一章

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一章

重い瞼を少しづつ開ける。 カーテンから差し込む太陽の光が眩しい。 「もう朝かよ」  ベットの上で布団にくるまりながらまだ起き上がれない重い体を無理やり起こす。 洗面台で顔を洗い歯を磨く。 Yシャツに袖を通しネクタイを締め、カバンを持ち玄関に向かう。 「行ってきます」 誰もいない部屋に挨拶をするのが毎朝の日課になっていた。 俺の名前は来栖廻(くるす めぐる) 部署は営業で自分で言うのもなんだがモテる。 「来栖、今日中に終わらせる書類はどこまで進んでるんだ?お前の事だからまだ半分も出来上がってないんだろう?」 会社に着くなり上司の北村に声をかけられる。 「もう少しで終わります」 毎度のことなのでオレもいつも通りの定例文を並べる。 「かならず今日中に間に合うように頼むぞ」 バツが悪そうに北村はそれだけを言い残してドアの向こうに消えて行った。 上司に毎日嫌味を言われるのには心底うんざりする。 嫌味を言うしか出来ないなんて可哀想な人だ。 「こんな奴にこき使われて人生終えるなんて…定年まで後何年あるんだ?」 心の中でそんな事を思っていたが、上司を呼び捨てしている自分自身に呆れながらも持ち場に戻る。 「お疲れ様でした」 いつも通り定時に上がった俺は、小走りでエレベーターに向かう。 その途中で前から来た人とぶつかってしまった。 ーーードンッ 「いったぁ〜い」 聞き覚えのある声に動揺を隠せない 栗色髪色に腰まである髪 ぱっちり二重で桜色の唇に色白で華奢な体。 社内で有名な商品開発部の枢木来海(くるるぎ くるみ)だった。 その美貌にすっかり見惚れてしまった。 「ごめん、大丈夫?」 俺はすぐに目の前の彼女に手を差し出す。 「大丈夫じゃないですよ!この後ご飯に付き合ってくれたらチャラにしてあげます!』」 まさかこんな展開になるとは。 俺は内心ワクワクしつつも平然を装って首を縦に振った。 「やった!もうすぐ仕事が終わるので一階のロビーで待っててください」 そう言うと彼女は足早にエレベーターに向かって行った。 俺は彼女の仕事が終わるのをロビーで待っている。まさかこんな美味しい展開になるなんてラッキーだなと心の声が今にも飛び出しそうな勢いだ。   しかし浮かれてはいけない! 絶対に裏があるに違いない……何となく男に慣れている感じがするからだ。 そんな事を悶々と考えていると、彼女がエレベーターから降りてくる姿が見えた。 「お疲れ様」 「お疲れ様です!お待たせしました。先輩がそんなに喜んでたなんて知らなかったです!さぁ行きましょ」 彼女に心の声が聞こえていたみたいで俺は急に 恥ずかしくなって俯こうとした時、彼女は俺の腕に自分の腕を絡ませて歩き出した。 会社から二駅先で電車を降りる。 PM:22:00 さすがにこの時間は人通りが多い。 何故ならここは他県からも人が集まる有名な眠らない街。 歩行者が行き交い、車通りも激しい。 「ここにしましょ?」 繁華街の中にある一軒の店に着いた。 俗にいう立ち飲み居酒屋だ。 店のドアを開けると中は賑わっていた。 会社帰りのサラリーマンやOLが大半を占めている。 店員に促されるまま、奥にあるカウンターに座った。 「何にしますか?とりあえず私は枝豆とビールにします」 女の子はもっと可愛いものを注文するもんだと勝手に思っていた。 中年のオヤジみたいな彼女の素の部分を見れて内心ホッとした。 「じゃあ俺は焼酎で」 定員を呼びそれぞれ決まったものを注文した。 【かんぱ〜い!】 ひんやりとしたグラスに口をつけてゴクゴクと飲む。 仕事の後の一杯は格別だ! 彼女は上機嫌に話しかけてきた。 「そういえば自己紹介がまだでしたね、枢木来海(くるるぎ くるみ)です」 目を細めて笑う彼女は手を差し出してきた。 「俺は来栖廻(くるす めぐる)よろしく!」 彼女の手を握り挨拶を交わす。 その後はお互いに仕事の話を語り合った。 「商品開発部ってどう思います?」 「発想力も情報収集もしないといけないから大変だよなぁ……。まぁ、コミュニケーション能力も大事だと思うけど」 そういうと彼女はほっぺを膨らませながら口を尖らせている。 「そうじゃなくてぇ〜。こんなに可愛い私が商品開発部にいる事についてです!」 俺は正解の答えが見つからず思わずこう答えてしまった。 「自分でこの道を選んだんじゃないのか?」 「そんな真面目に答えないでくださいよ!あ!そういえば今日ね……」 彼女の顔が一瞬だけ曇ったのを俺は見逃さなかった。 まぁ聞かれたくない事の一つや二つくらい誰にだってあるよな……そう考えながら彼女の話に付き合ってあげる事にした。 それから何時間経ったのだろうか。 べろんべろんに酔っ払った彼女を俺は背中で負ぶって、店から出るとタクシーを拾った。 呂律の回らない彼女は必死に何かを訴えていたが聞き取れるはずもなく、タクシーのドアを閉め見送った。 タクシーを見送り来た道をひたすら歩きながら駅に向かった。 ーーピピピピピッ アラームで目が覚める。 気づけば外は明るかった。 会社に行く準備をしていると、テーブルに置いてある携帯が鳴り出す。 俺は昨日彼女に、仕事の悩みとかあったらいつでも聞くよ!なんてカッコつけた言葉をかけたせいでアドレス交換をすることになった。 まさかこんな早くにメールが来るとは思いもしなかった。 昨日はありがとうございました♪ 私の悩み聞いてくれるって言いましたよね〜? 約束ですからね!! まぁ俺でいいなら話くらいなら聞いてやってもいいけど! 取り敢えず返信を適当に打ち、急いで支度を始める。 5分も経たないうちに返信が来た。 そのメールの内容を確認して携帯電話を閉じる。 時計に目をやると時間が迫っていたので急いで玄関に向かい無造作に脱ぎ捨てられている靴を履き、玄関を出た。  「行ってきます」 ーーーーー 恋愛なんて暇な奴がするもんだと思ってた。 ましてや運命だの赤い糸だのそんなもんはこの世に存在するはずもないし、勘違いだろうなんて鼻で笑って馬鹿にしていた。 あの日俺の中の何かが音を立てて崩れ始め、キャパオーバーの出来事が起きたんだ。 遠い昔に忘れていた何かを思い出させてくれた。   「彼女には隠している何かがある」と俺の五感が訴えかけてくるのであった。
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