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近所で雑種犬の散歩でもさせていたのなら、まったく注意を払わないだろう、小奇麗でも小汚くも無い、見た目だけならまったく普通の。
(コツコツ……)
無表情で窓を叩き続ける。
俺とは目が合っているのに。
少しだけ窓を開けて応じた。
「なんすか」
「あの……」
女はそれでも表情を動かさなかった。みじんも。
「あの、先日は本当にすみませんでした。あの、一月二十日に予約していたタカサキなんですけれども。あの、その節はほんとうに。次回は必ず守りますのであの、すみませんどうか宜しくお願いします」
「は? 何が? え?」
「改めてご挨拶には参りますので。ほんとにすみませ」
もごもごと語尾を口の中で転がすようにして。
唐突に、女はいなくなってしまった。
車窓の視界からすっと下がる様にして消えたのだ。
なんだ?
今の、何だ!?
咄嗟にドアを開けて周囲を見渡すなんてできない。
窓を少し開けただけのやり取りで十分だ。
普通じゃない。「変な人」だった。
刃物を持った男、というわかり易い存在でなくても、
明らかに自分より腕力の無さそうな中年女であったとしても、
意図のしれない行動を取る人間は十分にこわい。
尿意は先ほどより高まっている。
でも車を降りてトイレまで向かうのもなんだか嫌だ。
エンジンをかけ、そろそろと車をトイレの建物近くに移動させる事にした。
車窓から見渡しても女の姿はもうどこにもなかった。
そそくさと前時代的なトタン張りの目隠しの横をすり抜けてトイレに入る。
雑にコンクリを打っただけの床、ペンキの剥げた個室のドア。
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