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寛容なのか?
僕は賭け事は賭博のみの意味合いとして、揶揄していた。だが、それは人生や夢において命を賭けるほど情熱を費やしたものがあるか、ないかではないか?と思い至る。そういう意味で、人と付き合ってきたつもりでいる。僕個人としては、人と関わるのは、騙し合いのゲームの様なものである、そう悲観的に捉えていた。人なんて信じられないし、疑って掛かる。そうしないと、軽率が生まれて、簡単に騙されて痛い想いをする。僕は、人生において大事なのは、その人を信じられるかどうか?その一点でしかないのではないか?と考えている。人を信じられなくなったら終わりである。猜疑心が人の心の隙間に闇を生み出し、巣食う。それは、一種の呪いでもあり、病の引き金である。かの尾崎豊は、闇の告白と題する歌の中で、心の中の言葉など光さえ奪われる、いつしか答えを撃ち抜く、全てを撃ち抜くと言う表現で持って、その歌を好きな人は怖い人だねとインタビューで答えている。それは、単純に不安と精神の病の上において、自分が見つけてきた答えを全て否定し、自暴自棄になる、自殺者への哀れみと、時代の先見の目が、創作させた、精神の危機を訴えている。人の心を荒廃させる、その根源は人は薄情だと諦観する、孤立し、取り残される恐れではあるまいか?僕は、今の時代において、忘れてはならない、信じる事の大切さを説いたい。それは、自身が一番、恐れていることでもある。人を信じられなくなったら、終わりだ。そうなると、本当に人である事が難しくなる。その危惧と怖れを自覚せねば。私は自戒し、生きよう、そう思い至る理由である。
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