葉の手紙

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葉の手紙

『なつみちゃんへ。  転校してきたばかりのぼくに、いつもやさしくしてくれてありがとう。お礼に、ぼくがみつけたきれいなはっぱをおくります。これからも、ずっと仲良くしてね。  あきらより』  ある秋の月曜日。秋良(あきら)はこんな手紙を書いて、クラスメイトの夏美(なつみ)の下駄箱に入れておいた。  秋良は、九月にこの学校に来たばかりの転校生だ。そんな秋良に、隣の席の夏美はとても親切にしてくれた。そのことへの感謝の手紙だった。  自由帳のページを一枚破って書いた手紙には、秋良が見つけたとっておきの葉っぱを一枚添えてある。まだ完全には紅葉していないこの季節に、半分は赤、半分は緑という珍しい色をした葉だった。  こんな珍しい葉っぱは、森の中を何度探してもなかなか見つからないだろう。  夏美もきっと喜んでくれるはずだと、秋良は思っていた。彼女の喜ぶ顔が見たくて、秋良はわざわざ朝早くに登校してきて、下駄箱の陰で夏美をずっと待っていた。  だが。 「いやだ……何なの、これ……」  夏美の、張り詰めたような声が聞こえる。秋良は驚いて、下駄箱の陰から夏美を見た。手紙を開けた彼女の顔が青ざめている。 「夏美ちゃん? どうしたの?」  秋良が声をかけると、夏美は途端に秋良のことをにらみつけた。 「秋良くん! ひどいよ、私の下駄箱にこんなもの入れるなんて!」 「え……?」  秋良は夏美がなぜ怒るのか理解できず、その場に立ち尽くした。彼女は秋良には近づこうとせず、下駄箱の前から声を張り上げてくる。 「この葉っぱ! 気持ち悪いよ、虫が食べた跡があるじゃない」  気持ち悪い。夏美にそう断言され、秋良は呆然とした。 「秋良くんはやさしい人だと思ってたのに。ひどいよ!!」  夏美はひときわ大きな声でそう言うと、手紙をごみ箱に押し込んで、教室へと続く階段を上がっていった。  学校が終わり、家に帰った後もまだ、秋良は頭がぼんやりとしていた。  夏美に嫌われてしまったという事実が、うまく理解できなかったのである。  ――――自分は、そんなに悪いことをしてしまったのだろうか?  考えながら、秋良は服のポケットを探った。そこには、手紙に入れたものとは別の葉っぱが入っている。あの手紙を読んでもらった後で、夏美にあげようと思っていたのだ。  ランドセルを置き、リビングのソファにもたれたまま、秋良はずっと考えていた。  葉っぱが気持ち悪い、と夏美は言っていた。だが、自然に生えている葉っぱに虫が食べた跡があるのは当たり前のことだ。理科の授業でも勉強したのだから、夏美もそれはわかっているはずなのに。  一体、何がいけなかったのだろうか。自分の行ったことの、何が……。 「秋良。どうしたの? どこか具合が悪いの?」  突然声をかけられ、秋良ははっとした。パートの仕事から帰ってきた母が、秋良のことを心配そうに見ている。 「お母さん。あのね、今日……」  秋良は今日あった出来事を母に話した。夏美の下駄箱に手紙を入れたこと。喜んでもらえるとばかり思っていた葉っぱを、気持ち悪いと言われたこと。手紙を捨てられたこと。夏美に、嫌われてしまったこと。  母はソファの前で膝をつき、秋良の言うこと一つ一つを、ちゃんと聞いていてくれた。  学校にいる間、秋良はずっとぼんやりしていて、悲しいとさえ感じなかった。だが、今こうして母親に話をしていると、だんだんと悲しいという気持ちが湧いてきて、秋良はいつの間にか泣き出していた。 「お母さん、ぼくは、どうすればよかったのかな……」  涙声でそう言った秋良に、母親は真剣な面持ちで問いかけた。 「ねえ秋良。お母さんと一緒に、前にいた町に戻らない?」 「え?」  秋良は驚いて母の顔を見た。母は、その場限りの嘘を言っているようには見えなかった。 「この街に引っ越してきたのは、お父さんの仕事の都合でしょう。秋良が無理してこの街に住み続ける必要はないわ。お父さんには一人でこの街に住んでもらって、秋良はお母さんと一緒に、元いた町に帰りましょうよ」 「え……でも、そんなの……」  秋良は戸惑った。元いた町に帰れると聞いて、一瞬少しだけ嬉しくなった。だが、それと同じくらい、秋良は胸の中がもやもやとした。本当にそれでいいのだろうか。 「心配しなくて大丈夫。私がお父さんを説得するから」  目を合わせて力強く言う母に、秋良はかえって不安を感じた。母は本気で、秋良と共に前の町に帰るつもりらしい。確かに、そうすれば前の学校の友達とも会える。しかし、それでは本当の解決にならないと、秋良は思った。 「お母さん。ぼくはこの街に住んでたいよ」  それを聞いて、今度は秋良の母が困惑した。 「どうして? 夏美ちゃんに嫌われてしまったんでしょう? 学校に行くのはつらくない?」 「つらいかもしれないけど、でも、やっぱり今のままがいい。嫌われちゃっても、やっぱり、夏美ちゃんのいる学校に通いたい」 「秋良……」  秋良の母は、まるで彼女自身がつらくてたまらないかのように秋良を見ていた。  そして彼女は、秋良の隣に腰掛けると、窓の外を見ながらぽつりと言った。 「あのね、秋良。本当は、お母さんも元の町に帰りたいのよ」 「そうなの?」 「そうよ。だって、この街は都会で、なんだかみんな冷たいんだもの。今朝もごみ捨てに行って近所の人に会ったけど、私が挨拶をしても、誰も挨拶を返してはくれなかったわ」  学校ではみんな元気に挨拶をしているので、秋良は意外だと思った。 「それに、ごみ捨ての帰りにきれいな落ち葉があったから拾おうとしたら、みんな顔を背けてひそひそ話しているの。落ち葉なんて汚い、あんなのを拾うなんて変な人だわ、って」  秋良ははっとして母の横顔を見た。母は泣いてはいなかった。だが、秋良と同じ思いをして、母もつらかったに違いない。 「お母さん、ごめんなさい」  新しい街で、つらい思いをしたのは自分だけだと思っていた。しかし、それは違った。  母親の気持ちが想像できなかった自分に気がついて、秋良は謝った。だが、母は静かに首を横に振る。 「秋良は何にも悪くないのよ」  そう言って秋良のほうを向いた母は、少しだけ泣いているように見えた。見えた、だけだったかもしれない。けれども秋良はたまらなかった。 「ぼく、少し外で遊んでくる」 「誰かと約束しているの?」 「ううん。一人で。また、きれいな落ち葉を探してくるよ。みんなは気持ち悪いって言うけど、やっぱりぼくは、きれいな葉っぱを集めるの、好きだよ」  秋良はできるだけ明るい声でそう言うと、すぐに立ち上がって外に出た。母が泣いている間、自分は外に出ていようと思ったのだ。 「秋良」  母は秋良を呼び止めようとしていたが、秋良は構わず外に出た。目的の場所は、家からほんの少しの距離だ。  玄関を出て家の前の坂を下ると、そこに大きな楓の木がある。周りには柿や銀杏の木もあって、たくさんの落ち葉を拾うことができるから、秋良はここを気に入っていた。  ところが、急いで坂を下りてきた秋良は、その場所に小さい子供がいることに気がついた。秋良には見覚えのない子供である。 「おかあさん! はっぱ! はっぱだよ!」  子供は木の根元から落ち葉を拾い上げ、道の向こうに向かって大きく振っている。どうやらその子の母親が、遅れて追いついてきたらしい。 「みいくん。葉っぱ、汚いからだめだよ」  汚い。その言葉を聞いて、秋良の歩みが止まった。親子は秋良がいることに気づいていないのか、二人で話を続けている。 「きたなくないよ! はっぱ、きれいだもん!」  土の付いた落ち葉を守るように握った子供は、母親に反論した。 「だめ。捨てなさい」  母親が楓の木のもとまで来てたしなめる。 「やだ!」 「こら」  母親は子供の手を無理矢理に開き、握りしめた葉を取り上げた。  そして、一瞬汚いものに触れたような顔をして地面に捨てる。 「ああ!」  子供は慌てて先ほどの葉を探そうとした。だが、他にも大量の落ち葉がある以上、さっきまで持っていた葉を見つけ出すことはおそらくできないだろう。  母親は、見つけられるわけがないと決めつけた様子で、小さな子供の手を取った。 「行くわよ」 「やだ! まって!」  泣き出しそうな子供の声を聞いて、秋良は思わず走り出した。土のついていない葉ならここにある。  秋良はポケットの中に入れていた葉を取り出した。夏美にあげるつもりだったあの葉っぱだ。ちゃんと水で洗ってあるし、これなら虫食いの跡もない。大急ぎで親子の前にやってくると、秋良はその一枚きりの葉っぱを子供に差し出した。 「これ、あげる」 「おにいちゃん……?」  子供は、突然現れた秋良を不思議そうに見ていたが、すぐに葉のほうを見て歓声を上げた。 「わあ!」  子供は迷わずその葉を掴む。 「ありがとう!」 「どういたしまして」  この葉を気に入ってくれたことに安堵しながら、秋良は子供に葉を渡した。それを見て、母親はすかさず子供の手を引く。まるで、秋良から引き離そうとするかのように。  そのまま親子はあっという間に来た道を戻っていった。子供は何度かこちらを振り返ってくれたが、母親はその度に、よそ見をしないでと子供を叱った。 (あの葉っぱが、あの子の役に立って良かった)  親子の姿が見えなくなった頃、秋良もまた家に帰る坂道を上り始めていた。今日は良い日だ。例え夏美に嫌われても。母が泣くきっかけをつくってしまったとしても。あの子の役に立つことができたなら、今日は良い日に違いない。  秋良は勢いをつけると、目の前の坂を一気に駆け上がった。  やはり自分はこの街にいたい。この街の人たちとは意見が合わないことが多いけれども、それでも分かってくれる人はいる。だから、それを信じてこの街で暮らしたい。  家に帰ったら、母にそう伝えよう。  そして、母自身がどうしてもつらいのならば、その時はまた話し合おう。  秋良はそんな風に考えながら、家に帰り着くまで留まることなく走り続けた。
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