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「自動車文化は死んだ」そう言われる時代が来た。運転時、完全に交通法と運転マナーを遵守して走行するための「自動車運転航法システム」(通称オート・クルージング・システム)が搭載された自動車以外は一切、道路の運行を禁止する道路交通規制法が成立し施行されたのだ。
これまで、車の形、性能、そのほか、いろいろな意味で人間の「思い入れ」の対象にもなり得た種々の車は、「運転者の制御」を否定し、完全に自動制御されることになったわけである。
このようなことになったのは各種の理由があった。それは、車というモノの長い歴史の中で「事故を起こすこと」「犯罪などに使われること」「違法な取り扱いで他人に迷惑を掛けること」などの問題のほとんどが車自体の性能的成長に関係なく「運転者」によって引き起こされることが問題視されたからだった。特に問題視される理由は二つあった。一つは、高齢者の増えた社会では「運転者の能力が突然失われること」があり、運転者の操作ミスや病気による意識喪失などによる事故の多発が相次いだこと。もう一つは、「偶然にそこで互いにさしかかり、そして気に触った」という理由で加害運転者が車という重量のある高速移動体を危険な凶器に変えてしまうことだった。これらのことは、被害者にとって、たまたまそこに居合わせただけであり、被害者に大きな落ち度が無く、加害者と被害者の関係に強い密接な関係も無いため、「不条理事故」などと呼ばれて大きな社会問題に発展してゆき、ついには、「走行性能ばかりに注目し追求している」と自動車メーカーにも矛先が向けられ、その結果、自動車メーカーで研究が進んでいた自動運転技術に、「法令とマナーの遵守」という要件を組み込むことが考え出されたのだった。
今、すべての車は道路脇に取り付けられたセンサーと通信しながら、完全な等間隔を保ちつつ整然と走行するようになった。このオート・クルージング・システムを装備していない車は国により没収され、廃棄されて行った。
「ああ。あの名車が」
「思い出の車が」
そんな思いを抱く人はもちろんいたが、そういう人のための車は「遊戯用」扱いとなり、指定の専用設備を持った保管所に預けられ、特定の区域、つまり自動車サーキットの様な場所でなら走らせることが許された。ただしそれらの車の所有には、一台ごとに莫大な税金が掛けられて、完全に金持ちの道楽になり、一般大衆にとっては「自動車レースという、見るだけの娯楽」「料金を払って車を運転するアソビ」になった。
「野良車両を追跡中。応援を請う。ヘリコプターも出動しろ!」オート・クルージング・システム未搭載の旧来の車は「野良」と呼ばれた。
交通警察官は以前より違った忙しさを味わうようになった。街中を走る車の中でオート・クルージング・システムを搭載しない、「昔ながらの車」や、改造してオート・クルージング・システムを解除して「自分で運転している」車を見つけては検挙していた。それらの車は、どれも走行が荒っぽく、警察車両に平気で体当たりなどしてくる。それらの車は、他の重い犯罪に逃走用途で使用するために用意されたものも多く、以前のような単純な「交通違反」とはわけが違った。そのような用途の車を売って儲けるギャングも暗躍した。個人で密かに取引している者もいた。
真っ赤な外国製のスポーツカーが警察車両に追われている。ほかの無関係な、オート・クルージング・システム搭載の車はこのような「異常事態」を察知した場合、事故を避けるために自動的に道を空ける様になっている。スポーツカーは爆音を立てて、整然と並んで走るオート・クルージングの車の間をすり抜けていく。その後ろを速度で非力な警察車両がサイレントと共に続いて走って行く。
何台もの警察車両がスポーツカーの行く手を阻む。逃走車はそれらの妨害をかわして右に左に車体を揺らし、タイヤを鳴らしてカーブする。空からはヘリコプターが追跡に加わり、逃走車の進行を地上の車に報告している。
車体を方々こすって、へこませて、とうとう「追い込み漁」のように袋小路に追い込まれ、行き場を失った逃走車両はついに止まった。
「ドライバー!両手を挙げてゆっくり外に出ろ!」
警官が大声で警告を発した。取り囲んだ警察官は皆、拳銃を構えている。今の交通取締は警官も命がけなのだ。
「俺たちは自由だ!人間の自由を奪うな!」
警察に取り囲まれたスポーツカーのドライバーは、ドアを開けて降りてきたが、その顔には怒りと半笑いとが入り交じっていた。
「また、自称運動家のパフォーマンスか……最近はこの手が多くて困る」
制服警官の中に後ろからスーツの刑事が近づいて来てうんざりした声でそう言った。
「署へ連行しろ」
刑事はそう言って、そしてその「運動家」が乗っていた車を見渡した。
「ああ、コイツはいい車だ。俺がガキのころ、憧れてた。……だが、これで終わりだ。残念だが……処分場へ回しとけ」
だが、この法律はこのまま落ち着くことが無かった。
「自由運転運動」が巻き起こり、5年後、政府与党は選挙での敗北を避けるためオート・クルージング・システム搭載の義務を廃止した。自動車を運転する自由が、また人に帰って来たのだ。人々は、喜びあるいは落胆した。この法律が人間の自由を侵害したと言われた反面、「安全」というよい面も多かったことは事実だった。
法施行の準備から始まり、また元通りになるまで20年以上の月日が流れ、この法律で事実上、国内の車は99%以上が新車に入れ替わった。その間、自動車産業は大いに潤った。「自動車産業と政府が手を組んだ陰謀」論が囁かれた。
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