029:小さな秘密

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029:小さな秘密

(あぁっ、くそ。遅なるやろとは思てたけど、こんな遅なるか~)  ガシガシと頭を掻き毟りながら、制服を脱ぎ散らかす。  今日はバレンタイン。所謂恋人達のための日なのに、まさかシフトが遅番になるなんてと、シフト表が配られた時の絶望感は酷かった。  恋人は自分が初めての恋人な訳だし、よくよく話を聞いていれば、どうもバレンタインに義理チョコ一つさえ貰ったことがなかったようだから、せめて今年のバレンタインくらいは盛大に盛り上がろうと思っていたと言うのに。  とりあえず、親友の恋人にチョコレート菓子のレシピを教えてもらってなんとか形にして冷蔵庫の奥に隠して出てきたのだが、バレンタイン当日に渡せるか怪しい時間帯だ。 「あぁ、杉崎くん! 良かったぁ、まだいた」 「はい? なんかありました?」 「違うの違うの。ほら、今日バレンタインでしょぉ。スーパーで浮かれて買っちゃったの。安いやつだしオシャレなやつでもないんだけど、どうぞ。杉崎くんにはいつもお世話になってるから」 「はぁ、すんません……」  同僚である元気なおばちゃんが豪快に笑いながら押し付けてくるチョコレートを、受け取りかけて手を引っ込めた。 「……あの、やっぱ気持ちだけ貰っときます」 「あら。義理チョコよ?」 「分かってますて。……その……恋人が……嫉妬深いっちゅうかなんちゅうか……」 「あらやだっ! んも~、おばちゃんダメねぇ気付かなくって!!」 (たぶん、想像してるやつとは違う嫉妬やけどな……)  バッシバッシととんでもなく嬉しそうな顔で肩を叩かれて、苦笑いを浮かべるしかない。  しばらく笑い合った後で、邪魔しちゃだめね、と手を振ったおばちゃんに、ありがとうございます、と頭を下げて猛ダッシュで最寄り駅へと急いだ。  ***** 「だっからさ~、ごめんて!」 「……いいけどさ、別に」 「……も~……ほんと、ちっちゃい子みたいなんだから」  拗ね散らかす親友を宥めているのはその恋人で、その姿がなんだか微笑ましくてほっこりする。こんなにも我が儘で狭量な親友を見るのは初めてだ。なんでもスマートにこなすイメージだっただけに、幼稚園児のような拗ね方には笑いがこみ上げてしまう。 「終わったらサクッと帰るから! な?」 「あったり前でしょそんなこと!」 「だからごめんて~。バレンタインなんてぼっちには関係ないイベントだったから、すっかり忘れてたんだってば。義理チョコすらもらったことないんだぞオレは!」 「威張るとこではないけどね……」  やけにチョコレートが目に付くなと思っていたら、バレンタインだったなんていうオチだ。  高校生くらいまでは、バレンタイン当日は朝から晩までソワソワ落ち着かなかったものだが、結局は憐れむように母親から手渡されるスーパーのチョコしか貰えない人生だった。大学に入っても特に変わらず、バレンタインは縁遠い日であると認識していたのだが。  それも今年までだ。  なんたって、今のオレには恋人がいるのだから。  今日の午後、大学から帰って冷蔵庫を開けたら、どう見てもそれっぽいブツが奥の方に隠してあったのだ。  あの時の嬉しさといったら、思わずガッツポーズで飛び上がってしまったほどだ。  はて貰いっぱなしでいいのだろうかと、思い至ったのはその数分後。あのモテ男が過去どれほどのチョコを貰ったのかは想像するだけで腹が立つが、どうせ今日も死ぬほど貰ってくるに違いない。  ずるい。  ──いや違う、本音が漏れた。  どうせならオレも手作りして義理チョコに対抗してやるぜと、無駄な対抗意識を燃やして今に至る。 「もっと前から気付いときなよそこはさ~」 「だっから、お前らみたいなモテ男には分かんねぇんだよ、オレらの気持ちなんて! なぁ!?」 「えっ!? オレに話振るの!?」 「……ぇっ? モテない同盟……」 「そんな同盟組んだっけ……」 「ぇっ?」 「……ぇ……と、その……小、中の時に、もらったことある……」 「ぅぅぅ裏切り者ぉぉぉ~!!」 「てか、オレもそんな話聞いてない!!」 「別に颯真だって過去にもらったチョコの話なんてオレにしたことないじゃん」 「そうだけど……」 「はい、この話お終い! 早くしないと作れないよ!」  いつも優しくてなんでも受け入れてくれるイメージが強い司も、こういう時スパッと切り替える強さが面白い。  少しは照れ隠しも入っているのか、ほんの少し耳が赤い気がするけど、混ぜっ返して本当にチョコ作りが間に合わなくなっても困る。  素直に頷いて先生のご指導を仰ぐことにした。  ***** 「はい、これ。颯真の」 「あ……ありがと~。もうオレのはないのかと思ってたよ~」 「そんなことある訳ないでしょ。颯真のは昨日作っといたんだから」 「も~。ホントそういうとこ好き」 「はいはい」 「好きって言うと照れちゃうとこも可愛くて好き」 「も~、わかったから!」 「可愛い」 「いいから! 食べるの!? 食べないの!?」 「食べる食べる! 食べます!」 「はい、どうぞ」  今年は最初からラッピングもちゃんと準備して、昨日のうちに作っておいたブラウニーだ。  お酒の入ったチョコを使ったブラウニーで、ほんの少し大人っぽさを意識してみたのに、なんだかいつも通りの感じになってしまった。  わくわく顔でラッピングを解く颯真の様子を見つめながら、賑やかに生チョコを作って帰って行った友人を思い出す。 「……渉には言わなかったんだけどさ……」 「うん?」 「稔にもチョコの作り方教えてって言われて、レシピ送ったんだよね。前に作ったフォンダンショコラの」 「えっ? そうなの?」 「うん。……今年はオレにもチョコがあるんだぜ! って凄く喜んでたけど……フォンダンショコラ出てきたらキョトンとしないかな……」 「大丈夫でしょ。なんでも嬉しいに決まってるよ。……チロルチョコでも嬉しかったオレが言うんだから間違いないよ」 「……そっか、……そだね」  ***** 「ぐぁぁぁ~、間に合わんかった……」 「ぉぉ? なんだ、どした。お帰り」 「ただいま。あ~……バレンタイン当日には帰ってきたかったんやけどなぁ……」 「ははっ、なんだそりゃ。そんなん気にしてたのかよ」 「そらするやろ。せっかく一緒に暮らしとんのに、大事な日ぃに一人にするとか」 「……くっそ~。こういうのがモテる男の言うことか……」 「はぁ?」  お前何言うとんねん、と首を傾げる稔をとりあえずぐいぐい引っ張ってリビングへ向かう。 「ちょぉ待てて。まだ手ぇ(あろ)てへん……」  文句を言っていたはずの稔が、不意に口を閉ざす。  その視線は、机の上の司に教えてもらいながら頑張ってラッピングしたチョコに釘付けだ。 「お前が遅く帰ってきてくれたおかげで、ちゃんと準備出来たぞ」 「準備て、お前……」 「なんだよ、味は大丈夫だぞ。司が付きっきりで教えてくれたんだからな」 「……お前も司くん頼みか……」 「? なんか言ったか?」 「いんや……」  ふ、と笑った稔が不意にオレの手を取る。 「傷だらけやないか、何作ってくれたんや」 「生チョコ。……チョコ刻んで溶かしただけなのに、大騒ぎになっちった。チョコって意外と固いんだな。司なんて自分のことみたいに泣きそうな顔しててさ……颯真がさ、すんげぇ優しい顔して慰めてんの。ケガしたのオレなのに。……なんっか……胸焼けするくらい甘い雰囲気でさ、ちょっとあてられたわ」 「ははっ、目に浮かぶわ」  そっと笑った稔が、おもむろに絆創膏の上にキスをするのに飛び跳ねる。 「んなっ!? なにっ??」 「……お前な……もうちょいリアクションなんとかならんか……」 「だっ……だって! そんっ……そんなキザなの、漫画かドラマでしか見たことねぇもん!!」 「は~……も~……ホンマにお前は」 「なんだよ……」 「可愛(かわえ)ぇやっちゃ」 「は、はぁ!? なに言っちゃってんだよバーカっ!! さっ……さっさと手ぇ洗ってこい! チョコ食うぞ! どーせ山ほど義理チョコもらったんだろ!?」 「もらうか、そんなもん」 「……はぁ? なに、お前……一個も貰わなかったの?」 「お前から貰うこの一個以外、なんもいらん」 「……なんだそれ」 「これだけでえぇねん。……もう一生、お前以外から受け取らん」 「……一生とか、重い」 「重ぉてえぇねん。……お前も、ちょっと悪ぅない思てんやろ。顔が緩んどるぞ」 「るせっ」  唇の片側だけを上げて笑った稔がわしわしとオレの頭を撫で回して、手ぇ(あろ)てくるわ、と笑う。  その胸ぐらを掴んで、ぶつかるみたいなキスを唇に贈った。 「……あいっかわらず上達せんな、お前は」 「るっせぇ」 「こうじゃてなんべんも言うとるのに」 「ンッ、……っふぁ」  上達せんな、と笑う顔が好きなのだと言ったら笑うだろうかと思いながら、だけど今はまだ内緒にしておくことにして、相も変わらず上手すぎるキスに蕩けることにした。
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