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 徳右衛門が家に帰ると、すでに夜半を過ぎていた。  家の者はもう寝ているかと思っていたが、妻はまだ起きて台所に居た。 「遅くなって、すまない。帰りに、和泉重衛殿に誘われて」徳右衛門は言い訳するように言った。 「いえ、かまいませんよ。ごはんは?」 「和泉殿にごちそうになってきた」 「そうですか。おさかなが有りますが、お召し上がりになりませんか?」 「さかな?」 「ええ。今日の昼に、松二が徳七叔父さんに釣りに連れて行ってもらって、釣ってきたんですよ。六匹も。そのうち五匹は夕食にいただいたんですが、松二がどうしても『一番大きなおさかなを父上に召し上がっていただくんだ』と言って、残しておいたんです。いかがなさいます?」  叔父が子供らと遊びに行くなど、珍しいこともあったもんだと徳右衛門は思う。 「そうか。それじゃ、せっかくだからもらおうか」  徳右衛門は腰に差していた大小の刀を抜いて、畳の上に座った。  妻がすぐに膳を運んで来た。五寸に余るほどの立派なイワナの塩焼きが、皿の上に乗っている。 「時間が経ってしまいましたので、冷めて少し固くなってますけど」と妻が言った。  箸でイワナの身をつつく。  噛むと口の中で身がほぐれて、川魚のにおいが広がった。 了
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