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079:素直になれなくて
「あのさあのさ、ごめんなんだけどさ、ちょっとさ、颯真に催眠術かけたらホントにかかっちゃってさ」
「はぁ!? ぇ? なに? さいみんじゅつ……?」
あまりにも突飛な話に頭がついていかずに、漢字変換すら出来ないままオウム返しすれば、そうなんだよぉ、と得意気な顔がニンマリ笑う。
「なんかさ、特技とかさ、あった方がいいかなーって思って。で、試しに颯真にかけてみたらかかっちゃってさ~。オレ才能あるのかも!」
「いやいや、なんで颯真にかけちゃったの!?」
「だって近くにいたから……」
「んも~!!」
「反対のこと言う催眠術だから!」
「反対のこと……?」
嫌いイコール好き、みたいな意味合いだろうかと首を傾げながら、だとしたら嫌だな、なんて思っているとちょうど向かい側から颯真がこちらへ向かって歩いて来ていることに気付いた。
「颯真……」
颯真もこちらに気付いたらしい。いつも通りにほにゃんと緩んだ笑顔に変わって、ぶんぶん手を振って
「さかつー!」
「………………………………は?」
呼ばれたそれが、自分の名前を逆さから読んだ音だと気付くのにどれくらいの時間を要しただろうか。
ゆっくりと首を巡らせて張本人を見つめたら、えっへん! と威張った渉が口を開いた。
「だからぁ、反対のこと言う催眠術だってば」
「~~なにそれ!!」
「ふぁっ!?」
隣でヘラヘラ笑っている渉に思わず大きい声を出してしまったはずなのに、実際には寝ぼけ眼の颯真が呆然とこちらを見つめている。
「…………司? どしたの?」
「へ? あれ? 催眠術は……?」
「さいみんじゅつ? ……なに? どしたの大丈夫?」
「……ぁ……あ? ……――ごめっ、夢!?」
「夢~? なに、どんな夢見たの」
寝起きの顔でふんにゃりと笑った颯真に、恥ずかしさと申し訳なさで身を縮めながら事の顛末をぼしょぼしょ話す。
「あっはははっ! なにそれ! すんごい夢だね」
「……ホントごめん。しかも颯真のことまで起こしちゃって……」
「いいよいいよ。は~……いや~……笑い過ぎて腰痛いや」
目尻に滲んだらしい涙を指で拭った颯真が、それにしても、とまた笑いの発作を起こした。
「司の中での渉のイメージがなんとなく伝わったよ」
「えぇ? 違っ! 別に変なイメージないよ!?」
「いいっていいって。たぶん、間違ってないし」
ふははっ、とまた堪えきれずに笑う颯真は、どうも寝起きのせいで上手く笑いのコントロールが出来ないらしい。
つられて自分もそっと笑ったら、不意に目を丸めた颯真がやたらと優しい顔で笑った。
「だいじょーぶ。そんな気にしなくていいよ。ちょっとビックリしたけど、そんな面白い話ならいつでも聞かせて」
「颯真……」
「それにしてもオチが秀逸だったね。……まぁ、オレが司に嫌いなんて言うのは夢の中だとしてもありえないから当然だけど」
「……何それ。オレの夢の中の話なんだよ?」
「だとしてもだよ」
「……ふぅん……」
唇の端が奇妙に歪んだ気がして俯こうとしたのに、颯真はそれを許してくれなかった。
「照れてる顔も可愛いんだから、俯かなくていいよ」
「……なにそれ……」
「はい、こっち向く」
「……」
「ホント可愛いんだから」
まるで溶けていく蜂蜜を見つめるみたいに優しくて柔らかい目がゆっくりと近づいてくるのを最後まで見ていたくて、唇が触れるまで目は閉じずにいた。
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