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更に時代が進み、私は親元から独立し、結婚し、息子を儲け、マイホームを建てた。
私の給料は情けないながらマイホームのローンを払うには厳しいものであった。それを妻に相談したところ事務員の仕事に出てくれると言ってくれた。息子が小学校低学年となり、手がかからなくなった頃の話である。
妻も働いてくれるおかげかマイホームのローンを払っても生活に余裕が出てきた。給料が実質倍増したようなものだから当然である。
そんなある日、私は仕事が早く終わったので夕方前に家に帰ることにした。帰宅すると、息子がリビングの隅で電気も点けずにぽつんと座っていた。私がリビングに入るなりに満面の笑みを浮かべながら顔を上げた。
「パパ! おかえりなさい!」
「お、おう…… ただいま」
リビングのテレビにはゲーム機がそのまま繋がった状態で放置されていた。その横には五千円札が一枚置かれていた、そして、メモ書きが一枚。
今日も遅くなります、パパと何か食べに行って下さい。ママ
妻の事務員の仕事が忙しいのは私も承知している。妻は元々キャリアウーマンであったせいか、能力はかなり高く仕事先ではかなり重宝がられている。昼に家を出て、帰りが天辺近くになることも珍しくない。
私は五千円札を手に取り、晩飯をどうしようか息子と相談することにした。
「今日はどうする? 寿司はこの前行ったしなあ、ピザの出前でも取るか」
息子はシュンと俯いたまま、ボソリと呟いた。
「カレー」
「カレーか。駅前にネパール人がやってるカレー屋があったな。あそこのココナッツミルクカレーが美味しいってネットで評判らしいぞ」
「違う」
「ん? どっか美味しいカレー屋知ってるのか?」
「違うの、ママが作るカレー食べたい」
「おいおい、ママはお仕事でいないじゃないか」
「パパ、どうして最近ママはお仕事ばっかりなの? ぼくが二年生に上がるまでは毎日お家にいたじゃん!」
「ママだってお仕事があるから仕方ないじゃないか。お前が大きくなったから安心してお仕事に行けるようになったんだぞ」
「最近、お家帰ってもつまんない。誰も『おかえり』って言ってくれないから」
家に誰もいないのが寂しいのか。なら友達と遊べばいいものを、今は児童館で学童保育もやっていると聞く。でも児童館は夜の六時まで、私も妻もこのぐらいの時間に家に帰るのは極めて難しい。今日、私が早く帰ることが出来たのはたまたま起こった奇蹟だ。いつもは夜七時や八時前後になる。妻も似たような時間にはなるし、もっと遅くなるのも珍しくはない。
どうあがいても息子が一人になる時間を作ってしまうのである。
小学校低学年と言えば、まだ幼稚園児とそう変わらない。まだ母親が恋しいし、求める年頃だろう。中学年から高学年になれば逆にこれが快適に思えてくるんだ。親なんて我が子から鬱陶しいと思われて当然の生き物、こうして求められているうちが華である。
「お父さんもお母さんも、お家のお金払うためにお仕事してるんだ。わかっておくれ」
それがいけなかった。一人になるのを我慢してくれと宣告されてしまった息子は泣きべそをかきトイレに鍵をかけて閉じこもってしまった。トイレからは息子の啜り泣く声が聞こえてくる。
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