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## 01 Nick the Saver
> 彼女がふと正気づいた時には、彼女の周囲には、巡査と弥次馬とが立っている。これはいつも彼女が作る集団と同じであるが、ただ彼女の取る位置が変っているだけである。弥次馬の中には巡査のそばに、いつもの老婆がいないのを不思議に思うものさえあった。
> 老婆は恥かしいような憤いきどおろしいような、名状しがたき不愉快さをもって周囲を見た。ところが巡査のそばのいつも自分が立つべき位置に、色の黒い四十男がいた。『身投げ救助業(菊池寛)』
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頭部ディスプレイに来客を告げる通知があった。ニックは巡回を自動モードに切替え、ヘッドマウントを解除した。オフラインで人が訪ねて来ることはめったに無い。ほとんどのことは、今まで接続していた仮想空間で済ますことができるからだ。
玄関を開けると女性が立っていた。いや、外見で性別を判断することはナンセンスだ。少しカールする髪と、ジャケット越しにもわかる胸の膨らみと、タイトなスカートの下から露出した柔らかな足から、女性的特徴を兼ね備えている人型のシェル(殻)であると判断をしだけに過ぎない。
「ニックさんでしょうか?」
抑揚のない声が、日の当たらない玄関に響いた。
「どちらさま?」
「ニックさんでしょうか?」
同じトーンで繰り返された。
「そうだよ。それでおたくは?」
「私はナギと申します。貴方の会社より依頼があり、普段の業務の様子を観察することになりました」
私に向けて投げかけられた言葉なのに、どうも自分には関係ないことのように思えた。
「まいったな。そんなこと会社から聞いてないけど――」
「これは、貴社の依頼に基づき、私の組織と正式に合意された正当なオペレーションとなります――ご理解ください」
その無機質な声は有無を言わせぬ響きを備えていた。それに――まったく心当たりがないわけではない。
とりあえずリビングに招き入れたが、ナギは席にはつかなかった。今朝セットしたコーヒーメーカが目に止まったので、コーヒーを注ぎながらがら尋ねた。
「コーヒーでも飲みますか」
「いえ、そういったものは飲みません」
新しいカップに注いでしまったコーヒーは自分が飲むことにした。仕事のデスクにまだ残っていたと思うが、コーヒーは温かいほうがよいと思うことにした。
ニックは、不自然なほど直立の姿勢で待つナギを観察した。
オートマトンだろうな――と思った。それも旧式のようだ。処理が早すぎて思考と動作にゆらぎがない。最新のシェルならば、あえてディレイを発生させるチューニングが施されているはずだ。それはオートマトンが人間のアルマ(自我)を模するための試みだった。
「それで――俺はどうすればいいの?普段どおり仕事をしていればいいの?」
「はい。いつも通りリモートでのモビリティ運行の監視に務めてください。私も同じようにリモートで追従します」
そうであれば、わざわざ私の部屋まで訪ねて来る必要はないはずだ。
「緊急のときは市中のシェルを借用することになるけど――」
『インシデントを検知しました』
人の緊張を否応なしに高めるアラートが鳴った。――目を離すととすぐにこれだ。
『監視員は状況を確認し、考えうる最善の対策を行ってください。繰り返します。インシデントを検知しました』
ニックはヘッドマウントを装着しながら、すぐにオペレータとコンタクトをとった。
「状況を教えてくれ。制御系は正常か?現場のデジタル・ツインがあればそれもよこして――そして、近くにダイブ可能なシェルは?」
デスクに座り、現場近くのオートマトンにあたりをつけ、緊急コードを適用した。これでオートマトンを遠隔から操作できる。フルダイブに向けて、意識を集中させたあとに、背後に立つナギの存在を思い出した。
「見ての通り、ダイブすることになったけど。そこにも着いてくるの?」
「はい。私も近くのオートマトンを見つけました。そして、そのシェルの借用許可も――たった今、承認されました」
どこかと連絡を取りながら、ナギはさっと出窓に腰をかけた。
「よろしいでしょうか?」
稼働しているシェルにフルダイブすることは一般には認められていない。彼らだって普段の生活がある。私の場合は業務遂行上の必要性から、特別に許可をもらっている。公権力に所属しているのだろうか?
まあいいさ。自分の仕事をこなすだけだ。ニックは意識を少しづつ分解していった。それは量子信号に変換され、遠く離れたオートマトンに同期されていった。
「さあ、行こうか――」
[Music: Inner Universe](https://www.youtube.com/watch?v=hUGFk_0U614&list=PLf_zekypDG5qBT4O0u7pO6N7__F1FPIYw&index=2)
***
今朝の一件以外に本日はインシデントは発生しなかった。同僚に業務データをインタフェースし、引継ぎを行った。
「ようニック。今日は派手にやらかさなかったかい?」
「危機にさらされた人命はなかった。喜ばしいことだよ」
「そうかい。ならいいけど――。俺たち雇われの身としては、あんまり会社の指示に逆らわない方がいいぜ。変に目をつけられると厄介だからな」
余計なお世話だ――返事をすることなくオンラインから離脱した。ふぅと息をし、軽くこめかみをマッサージした。振返ると、朝と変わらぬ表情のナギが立っていた。彼女な何者だろうか――フルダイブでのオートマトン操作を巧みにこなし、俺のオペレーションに完璧についてきた。
「今日はこれでおしまい」
――俺の仕事はおしまいだけど、貴女の仕事は?という意味だ。
「はい。終了となります」
「明日も来るの?」
「いえ、本日の結果で十分です」
ナギはジャケットを羽織りながら答えた。
玄関まで送ることにする。扉が開くと西日が差した。形式的な挨拶を終え、今日という日をまさに終えようとする太陽の方に一歩踏み出したナギは、突然に足を止め、ゆっくりとこちらを向いた。
「近いうちに会社に行く予定はありますか?その、リモートではなくリアルでという意味です」
予想しなかった質問だ。
「どうだったかな?」
曖昧な回答を受けて、これまで鉄仮面だったナギが困ったような表情を見せた。
「どうか次に私からコンタクトがあるまでは、会社に行かないでください」
「それは、今日の視察と関係あるのかな?すなわち『正式に合意された正当なオペレーション』ということ?」
「いえ――」微笑を備えた彼女の目が私をじっと見つめた。
「私の直感に基づく、個人的なお願いとなります」
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