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立春
もうすぐ春の気配が見え隠れする朝方、華子は古い台所で朝支度をしていた。
炊きたての白いご飯にお味噌汁。
卵を焼いて野菜を刻み、フルーツを盛る。
ここ、篠崎家に嫁いで毎日欠かさずにやってきた朝のルーティンだった。
使い慣れた包丁は刃先の銀色が濁りかけ、持ち手には黒ずみが少しついている。先端の反りも心地よく華子の手先に振動を与えてくれた。
子供のいない華子にとって、彰男が生きていた頃は食事の支度が夫婦の絆のようなものだった。
しかし今は……
「おい、メシがゆるいぞ。」
鉄男の声が華子にとんできた。
朝起きて早々、炊飯器を開けて目で見て確認する鉄男。
何に関しても文句しか付けないこの男のお小言はもう慣れっこだ。
華子は、無視した。
朝から鬱陶しい。
せめて朝くらいはさわやかでいさせてくれ、と心だけ素直に叫ぶ。
たんたんたん
包丁にリズムをつけて料理に没頭する。
「おい、ワシはメシは硬い方が好きやというとるだろうが! 」
鉄男は更にヒートアップさせてきた。
たんっ
包丁を止めて、華子は鉄男を睨む。
「お義父さん、朝から些細なことでわめかないでください。こちらはやる気がそがれます。」
たんたんたん
「お前、嫁のくせにくそ生意気やのう! 」
鉄男は、どかっと隣の仏壇のある和室に座ると大きな音でテレビをつけだした。
わっと上がるボリューム。
まただ……
どれだけこの大きな音量がご近所様の迷惑になると思うか、このバカは考えたことがないのか。
イラッとしながらお椀に盛り付け、素早く白いご飯を茶碗へよそい、テーブルの上に置いた。
「お義父さん、出来ましたよ。」
「お前、新聞がないやないか。とってこい。」
「それくらいご自分でどうぞ。」
華子は、決して従おうとしなかった。
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