【迷宮の中で牛に遭う】ファンタジー

2/8
前へ
/59ページ
次へ
彼は今、とても複雑な迷宮の中を進んでいる。  石造りの地下迷宮。天井にわずかに設けられた明り取りの隙間から差し込む光はあまりに遠く、だからそこは、辛うじて歩けるくらいの薄闇に満ちている。  彼は片手に剣を、もう片方の手でしっかりと糸巻きを握り、迷宮の通路を歩く。糸巻きから延びた糸は床を伝い、彼が辿ってきた道順を遡って入り口に繋がっていた。  20年ほど前、その国の王妃は神の呪いを受けて牛と通じ、半人半牛の異形を生んだ。醜聞を恐れた王は、この異形の王子を決して出ることのできない地下迷宮に幽閉した。属国から年に7人の若者を差し出させ、次々と迷宮に送り込んでは生餌とした。そしてこの年の、7人目の生贄が彼である。  今まで誰一人、迷宮から、そこに住まう異形から、逃れることはできなかった。けれど彼は違う。  異形に喰われ易いように、丸腰のまま放り込まれた前任者たちとは違う。迷宮に送り込まれる直前に、この国の姫が彼を見初めたのだ。彼女が「生きて帰って、私と一緒になりましょう」と、王の目を盗んで彼に剣と糸巻きを与えたのだった。  今までの生贄らと違い、彼は武器と道しるべを手にしている。これさえあれば異形も迷宮も恐れるに足らず。こんな異郷の地下で死んでなるものか。牛を倒して生きて故郷に帰るのだ。強い信念のもとに彼は勇気を湧き立たせ、一歩一歩と迷宮の深部に踏み込んでいった。  延々と続く迷路を歩き続けていると、時折、咆哮のようなものが聞こえてきた。地下に吹き込む風の音か、飢えた異形の雄たけびか、それは石の壁に反響して、遠くのようにも近くのようにも聞こえる。気負えどもなかなか異形とは遭遇せず、彼の集中力は次第に疲弊し始めていた。しかし。  大きな段差に差し掛かった時、突如目の前に星が散った。遅れて、足がくずおれる。額に強い衝撃を感じたとわかった時にはすでに、背中が冷たく湿った石の床を感じていた。  なすすべもなく後方に転倒した彼の視界、その下方から、大きな顔がにょっきりと生えた。  太い角と長い顔――それはまさしく、牛の顔だった。
/59ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1人が本棚に入れています
本棚に追加