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少年編30
薫はたくさんいる人気レスラーの中でも特にタイガーマスクが好きだった。
隆司のアテは当たった。
プロレスの話題からこないだのタイガーマスクの話題に広げると、薫は列車の時間も忘れてのってくる。
「プロレスごっこ約束やで。」
「うん、かあちゃんと絶対行くから。」
「今度は負けへんで!」
「隆ちゃん弱いからなぁ。」
薫は眉をひそめる表情をして隆司を挑発する。
それを見て隆司は、
「いつも負けたっててん!」
と言い返す。
隆司は本当にいつも手加減して薫に技をかける隙を与えていた。
それはお互い承知の上なのだが、実際の所、女の子の力でも技の種類によっては結構痛い。
それでも薫が前のような笑顔を取り戻してくれるなら、少々の痛みは二の次だ。
僕は男の子だから我慢できる。
プロレスの話題ですっかり元気を取り戻した薫の笑顔を見て、隆司はあの痛みを思い出しながらもなんだか自分の事のように嬉しくなって笑みをうかべる。
一方、母親同士も今生の別れではないにせよ、別れというものはどのような形であれ辛いもので、複雑な心境がお互いの表情にあらわれている。
特に春子の方は、生活環境が変わりこれからの人生への不安感でいっぱいな親友に対してどんな顔をしていいのかわからない。
とにかく何も無くても頻繁に連絡しあえるよう、お互い声をかけあう。
それからほどなくして無情にもホームに列車が到着するアナウンスが流れる。
いよいよ薫との別れだ。
アナウンスとともに列車は到着して乗降口の扉が開く。
隆司は前もって決めていた。
サヨナラという言葉を口にしない事を。
「薫ちゃん、ほんじゃまたね。」
いつもいっしょに遊んだ後、家に帰る前に交わす言葉だ。
サヨナラを言ってしまうと、もう二度と会えないような気がして泣いてしまう。
男なのに。
「うん、隆ちゃんまたね。」
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