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その日は、家の前に配車されたモビリティに乗り込んだ。行き先は首都タカサキだ。
モビリティは私を認証すると、市街地を法定速度で動き出した。その後すぐに、加速度を感じた――ジャンクションで幹線に連結したのだろう。
ナギの『個人的なお願い』を忘れたわけではない。しかし、会社からの呼び出しを、無視するわけにもいかない。
リクライニングを倒し、そっと目を閉じる。
自動運転と街中に配置されたセンサとメッシュな無線回線のおかげで、乗り物を操作する必要はなくなっていた。完全に制御された運行の結果、交通事故というものは基本的に発生しなくなった。前世紀では年間で10万人以上の死亡者が出ていたというのだから、これは技術革新に感謝しなければならない。
ただ、高度なテクノロジーでも防げない事故がある。人間が意図的に飛び込むこと――すなわち自殺だ。
それを防ぐために私は街中を監視し、必要があれば近くのオートマトンのシェルを借りて、不幸な事故を未然に防ぐ仕事をしている。意義のあることだと思っているし、自分の得意とするスキルにもあっている。なぜかは分からないが、リモートでシェルを操作することに私は長けていた。天職といってもいい――給料が高くないことを除けば。
ただニックには不思議に思うことがあった。それは、助けた人から礼を言われることがないのである。仕事とはいえ、その人のために全力を尽くししているわけだから、感謝の言葉くらいあっても良いのではないか。その一方で、事後処理に駆けつけた警察に対してはペコペコと頭を下げている様子を横目でみる。しかし、助けた張本人であるニックに向かって礼を言うものはいなかった。そればかりか、苦虫を噛み潰したような顔でニックを見つめた。
しかし、それももう気にすることはなくなっていた。この豊かに発達した世の中で、自ら命を断とうとする人間の気持ちなど――わかるはずがない。
***
時刻通りに会社に着くと、受付に上司の居場所を聞いた。そのオートマトンは、とびきり美人で、前世紀の米国で名女優と謳われた女性の遺伝子からを開発したという噂だった。――受付カウンタに座る8人全員が同じ顔だけれど。
会議室を開けると、上司がニコニコとしながら待っていた
「よく来てくれた。ニックくん」
小柄な彼は、顔をテカテカさせながら近寄ってきた。
「君の卓越したスキルによって多くの命が救われていることを誇りに思うよ」
生え際の白髪が目についた。数年前から黒く染めるのをやめたらしく、初めて会ったときより老いが目立つようになっていた。
「それでだな。今日来てもらったのは他でもない――前々から伝えている通り、救助のときのだな――その方法、というよりも優先度をだな。ほんの少しだけ変えてほしいということだ」
想定どおりの話だった
「以前にもご返事したとおり、人間の『社会的価値』などという不確かな指標でアクションを変えることはできません」
「いやいや。何も助けるなとは言っていない。例えばだ――これを見てくれ」
彼は壁に仮想ウィンドウを表示した。そこには私が提出している過去の報告書が映し出さえた。
「この例なんかは、助けた人は齢63歳の浮浪者だ。この国の経済活動に全く寄与していない男だ。ノータリンな頭で自分の人生を悲観した結果が、幹線ジャンクションに飛び込むことあった。こいつを助けたことで、主要交通網が15分もストップしてしまった。君ならわかるだろう。その後の対応にどれだけ私達はコストをかけなければならなかったのか」
「企業は利益を追求する存在ではもはやありません。この世界を持続的に発展させるために存在しています」
「そうだった。確かにそうだった。昔の癖が抜けないようだ。どうしてもお金のことを考えてしまう。それが私の悪い癖だ」そう言いながら、頭をポリポリとかいた。「――だがなニックくん。この会社のことだけでなく、その15分の停止で社会全体が大きな損失をおったというふうにも考えられないか?」
ニックは何も答えなかった。
「次はこいつだ。100歳を超えたボケた老人だろう。この爺さんを助けるために君はどうした?」
「衝突のリスクがあったモビリティを止めました」
「そう。力づくで止めた。その結果、搭乗していた女性が顔に大怪我をした――政府高官の娘だったよ」
「顔の傷は治ります。でも命には変えられません」
「100年生きて朽ち果てる直前の命だぞ。そのまま往生させてやるという判断も可能はずではないのか?」
「確かに私は救助対象者の属性情報にアクセスし、瞬時に把握することはできます。しかし、それは客観的事実の積み上げであって、繰り返しにはなりますが――その人の価値を算出することはできないと考えています」
彼はふうとため息を付いた。
「どうしても変えられないか?」
「はい」――大きく首を立てに振った
「じゃあ、最後に聞きたい。この事例を君はどう考えている?」
表示された報告書をみて、ニックは顔を曇らせた。それは精神的なダメージを負った女性が、プラットフォームで投身自殺をはかった事例だった。
「まことに残念な事例です。気づいたときには救助はもう間に合わないタイミングでした。そこで、列車型モビリティの制御システムをハックし、行き先を使われていない行路に変更することで助けることができました。しかし、それによって――」
「幹線の保全にあたっていた3台のオートマトンが代わりに犠牲になった。優秀なエンジニアたちだったそうだよ」
「ですが、彼らはオートマトンです」
「君を差別主義者と捉えてよいのか?」
力のこもった顔を向けられた。
「いえ、そうではありません。ただし、オートマトンは代わりが効く存在です。人型のキュビット・シェルは世界各地で量産できる体制になっていますし、頭脳にあたる量子ニューラルネットは確立しており、実装は容易です。この技術を持ってすれば、あっという間に同じ技能を持ったオートマトンを世に送り出せるはずです――」
ニックはそこで発言を止めた――上司が哀れみのような表情でじっとこちらを見ていた。しかし、それはほんの一瞬だった。すぐに彼は厳しい顔に戻り、そして告げた。
「君にはプログラムをうけてもらうことになる」
「そのような研修で私の考えが変わるとは思いませんが……」
皮肉ではなく本心だった。
「いや、そういう意味ではないのだよ」
上司は腕時計型の端末をスッと操作した。その瞬間、ニックの体は動かなくなった。声も出ない――耳と目だけがかろうじて知覚できていた。
「今からアップデートのプログラムを適用させてもらう」
――なんのことだ。
「なあニック。思い出してくれ――君だってオートマトンなのだよ」
その声と同時に、インプットセンサが強制終了した。それは本物の耳と目だと信じて疑ったことがないものだった。
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