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 ある日の夕刻、城での勤めを終えて家に帰ろうとしていたら、門を出たところで、 「徳右衛門」と背後から声を掛けられた。  ふりむくと、髭を生やした壮年の男がいた。先輩の和泉重衛(いずみじゅうえ)である。  重衛は亡くなった父と同い年だったこともあり、幼少のころより懇意であったという。徳右衛門と同じく馬廻を務めており、家禄の石高は二百五十と徳右衛門よりわずかに多い。  徳右衛門は重衛に向かって軽く頭を下げて、「これは、どうも」と言った。 「もしよかったら、晩飯はうちで一緒にせんか。酒もある」と重衛は言った。  さて、妻に断りなく遅くなると、いらぬ心配をかけるかもしれないと多少躊躇したものの、 「一人で呑む酒は目が回るだけで退屈で仕方ない。さあ、行こう」と押し切られる形になった。  重衛の家で、白米と汁の夕食をいただいて()いた腹を満たしたあと、縁側に(うつ)り、香の物を肴にして、ふたりだけのささやかな酒宴が始まった。  狭い庭のどこかから、虫の鳴き声が聞こえてくる。  ふたりは薄い酒をちびちびと飲みながら、最近の身辺に起こった出来事などを報告し合い、その後の話題は必然的に息子たちのことに至った。 「うちの次男坊、どこか貰い手があればよろしいのですが」と徳右衛門は言った。  ちなみに和泉家には重衛の嫡男が部屋住みとして待機している。あと数年後には、重衛の引退後にその子が家を継ぐことになるだろう。 「そなたの次男坊と言っても、まだ十やそこらであろう」 「そうは言いましても、うちには分知するほど禄の余裕もなく、このまま宛てがないのであれば、生涯を無為に過ごすことになりましょう」 「せがれが可愛くはないのか?」 「いえ」  可愛いからこそ、親として子の貰い先を探さねばならないのだ、というようなことを徳右衛門は言った。 「そこまでして、次男坊に家を持たせたいか?」 「ええ。やはり男たるもの、人間(じんかん)にあって功を立て、家を構えて妻子を持ってこそ、一人前ではありますまいか」 「左様か」  重衛は手に持っていた猪口を煽るようにして呑む。 「そなたの叔父の徳七は達者にしておるか?」  予期せぬうちにいきなり叔父のことを尋ねられて、少し怯んでしまったが、 「ええ……。普段は部屋に引きこもっているので、あまり顔を合わせることはありませんが、たまに釣りなどに出かけておるようです」と応えた。 「釣りの腕前は、少しは上達しておるかの?」 「いえ、それが、さっぱりなようで。一日かけてせいぜい二、三匹ほど釣り上げるのがやっとのようです」  それを聞いて、重衛は心底愉快げに笑い声をあげた。 「徳七は、何をやってもソツなくこなしていたが、釣りの腕前だけはさっぱりだったなあ。子供のころ、よく親父さんと徳七とわしとで、川の上流までわざわざ釣りに行ったもんだが、いっつも徳七だけは坊主か、日がな一日頑張ってもせいぜい二匹三匹がやっとというところだった」重衛は遠い目をして言った。  そして話を続ける。 「しかし、徳七は、武芸のほうは至って達者で、剣も弓も右に出る者なしというほどの腕前だった。わしもそなたの父も、足元にも及ばぬほどだった。一度、先代の上様に弓の腕前を披露したこともあったのだ」  それを聞いて、徳右衛門は意外だった。まるで取るところのないような厄介叔父に、そのような特技があったとは。  重衛は手酌で猪口に酒を注いだ。 「戦国の世であれば、腕一本で身の立てようもあろうし、働きの果てに死に甲斐もあったろうが、泰平の時代にはそうもいかぬ。人を斬るのがいかに上手かろうとも、斬るべき人がおらんのだ。誰かが貧乏くじを引いて、平和に倦みつつ腐らねばならぬ」  その「貧乏くじ」という言葉が、徳右衛門の胸に強く響いた。双子の子のうち、産まれの先後が違うだけで、なぜこうも処遇に差が出るのであろう。そんな単純なことさえ、今まで一度も考えたことはなかった。 「武士の数だけ、武士の食い扶持は天下にはない。さすれば、卑屈になりつつ人の世話になって生きていくことも、処世術のひとつであろう。無為徒食の穀潰し一人や二人を食わせられないならば、何のための平和か。つまらぬ人間のいてこそ、世の中は面白いのだ」
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