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 西村徳右衛門(にしむらとくえもん)の家には、穀潰しがいる。  時は天下分け目の関ケ原より百年あまりが過ぎた江戸中期。  徳右衛門は今年かぞえで二十九。先代である実父が八年前に胃の病で他界したため、二十一歳で西村家の家督を継ぐこととなった。  家は代々、○○藩の馬廻(うままわり)を仰せつかっており、家禄は二百石。暮らしていくに足らぬわけではないが、それほど余るわけでもない。  西村家には現在、徳右衛門を含めて六人の人間が棲んでいる。  未亡人である母のなか、徳右衛門の妻のふみと、双子の子供があり、名前は松一(まついち)松二(まつじ)という。  そして、父の弟つまり徳右衛門の叔父にあたる西村徳七(にしむらとくしち)という人物。  平生、徳右衛門はこの叔父をわずかながら疎ましく思っていた。  職を持たない侍のことを「部屋住み」と称するが、要するに今風にいうとニートである。  徳七はすでに四十九になるが、仕官先を探すでもなく、勉学に励むわけでもなく、先代当主である兄(徳右衛門の父)を日々弔うでもなく、無為に過ごしていた。  たまに、朝から竹の釣り竿を担いでどこやら出掛け、夕方ころに釣った川魚をぶら提げて帰ってくることもあるが、その釣果では徳七の口を養うにはまったく足らぬ。  言うまでもなく、徳七は独身である。  なぜ自分はこの叔父を食わせなければならないのか。理由をなかなか見出せない。  もちろん他家にも徳七と似たような立場の男は少ならからずいる。  この時代の武士の職業というものは基本的に世襲であるため、家を継ぐものが父の仕事と家禄を継ぐということになる。  よって、武家の次男三男となると、男子のいない家に養子に出るか、何らかの才覚を発揮して身を立てるか、浪人して他藩へ仕官先を求めるか、侍をよして町人として商売を始めるか、もしくは徳七のごとく一生を部屋住みとして終えるかのいずれかになる。  そんな、年老いた部屋住みを指す言葉として「厄介叔父」というものがある。  今や五十も間近の徳七叔父に養子の行き先などあるはずもなく、仕官先の期待も持てない。  このまま無駄飯を食らいながら死ぬのを待つばかりなら、いっそのこと何も為しえぬ我が身を恥じ入って腹でも切ってくれまいかと思うが、まさか本人にそう要求するわけにも参らない。
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