親の心子知らず

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 私は息子が分離不安障害で親離れが出来ないのだろうかと不安になった。しかし、小学校にいる間は人見知りもしなく、誰とでも仲良く出来る子だと保護者会で報告を受けているからそれはないだろう。 とりあえず、息子に話を聞いてみることにした。 「おーい、出てきておくれ」 「……」扉からは嗚咽混じりの無言の返事しか聞こえてこない。アメノウズメを見習いお祭りを開催(ひら)いたところで出てくるはずがないのは明白である。 しばしの沈黙の後、返事が帰ってきた。 「ぼくね、毎日家に帰って、ママに『ただいまー』って言ってたの、そしたらね、ママが『おかえり』って言ってくれるの。そしたらね、胸がぽかぽかしてね『嬉しい』って気持ちになるの」 家に帰ると家族がいる安心感は何物にも代え難い素晴らしいものである。私だって実家から独立して一人暮らしをしていた時には誰もいない家に帰る際には寂しさを覚えていた。 家に帰っても誰も出迎えてくれる者がいない寂しさを知ったのはその時であった。そうか、息子も同じ不安を感じていたのか。確かに「おかえり」って言ってくれる人がいるだけで自分は孤独じゃないと確認が出来て心が暖かくなる。私がそれを知ったのは妻と結婚生活を始めた時の初めての帰宅で「おかえり」と言ってくれた時…… だった?  いや、もっと早くに気がついていたのかもしれない。私は目を閉じ、瞼の母の姿を思い出した。そこにあった母の姿はリビングにちょこんと座り優しく微笑み「おかえりなさい」と言ってくれた時のものだった。目を開いた瞬間、私は母が外に出なかった理由を今更ながらに知り、涙を流してしまった。 「お外に出たら、誰が『おかえりなさい』って言うの? お母さんしかいないでしょ?」 母は私…… いや、「ぼく」に『おかえりなさい』を言うために家にずっといてくれたんだ。誰もいない家に帰るぼくに寂しい気持ちになって欲しくないから家にいてくれた。それなのにぼくは母に「外で仕事してて欲しい」だの「家にいるのはカッコ悪い」だのと言ってしまった。母はぼくのことを誰よりも深く想ってくれていたのに、ぼくは母のことを一切想わなかったのだ。 母の「おかえりなさい」に対して舌打ちで返すようなこともあったが、その「おかえりなさい」にはこんな自分勝手な息子でも無事に帰ってきて嬉しいという気持ちが込もっていたのだろう。舌打ちで返されても、母は嬉しかったはずだ「無事」に帰ってきてくれたのだから。 その気持ちは紛いなりにも息子を持ち親になった今だからこそ分かる。 母がいつも家にいるということは、とても幸せなことであることに「今」初めて気がついた私はその場で子供のように号泣し、泣きじゃくった。その声を聞いてトイレから出てきた息子を私は抱きしめた。
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