつみの瞳から、今まさに感極まった涙があふれ出ようとしたとき。 「あはははぁ、それはね、むつみさん。  しゃ、社長はすでにいただいた手付金をぜーんぶ使っちゃったからなんだあ」  のんきな則蔵の声。 「ささっ、諸君。  それでは早速その家とやらを見にいこうじゃあないか」  刀木はきびすを返し、乗って来たカタナギんちゃん号へもどろうとした。  その腕を、ガシッとむつみに捕まれた。 「あらまっ、どうしたの、むっちゃん。  早くしないとさ、ほら、太陽が沈んじゃったら、さすがのわたしでも、こんな薄気味の悪い森の中へは」 「社長」 「は、はいよぅ」 「着手金って、たしか十万円を現金で受け取られてましたよね」 「えっと、そうだったかなあ。  わたしはお金勘定には、とんと疎くて。  経営者としては、もう少し管理面を強化しなきゃあな、なあんて思ったりしてみたり」 「よもやうかがいますけど。  まさか全額キャバクラで使い込んでしまって、いまさら返そうにも返せない。  そんなことは絶対にないと、性善説を信じるあたしの純粋な心を踏みにじるようなことは、ございませんでしょうね」  則蔵が口をはさむ。 「な、なんでもキャバクラで大盤振る舞いして、キャーキャーって女の子からモテまくったって言ってた。  ドンペリのワ、ワイン・タワーまでオーダーしたんだって。  す、すごいよね」 「ノ、ノリちゃーん。  それは大袈裟よ。  誇張しすぎ。  さすがにドンペリは無理よ」 「それなら十万円、そのまま返しにいきましょうよ」 「いやね、ほら。  そうそうあの日さ、前祝に全員でパーってご飯食べたでしょ。  あれが思いのほか経費がかかってねえ」 「並でしたよね、幕の内弁当の並。  いたって平凡な並。  三つ買ったって千五百円でした。  残りは九万八千五百円ですが」  むつみの冷たい視線から逃れるように、刀木はじりじりと後退する。 「どんな家なのかなあ。  さぞかしお掃除のし甲斐があるんだろうなあ」 「社長」 「むっちゃんはご存じないかなあ。  あの我々が間借りしている、ビルのオーナーさ。  わたしが銭を持っていると嗅ぎ付けたら、どこにいてもスッ飛んでくるからね。  どうせお仕事が完了すれば残金が手に入るしさ。  老い先短いババアにくれてやるくらいなら、前途ある若い女子に投資したほうが世の為よ」 「ぜ、銭亡者強欲ババアって呼ばれてる、おっかない人なんだあ」  むつみは大きなため息をつきながら顔を伏せた。  やはりいただいた着手金は、すでに全額キャバクラへ落としてきているようだ。    ガラッ、ガラガラガラガラ!  むつみの心に築きあげられた、お掃除業に生涯を掛けると誓ったお城が、音を立てて崩れ落ちていく。  砂上の楼閣であったのかもしれない。  間違っていた。  あたしは、なんてお人好しだったんだ。  性善説?  ふん、しゃらくさい。  世の中は人を見たら全員がテロリストと思えよ。  そもそも、なんでこんな会社でアルバイトをしなければならなかったのかと、もう何十回目か数えるのも飽きた自戒をするのであった。                                 つづく
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