立春

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「おい、聞こえたらとっとと行け。とってこい!! 」 「ボケ防止にご自分でどうぞ。」 ちっと舌打ちをして鉄男は郵便受けへと足を向けた。 やれやれ、少しは言うことを聞いてもらわないと困る。姑が散々言いなりになり甘やかした結果の遺産は自分のこともろくに出来ない死に人同然なんだから。  華子は顔を顰めた。 先程、鉄男が動いたせいで体臭が空気中を漂う羽目になってしまっている。 この匂いは、死んだ油のような臭いだ。なんどかいでも慣れない、華子はなるべく酸素を吸わないようにしたのだった。 「おい、メシが終わったら今日は近所の寅さんのところに行く。だから車を出せ。」 毎度ながら唐突なのだ。この男は。 何年か前に視力を弱らせてから車の運転を諦めた鉄男は、常に誰かに送り迎えをしてもらわないといけない身であった。 「今日は、私は朝からボランティアに行く日ですので無理です。ほかの日にしていただけませんか? 」  華子は、1年ほど前から地元の子供教室のサポーターになっていた。 主人に先立たれ、心もとなかった頃に友人が誘ってくれたのだ。 子供相手に遊ぶ時間は華子にとって唯一の自分の心の壁をとっぱらえる貴重な時間でもあった。 「ええか、華子。嫁はなんでもハイ言うて言うこと聞いてりゃええんや。お前は口答えがすぎる。」 味噌汁を飲み干し、汁茶碗をドンと置いて華子を責めてきた。 「お義父さん、そんなこと言っていたら若いものに嫌われますよ? 」 華子は、鉄男が食べ終わったのをきちんと見計らってから自分のご飯をよそう。 男尊女卑の考えから遠慮しているのではない、ただ、鉄男と共に食事をとるのが苦痛なゆえ避けているだけだ。 「若いもんは歳とったもんの言うことをきくに限るもんや。」 「嫌われたら介護して貰えなくなりますよ? 」 「そんなこと許されるか、アホ。長男の嫁の仕事やろうが。」  華子は、ウンザリだった。 一種の障害なんじゃなかろうかと疑うほどの鉄男の思い込みの強さに辟易する。  華子はそれも無視して洗濯物を干し、きちんと水回りを美しくし出かける準備をしたのだった。
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