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011:傷跡
「あれ? 司、どうしたの、この怪我」
日常の些末な諸々を済ませて、さぁいざ、というタイミングだった。
体の隅々までキスするなんていう意味の分からないミッションを自分に課したらしい颯真に、つむじから順番に上から下へと唇で触れられる、くすぐったくて恥ずかしくて終わって欲しいような終わって欲しくないような――そんな甘やかな時間が不意に途切れた。
「ふぇ? ……あぁ、……ちょっと階段で躓いちゃって……」
「えぇ!? 大丈夫?」
「大丈夫だよ、全然平気。オレだって男だよ? 颯真って時々オレのこと女の子扱いするよね」
「違うよ。女の子扱いじゃなくて、恋人扱いしてんの。大事な人が怪我してたら心配すんの当たり前でしょ」
「……颯真って、なんでそんなにサラッと恥ずかしいこと言えるの……」
「恥ずかしくないでしょ別に」
「じゃあ気障なこと」
「気障かなぁ? 普通じゃない?」
「普通じゃないと思うけど……」
そうかなぁ、と頭が取れそうなくらい首を傾げた颯真が、何かに気付いたような表情に変わる。
「……父親がね、結構母親に対して愛情表現が豊かだったんだよね。子供の前でも臆面もなく愛してるとか好きとか、しょっちゅう言ってたんだよねぇ」
「へぇ……それはなんていうか、……凄いね」
「だからあんまり気障とか思わないのかな……。嫌だった?」
「嫌……じゃないけど……その……照れ臭いっていうか……恥ずかしいっていうか……」
「だったらいいじゃん、早く慣れてよ」
「慣れろって言ったって……」
「よし、分かった。慣れるまでいっぱい言うよ」
「ちょっ!?」
「大好きだよ、司。だから大事にしてね」
「っ!?」
「司、顔真っ赤。かわいーの」
「っ……!!」
「怒ってんのも可愛い」
言い返す言葉も見つけられずに口だけパクパクさせるオレを、でれんと雪崩を起こした幸せそうな顔で見つめる颯真が、愛してるよと囁く。
――あぁ、だから。
照れ臭いって言ってるのに、なんて思いながら、じわじわと広がっていく幸せに、まずは目元が緩み始める。
颯真が笑うこと、颯真が幸せそうにしていること――全部オレの幸せだ。
「オレも……颯真だいすき……」
「ん。オレも」
へへへ、と照れ臭そうに目を細める。素直に受け止めて幸せそうに笑う颯真は、オレをまた幸せにしてくれる。
こういうところはきっと、愛情表現豊かだったという両親を傍で見て感じて育ってきた象徴なのだろう。うちも別に仲が悪い訳ではないけれど、父はどちらかと言うと寡黙な人だから、愛を囁くところなんて見たこともないし想像も出来ない。
むしろきっと照れて言えないに違いないとすら思う。そういう意味では、遺伝子は争えないということなのだろうか。
「……司?」
「ふぁっ?!」
物思いに耽っていたところに声をかけられて、奇妙な声が出た。
お互いに見つめ合ったまま数秒の沈黙が流れた後、
「何その声……」
ぷふっ、と堪えきれずに笑った颯真が、かわいーの、とまた零した。
優しくて幸せそうな顔と声が愛しいけど、それでもやっぱり男としての自分自身がへそを曲げている。
「……でもさ。可愛い可愛い言いすぎじゃない? オレも一応男だからね?」
「だって可愛いんだから仕方ないでしょ」
「むぅ……」
「ほら、そういうとこね」
「そういうとこってな、にッ!?」
「分かってるよ、ちゃんと。司が男だってことは」
「触りながら、言う、なッ」
「――いいじゃん。可愛いものは可愛いって言っても。女の人に格好いいって言うことだってあるんだよ?」
「……それとこれとは……なんか、ニュアンスが違うような……」
「一緒だよ。人を表す言葉に男女の違いなんてないんだから」
いいからもう黙って、と言いたげな唇に唇を塞がれて、深過ぎるキスに思考さえも奪われる。
「男とか女とか関係なくてさ。大事な大事な恋人の、司のことだから心配するんだよ。忘れないで」
蕩けた心に刷り込まれる甘くて優しいセリフにうっとり頷きながら、颯真の背中に腕を回した。
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