キャベツは生きる価値がない

1/33
4人が本棚に入れています
本棚に追加
/33ページ
「俺、花音と別れた」 開口一番に告げられた言葉に、俺、街田爽太(まちだそうた)は朝から驚かずにはいられなかった。今思えば、この瞬間から何かが起こることは決まっていたのかもしれない。 「聞いてんのか?」 「あぁ、聞いてる」 俺がそういうと、親友の倫也は少し気まずそうに頭をかいた。 「いやぁ、ソウにはお世話になったし仲良くしてたから報告しとかねぇとなと思って」 「それはどうも律義に」 サッカー部で褐色じみた肌のイケメンである本田倫也(ほんだりんや)と、学年一のマドンナと言われる鈴木花音(すずきかのん)。二人が付き合いだしたのは一年以上前らしいが、1週間前にあった時も夫婦のような空気を醸し出していたから意外だった。  ちなみに『らしい』というのは俺が7か月前の春に転校してきたからそれ以前を知らない、と言う意味だ。 「てか何で別れたんだよ」 「あー、それがさ……」 理由は簡単なことであまりにお互いが落ち着きすぎてときめきが無くなったとか、喧嘩が多くなったとか、ありきたりなものだった。  学生の恋と言ってしまえばそれらしい青春だろう。 二人の間で流れた微妙な空白の時間を埋めるように、一時間目のチャイムが鳴った。  面白くもない授業。50分と10分を繰り返して時間が過ぎていく。  三時間目。俺はずっと見ていた机の木目から目を離し、空を見上げた。雲一つない、快晴だ。  真っ青な空はよどみが無さ過ぎて逆に気持ちが悪い。この世に汚れているモノなんてない、なんていう理想論をほざいているようで嫌いだった。  俺はぼんやりと窓越しに空を眺めた。先生の声なんざ、耳にも入らない。 「この問題を……街田、解いてみろ」 俺はゆっくりと黒板のほうに目を向けた。きっとこちらを睨むおっさんと、さっきからやっているのであろう黒板の半分を埋め尽くす二次関数の応用の方程式……。 「Xは3と-7」 「……正解だ」  俺はまた外に視線と意識を向ける。どうせ解けるのだから、先生も諦めて不真面目だが勉強はできる生徒、と放っておいてくればいいのに。授業態度が悪くても点数が取れてりゃ卒業はできる。  校庭と校舎の間にある木々の頭がわさわさと揺れている。と言っても葉が生い茂っているわけではなく、ちらほらと葉がついている程度。  寒くなってきたから外の掃除が大変なのは、どの学校も変わらない。なぜわざわざ落葉樹を植えるのか、理解が出来ない。  屋上や4階から見える景色は、3階から見えるこの景色よりいいのだろうか。少し見てみたい気もする。あぁ、退屈だ。退屈過ぎて溶けてしまいそう。  なにか、非日常的なことは起きないだろうか。  頭をよぎったのはサイレンの音。自分で口元が緩んだ。バカらしい、そんなことあるわけないのに。  その時だった。何かが上から落ちてきた。窓の向こう側。あれは……人。  思考が止まる。心臓も血液循環も止まったような、すーっと全身が冷たくなっていくような感覚。時も、いや、ゆっくりと動いている。落ちていく。  窓越しにそいつと目が合った。彼を、見たことがある気がした。手を伸ばしたい衝動に駆られる。しかし体は動かなかった。  彼が目を見開いて――そして、笑った気がした。  ゆっくりと姿を消していった。本当は一瞬のことなのかもしれない。だけど、俺には何分にも、何時間にも感じられた。最期に見えたのは、使い古され汚れた白いスニーカーだった。  教室の中に女子の甲高い叫び声が反響する。それにかき消されまいと響く男子の低い声。 「せ、先生!」 「なんだ、どうした?」 「ひ、人が……」 女子が先生に震えた声で訴えた。先生が勢いよく窓辺に寄り、ガタガタと窓を開ける。 「絶対に見るな!」 その言葉が俺らに現実を突きつける。教室に震えたざわめきが広がる。  俺は動けなかった。頬杖をついて、外を眺めた形で指1本。瞬きすらできなかった。 「安藤先生!」 隣のクラスの授業をしていたのであろう女の先生の声がする。名前は、なんだっただろうか。 「今行きます!」 安藤と呼ばれたおっさんはガシャンと窓と鍵、その上から分厚いカーテンを全て閉め、自習と言い残して走っていった。  つかの間の沈黙。そのあとのざわめき。しかし誰一人としてカーテンを開けて下を見ようとしない。  怖いのだ。目の前の現実を見ることが。噂話は簡単だが、やはり目の前の現実は怖い。 「だ、誰かはわからないけど……」 「ぜってー、人だった!」 「どんな人?」 「自殺、なのかな……?」 興奮と恐怖が教室に入り混じる。俺はそれを、傍観者として聞いていた。俺の目には現実から俺らを守るカーテンしか映っていない。  現実、なのだろうか。 「大丈夫かよ、ボーッとして」 俺に話しかけてきたのは倫也だった。  やっと瞬きが出来た。目が乾いて痛い。振り向いて彼は笑っていたがどこか心配したような色が見えた。 「あぁ」 「お前も見たんだろ?」 「なんで」 倫也はニヤッと笑った。 「お前、いつも外見てんじゃんか」 お前のことは全部お見通しだとでも言いたげなドヤ顔が腹立つ。 「見た」 「マジか。よくそんな冷静にいられるな」 「現実味わかねぇ」 「お前らしいな」 束の間、天使が通った。周りの声を拾ってか、倫也は少し何かを考え口を開く。 「キャベツ、かもな」 「何が? 好きな野菜か?」 んでだよ、と倫也は朗らかに笑う。クラスの空気に場違いな笑い声。 「落ちた奴のことだよ」 「キャベツ? 人だって言ってんだろ」 「いや、そうじゃねぇよ。お前半年もいて知らねーのか」 悪かったな、無知で。 「キャベツってのはいつも屋上にいるやつのあだ名みたいなもんだよ。なんでも……あの、ほら、めっちゃ賢いっていう……なんて言ったっけ。ギフト……」 「もしかしてギフテッドか?」 倫也はパチンと指を鳴らした。 「そう、それ」 ギフテッド――それは普通の人よりずば抜けた能力を持つ者のこと。日本では人口の2%、つまり250万人ほどがそれだと言われている。 「なんで……」 俺の声は救急車やパトカーのサイレンによってかき消された。一気に外が騒がしくなる。
/33ページ

最初のコメントを投稿しよう!