【二千字掌編】エッセイ 『5万回斬られた男』~福本清三さんを偲ぶ~

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 すると、周りにいた人たちが一斉に囁きだした。 「あれ、先生だよ」  当時、私は恥ずかしながら福本さんの名前を存じ上げなかった。しかし「先生」と聞けば誰もが福本さんの顔を想起する、そんな有名な綽名だった。悪徳商人を守る浪人の中で一目置かれ、雇い主からさえもいつも「先生」と呼ばれる役どころだからだ。  言葉通り、浪人姿の福本さんが、確かに歩いてくる。  その手元でギラリと、殺気を消せずにいる刀が光った。堂々とした足取りで、死地に向かうように、真っ直ぐに進んでくる。これから斬られに行くのだろうか……それとも死んだ後なのか。  しかし、私は我に返った。刀に見えていたのは、銀色のゴミばさみだったのだ。  火の番をするつもりなのだろう。拍子抜けする私の目の前で、福本さんは空いていた椅子に座り、無言で焚火にあたっていた。  身を切るような寒さの中、薄い着物一枚で動き回る過酷な仕事だ。初めて生で見た福本さんは淡々と役に徹しながらも、強面とは裏腹に、仲間に気配りする温かい人柄が垣間見えた。
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