異形の怪物

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異形の怪物

 現れた巨体は明らかに異質である。  肘から腕が三本にも分かれているのだ。それぞれが分厚い手をしており、アームレスリングの選手の腕よりも太いと言われても納得してしまうほどに。  体は灰色なのは変わらず、筋肉だけが遠目からでも分かっただろうと言うほどに隆々である。  いや、異質なのは怪物だけではない。怪物によって砕かれた木々も、大小さまざまな枝や丸太に代わっていた。  しかも、だ。  いずれも均質な形質である。砕かれた瞬間は大小さまざまな形だった気がするし、なんならここまでバラバラにはなっていなかった。  まるで『木』というオブジェクトが砕けたから『枝』や『丸太』と言った素材に変わったように。  これが、サバイバルゲームと称したことなのだろうか。ただ、付け加えるとしたらサバイバルシミュレーションゲーム、ということか。  どうでもいいな、今は。  どうでもいいことを考えていないとどうにかなってしまいそうだけれども。 「説明を、お願いしても?」 「思ったよりも状況を受け入れているのねえ」 「一周回ってね」  思考を放棄したに近いけれど。  周囲を覆うように、先ほどの人間に似た灰色もたくさん出てきているし。 「目の前にいる奴も私がさっきの奴らを怪物と評した理由の一つよ。周りと共闘するようにあんな感じの怪物が出てくるの。手足が多い奴とか、手と足の位置が逆になっているやつとか、多数の人型が合わさったような奴とか」 「へー。できれば、お会いしたくはないですねえ」  正気でいられる自分を褒めたいよ、まったく。 「同感」  絶対細かいところは違うだろうが、ツッコむだけ野暮だろう。  会いたくない、と言うのは同じなのだろうから。  朱音さんが会いたくないというのはそれだけ強力なのかと、怖くもなるけれども。 「ま、相手にしているだけ無駄か」  朱音さんの言葉と共に、朱音さんに引っ張られるように体が後ろに倒れる。尻に衝撃。朱音さんの背中が、少し高い位置に見えた。  尻もちをついている自分と胸を張っているような怪物との間に朱音さんが入っている。 「ぉぬぞぬザゾ」  呟きと共に、燃えるような朱色の扇子が朱音さんの両手に現れた。  舞うように艶やかに。  朱音さんが扇子を広げつつ手も広げた。大して早くもない動きで腕を回し、膝を折って回転する。何のことはない、テレビとかでよく演出に使われそうな舞を模したような一部分。  それだけなのに異様に絵になって、炎が広がり周囲を紅蓮に変えた。  朱音さんの顔の前まで持ち上げられた右手の扇子が音を立てて閉じる。  それが合図だったように、炎を目で追っていた怪物は倒れ伏した。色も一瞬で赤黒く変わり、周囲の木々も燃えると素材に変わったように砕けた。広がった視界の先に、多くの人型が焦げて横たわっているのが見える。肉の臭いはしないし、皮膚も爛れてはいないが、多量に焼け焦げたのは、はっきりと。くっきりと。息絶えたのが。見えてしまう。  慌てて口元を抑えた。  こみあげた吐き気を、唇をもむことで嚥下していく。  分かっているともさ。きっと、大ピンチだったことも、朱音さんが居たからこそあっけなくそれが終結したことも。  だがそれと、今の光景が災害の後の死屍累々に見えてしまったことによる感情は、別物だ。 「どうかしましたか?」  声に応じて慌てて下がってしまっていた目を上げる。  大きな飴を見る幼子のような目で、朱音さんが自分を見ていた。 「もしかして、何かされました?」  心配そうな声と、朱音さんの背後で灰色に戻る人型。  先ほどまでの戦闘用の顔から、真剣に自分を思ってくれていそうな表情に変わった朱音さんを見ているからか。足が自然と動いてしまった。 「危ない」  朱音さんを引き寄せれば、簡単に懐に収まってしまう。  拳を握りしめ、腕を差し出して人型の縦振りを途中で受け止めた。  人型の表情は良くわからないが、とりあえず叫び声を上げてきている。 「どふぉのザゾ」  朱音さんの言葉と共に炎が人型を焼いた。 「殴るときは親指を外に出さないと駄目ですよ」  朱音さんが小首を傾げる。 「殴ったことなんてないからな」  固く握りしめすぎたのか、ゆっくりと指を開けば親指に軽い痛みを覚えた。 「じゃあ後方で大人しくしていれば良かったのに」 「絵面的に不味いだろ。線の細い女性の後ろに、一応運動部で体を鍛えていた男が隠れるってのはさ」 「誰も見てないですよ」 『変な人』と言った目で自分を見ながら朱音さんが立ち上がっていた残りの二人も燃やし、近づいていく。  そして、人型の足を手でもぎ取った。  一瞬で足の形からこんがりと焼けたような色をしている肉塊に代わる。その肉塊に対して、朱音さんが大口を開けた。 「待って」 「何ですか?」  不思議そうな顔をされても、こちらが追い付かないのですが。 「食べるの? それを?」 「はい。食べますよ」  何を当然のことを、とも聞こえてくる。  本当に、訳が分からないよ。 「あ、誠二さんも食べますか? 焼けている内なら取れますよ」  朱音さんが楽しそうに笑って、もう一人の足ももぎ取った。肉体が同じように肉塊に変化する。  差し出された肉塊には手を伸ばせずに、頬を思いっきりつかんだ。  手を伸ばせるわけがない。食べられるわけがない。  人型だぞ。人間だぞ。  ありえない。訳が分からない。分からないことが多すぎる。 「人肉だぞ?」  非常にくぐもった、呂律の回らない声になってしまったが朱音さんは聞き取ってくれたらしい。  言葉の直後に、朱音さんの目が肉塊に行ったことからもそれが分かる。 「ああ。味は豚肉に近いですよ。骨も無いですし。全くの別物です」 「別物?」  例えそうだとしても。  その肉塊の出所は灰色の人型だ。 「もう一度、何からもぎ取ったのかを見ろよ」  朱音さんの顔が灰色の人型に向く。  そのまま口を開いた。 「ああ。こうすれば蘇らないので一石二鳥ですよ。この世界でもおなかは減りますし、食糧を調達する手段は限られていますから」 「そう、か」  目に当てた手は冷たくて。 「どうかしましたか?」  と言う朱音さんの声に手を振って何でもないと答えておく。  一石二鳥ってことは良く分かった。分かりすぎるくらい分かった。  お腹が減るのは当然だ。生きているのだから。  人型が不死だってのも見た。目の前で蘇ったのだから。  全くの別物になるのか、派生するのかは分からないが、壊れれば変わることも受け入れよう。木ですら変わったのだから。  そうだ。その通りだ。  別に、行動に理解がいかないわけではない。むしろある意味では正しい行いだとも思える。  ゲームとして、そう割り切って攻略していくのなら当然の行動だ。理性的で、現実的で、正しい方法だ。  だからと言って、今、実際に手足を動かして行えるかは別だけど。  そもそも、交渉もなくすぐに炎を放ったのだ。いや、朱音さんは既にここに来たことがあるんだったな。と言うことは、話し合いはできないのか? 言葉は通じないのか? あの、意味不明な言葉は? 「本当に大丈夫ですか?」  確かな熱源を感じる。  きっと、朱音さんが隣にしゃがんだのだろう。  先ほどと同様に、ゴケプゾを持った手を振っておく。 「そうですか。なら、移動しませんか? 留まり続けるとまだまだ来ますので。本部にも行かないとずっとこのままですよ」 「そう、ですね。そうしましょう」  手を退けると、先ほど燃えたとは思えないほどに景色が回復しつつあった。  草は生えかけ、木材と化していた物体は元の木に戻りつつある。  ただし、怪物が出てきた方向は回復が遅いのか、まだ枝や丸太のままだ。 「本当に大丈夫ですか?」 「ああ。ちょっと、いきなりで慣れていないだけだから」  そうだ。そのうち、慣れる。  人と言うのは情が厚いのか薄情なのかよく分からない。  親しい人が死ねば悲しいとは思うが、その実、ある程度変わらない生活を送ることができる。  これが肉親や実子だと違ってくるのかも知れないが、そう言った人を失ったことがない自分にはわからない。  ただ、中学時代の数少ない親しかった人が死んでも、悲しいとは思ったが普段は考えることはない。誰それの祖父母が亡くなったと聞いても、少しの間は気に掛けるが後は何も思わない。そういうものだ。  だから、よくわからないこれならば確実に慣れるはずだ。 「そうだ」  ぱん、と朱音さんが柏手を打った。 「こういう時は楽しい話をすると良いと聞きます。楽しい話と言えば夢や目標でしょうか? 誠二さんは、何かありますか?」 「それ、全員が楽しい話ってわけじゃないですよ」 「あらあら。口調が安定していませんね。そんなにここが受け入れ難いですか?」  むしろすんなりと受け入れられる人に会いたいよ。  いきなりでよく分かっていないのに。 「楽しいかは分からないけど、惣三郎(そうざぶろう)は夢や目標を熱く語れるんじゃないか。弟だからと言う贔屓目もあるけれど、いいピッチャーだからな。山崎先生も野球部就任以来の最高成績を狙ってるだろうよ」 「スルーですか? 弟さんの話に逃げないでくださいよー」 「じゃあ兄貴? 兄貴はどうなんだろうな。就職してからは全然会わなくなったし、俺も大学入って一人暮らしを始めたからなあ。今の目標は知らないよ。結婚とかかもね。確かに、俺も人のこと言えないけど、兄貴もあまり長続きしないからなあ。兄貴も彼女は人並みに欲しいとは思っている気はするけど、何が何でもでは無いよなって話はしたことあるし」 「うーん? 話す気が無いのなら、まあ、良いでしょう」  良いんだ。 「と言うか、朱音さんは?」 「私ですか? 私は禁書を焼くだけですよ」 「……楽しいの、それ」 「まあ、やらないよりは?」  良く分からないけど分かった。  朱音さんを理解しようとしては脳が足りないことは良くわかった。  この世界全般に関しても、理解しようとしてはいけないのだ。理解しようとしては、時間も知識も足りない。これは、仕方がないことなのだ。 「ママさんが「誠ちゃんは就活どうするのかしら」って言ってましたので、誠二さんにはきつい質問でしたかね」 「知っててしたのか」  性格悪いな!  悉く自分と合いそうにない人ですね。朱音さんは。 「いやいやー。ほら、相談に乗るのも仲良くなる近道じゃないですか」 「だとしても親しくなる手段として普通は進路相談を選ばないから」 「私が生き方を与えてあげましょうか?」  ざっと朱音さんを見回してみる。  確かに、身なりは佳いけれどいきなり居候するし、変な世界に連れてくるし、超常の力を持っているし。  正直、深くかかわるのは御免こうむりたい。 「世の中で生活していくにはお金がいるんですよ」 「ちょっと、私が一文無しみたいじゃないですか!」  朱音さんが叫んだ。  拍子に、草むらが動く。 「違うんですか?」  小声で返しつつ、動いた方に目を凝らす。  ややもすれば、草から飛び出していく兎のような生き物が見えた。  一見すれば、現実世界にもいる兎のようだ。血も通っていそうである。  あれ、食えるのかな。 「誠二さんの言う通りお金は持ってませんけど、人間受けする見た目はしているとおもうんですけど。思うんですけど!」 「はいはい。そうですねそうですね。とてもとても綺麗な朱音さんや、あの兎は食べられるんですかね?」 「褒め方が雑な人には答えてあげません」  頬を膨らませてそっぽを向くなんて言う、あからさまな反応をしなくてもよいのではないでしょうか。 「華もかすみ、月も隠れるほどお美しい朱音様。あの兎は、食べられるのでしょうか?」 「それもそれで適当ですよね」 「良いから食えんの?」 「そんなにお腹減ってるならこのお肉を上げますよ」  朱音さんが、先ほどもぎ取って変質した肉塊を差し出してきた。 「あ、飴があるんで大丈夫です」  多分。  現実世界から物が持ち込めているならば。長引いた時の空腹を誤魔化すために鞄に入っている。  お腹は、別にまだそこまで減ってもいないから緊急でもない。いざ減った時に人型の肉は食べたくないから聞いただけで。 「まあ、兎は狩れるんですけどね。他の生き物も食事になりますし」 「よし。ちょっとお花摘みに行ってきますね」 「素手で狩る気ですか?」 「花摘みだって言ってんじゃん。わかる? トイレだよ、トイレ」 「いやいや。誰が聞いても言い訳だってわかりますよ。第一、私から離れて安全なんですかねえ?」  によによと笑いながら朱音さんが右手の指を伸ばして自身の口に当てている。  少し腰を曲げたその姿勢のまま、つま先で移動するようにするすると自分の方に来た。  やっぱりおかしいよ。動きは魑魅魍魎の類だよ。 「情けないけど、安全じゃないだろうね」 「でっしょー」  一気に、朱音さんが距離を詰めてきた。  あまりの勢いによけるか迷い、機を失う。 「だからって抱き着くな」  色々と。  そう、こんな奴でも良く知らないためか色々と危ういから。  これが知り合いならそういうことにもならないけど。あまり知らないがゆえに危ないから!  ただ、自分の意思を無視して朱音さんはゴケプゾに手を伸ばしてくる。 「プジャブ・ゾ・ゲクゾゾゼデきゃヴぇにずぐ。じまがしゅまぇ、ゴケプゾ」 「は?」と言いかけたのをこらえる。  理解できるはずがないんだ。うん。  などと目を背けていたかったが、手が勝手に動き出す。ゴケプゾを両手に持って、ページをめくっていくように。力で強制されているわけではないのに、止められない。  正直、一人でこんなことが起こったら怖い。恐怖に縛られる。あり得ない。  だが。  発端だと言うのに。  朱音さんの体温が感じられるのが心を落ち着かせていた。 「ここ。このページが、第八章『武器創造』のお話。理解が終わっていなくても『ぉぬぞぬドロ』と言えば武器は作れるから。誠二さんの言葉に直せば、『創造せよ』とかそんな感じ。ま、忘れても読めばわかるよ」 「だから読めないんだって」  大体なんだよその発音は。 「ああ、そうだったね。うん」  朱音さんの手が伸びてくる。 「何をっ」  言い終わる前に目を閉じるように手を当てられた。口にも手が来て、窒息とか、そういう感じではないのに言葉が紡げなくなる。 「少し荒療治だけど。何事にも備えは必要だよね」  言葉の後、熱が一気に広がった。  熱く、焼けるような。目も口も燃え、そこから体に広がるような。  沸騰したお湯を飲まされているような感覚があるのに、不思議と痛みはない。耐え続けられるような、分厚い革の向こうの出来事のような。  それでいて、内側から燃やされていくような。熱湯との間にラップ一枚すらないような。  良くわからない感触と、久しぶりの遠のく感覚がやってきて。  洗濯槽の中の衣服になった空間にまたやってきた瞬間に、炎がすべてをかっさらっていった。
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